「興味を持てば…」で苦手な数学を克服 自分を変える努力、体育祭で応援団長に立候補

小学生時代、妹2人と

《小学校時代、うまく話せないことから友達に手が出て、けんかばかりの日々。卒業式で恩師、吉野雅美先生と約束した「中学生になったらけんかしないでね」の言葉を胸に、埼玉県三芳町立三芳中学校へ進学した》

中学ではけんかはしなくなりましたが、人前でしゃべってはいけないんだという思いが強くなっていました。

部活動は野球部でした。ポジションは外野、レフトといいたいところですが、実際はベンチです。足は学年で3本の指に入るくらい速かったのですが、同じポジションに小学校から野球をやっていた上手な選手がいてかないませんでした。

当時は部活動をやるのは当たり前で、親もお金のない中、ユニホームやグラブなどを買ってくれた。やめるなんて言えません。プロ野球選手なんて夢のまた夢でしたが、高校受験のとき、部活を3年間続けたら内申書によく書かれて有利になるという思いもあって、野球を続けました。

《あるきっかけで数学は得意になった》

突然、興味を覚えたんです。数学ってはっきり答えが出るのが面白いじゃないですか。授業中、理論が理解できないと職員室へ行き、数学の先生に分かるまで質問しました。その先生も熱心だったので、休み時間中、ずっと教えてくれました。

近所に僕になついていた小学3年生の男の子がいました。裕福な家らしく、算数が苦手で家庭教師をつけるのですが、うまくいかない。その子が「ひろ君(当時、そう呼ばれていました)だったら教わりたい」と言うので話が来たんです。

週2回、家庭教師に行きました。教えるわけですから自分も理論が分かっていないといけない。そこで小学校の算数を、基礎から学び直しました。そのときは「小学校のときにきちんと勉強しておけばよかった」と後悔しましたね。

でも、その子の成績も伸びて、自分の数学の偏差値もガッと上がったんです。100点も取れるようになった。「やればできるんだ」「興味を持つことが大切なんだ」ということを身をもって知りました。

その経験が今の人づくりに生きています。何事も自発的に動くことが重要だと思っていますので、仕事でも興味を持ってもらうために、いろいろと方法を考えてやっています。

《一方で、自分を変えるために努力もした》

苦手だった人前でしゃべることを克服するため、3年生の体育祭で応援団長に立候補しました。中学の体育祭は1年生から3年生まで、クラスごとに1つの団を作って競うのですが、団長はみんなの前で大声で応援の指導をするわけです。

野球部で声は出していましたが、それとはまったく違う。団長にはなったものの、本当にできるのか、と最初は心臓がバクバクでしたね。一生懸命練習し、クラスメートの励ましもあって最後までやり遂げました。

体育祭では僕が「○団、頑張るぞ!」と大声で呼びかけると、団の全員が一斉に「頑張るぞ!」と大声で復唱する。その姿に、1年生だった妹は友達から、「お兄ちゃん、かっこいいね」と言われたそうです。野球部を引退した後だったので、髪形も丸刈りからちょっと伸びていたことも影響していたのかもしれません。

《いよいよ進路選択の時期を迎えた》

手に職をつけておけ、という父親のアドバイスがあって、当時、電気工事士試験の合格率が県内1位だと聞いた県立狭山工業高校への進学を決めました。

将来何をしたいとか、こんな職業に就きたいなんて考えて高校を決める子供なんて、そういないじゃないですか。自転車で家から通える、そんな単純な理由もありました。(聞き手 慶田久幸)

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