《やったことを忘れる…》タモリ、認知症の兆候を明かすなか故郷・福岡に40年所有した複数の不動産を次々に売却「糟糠の妻」「終活」の現在(NEWSポストセブン)|dメニューニュース

『人の名前は出てこないし、やったことを忘れてる』──今年80歳となったタモリは、自身に認知症の兆候があることをテレビ番組で明かした。9月6日に出演した『知的探求フロンティア タモリ・山中伸弥の!?』(NHK総合)は、"認知症"がテーマに取り上げられた。タモリは「いやーこれは、ちょっと他人事ではない」と、気にしている様子で自身にとっても「切実な問題」と、語った。

 NEWSポストセブンが取材を進めると、タモリが80歳を前に約40年近く所有していた故郷・福岡の複数の物件を手放していたことがわかった──。テレビ局記者が語る。

「番組でタモリさんは、『冷蔵庫を開けたら何をしに開けたんだろう。茫然と冷やっこい風を浴びながら考えています』と冗談を交えつつ実体験を語り、認知症になっている同級生がいることも明かしていました。

 タモリさんは出演していたフジテレビ系『笑っていいとも!』が2014年に終わり、2年前に40年続いた『タモリ倶楽部』が終了。引退説が囁かれたこともありましたが、現在もテレビ朝日系の『ミュージックステーション』やNHKの『ブラタモリ』など看板番組を持ち、一線で活動し続けています」

 タレント活動のほかに、タモリは多趣味としても知られている。

「タモリさんはトランペットが得意で、音楽が趣味のひとつです。ジャズ好きで、過去には家に1000万円かけたオーディオルームもあったと聞きますます。料理も得意で、年末年始には自宅に集まった芸能人らに手料理をふるまうほどの腕前です。

 また、1級小型船舶操縦士の免許を持っていて、自身の名前がついたヨットレース『タモリカップ』も開催されていました」(同前)

 漫画家の赤塚不二夫さん(享年72)に見出され、下積み時代は赤塚さんの自宅に居候していたタモリ。2008年に営まれた赤塚さんの告別式では、多くの人々を驚かせた。スポーツ紙記者が語る。

「恩人だった赤塚さんの祭壇を前に、タモリさんは直立で白い用紙を両手で持ちながら、《8月の2日にあなたの訃報に接しました。6年間の長きにわたる闘病生活の中で、ほんのわずかではありますが回復に向かっていたのに、本当に残念です》《私もあなたの数多くの作品の1つです 》と、約8分にわたって弔辞を述べました。しかし、その用紙は白紙だったと言われ、タモリさんの想いが溢れています」

ひっそりはじめていた「終活」

 福岡市で生まれ育ったタモリは、最近まで故郷に多くの物件を所有していた。

「タモリさんは親族から相続した100坪を超える土地に2階建てのアパートを建てていて、40年近く所有していました。

 しかし、70代になった2019年に売却。2023年にも35年間所有してきた福岡市内にあった約50坪の土地を手放しています。家賃収入などもあったと思いますが、年齢的にも終活を考えて手放したのかもしれません。多くの物件を処分して、今は帰省したときに時折、地元のマンションを訪れるくらいだそうです」(地元の不動産関係者)

 このほか、タモリは自身でコレクションしている約1万枚のジャズレコードも外部に寄贈するという。

 今回、認知症について言及したタモリだが、かつて同じ中学校の後輩・森口博子(57)が"老い"について相談すると、次のように語っていたという。

《「以前は簡単にできていたことが、年齢が上がって時間がかかるんです」って相談したら、(タモリさんは)「昔できていたことが正解とはかぎらないから、今できることを一生懸命やればいいんだよ」と言っていただき、すごく楽になりました》(2021年9月12日文春オンライン)

 タモリは福岡で保険外交員のサラリーマンをしていたときに、同僚だった2歳年上の妻と結婚している。下積み時代から現在にいたるまでともに生活してきた、いわば"糟糠の妻"である。前出のテレビ局関係者が語る。

「現在は都内高級住宅街にある豪邸で妻と2人暮らしですが、『笑っていいとも!』などのレギュラー番組を整理したのも『長年支えてくれた妻との時間を大切にしたい』というタモリさんの強い意向だったそうです。

 ただ、最近は奥さんも足腰が弱くなったようで、タモリさんが買い物などの家事を手伝うことが増えたそうです」

 愛妻のために"今できることを一生懸命やる"タモリだった。

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