30万人超のナポレオン軍はなぜ壊滅? 定説と異なる驚きの菌を特定

集団墓地に埋葬された兵士たちのDNAを分析したところ、モスクワからの撤退中に死亡したナポレオン軍の兵士たちの一部は、これまで見つかっていなかった病気に苦しんでいた可能性を示す証拠が発見された。(Adolph Northen (1828-1876), Barbieri et al., Current Biology)

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 1812年、フランス皇帝ナポレオン・ボナパルトがロシア遠征から撤退する中、およそ30万人もの兵士が命を落とし、軍はほぼ全滅した。その多くが強制的に集められた兵で、「冬将軍」と言われるひどい寒さや疲労、飢餓、そして病気という数々の苦難が重なった末にこの世を去った。これまでの記録によると、兵士たちの死因とされた主な病は「野営熱」(今日で言う発疹チフス、Rickettsia prowazekii)と「塹壕熱」(Bartonella quintana)だった。

 ところが最近、リトアニアのビリニュスにある集団墓地に埋葬されていた兵士たちのDNA分析を行ったところ、そうした病気の痕跡は見当たらない一方で、2種類の異なる細菌の痕跡が見つかった。これは撤退中のナポレオン軍が、これまで考えられてきたよりも多様な病原菌にさらされていたことを示唆している。驚きの発見は2025年10月24日付けで学術誌「Current Biology」に発表された。

「正直なところ、我々は発疹チフスが見つかることを期待して歯のサンプルを分析したわけですから、この結果には意表をつかれました」と、フランス、パリのパスツール研究所の古代遺伝学者で、研究の筆頭著者であるニコラ・ラスコバン氏は言う。

 今回見つかった病原体のひとつは、ボレリア菌の一種Borrelia recurrentisだった。このダニ媒介性の細菌は、シラミによって広がり、「回帰熱」と呼ばれる衰弱性の病気を引き起こす。この病は、今日のヨーロッパではほとんど見られないものだ。(参考記事:「マダニからうつる危険な感染症が急増、15年間で倍以上に、米国」

 もうひとつの病原体はサルモネラ菌の一種Salmonella entericaであり、「パラチフス熱」と呼ばれる症状の原因となる。発疹チフスとよく似た熱、発疹、下痢などの症状を示すが、発疹チフスのようにシラミによって広がるのではなく、主に糞便で汚染された水や食料を摂取することによって感染する。(参考記事:「アステカ人の大量死、原因はサルモネラ菌か」

 ロシア、モスクワ大学の人類学者アレクサンドラ・ブジロワ氏は、既存の記録にない2種類の病原体が特定されたことについて、「非常に興味深い」と述べている。氏は、ロシア、カリーニングラードに埋葬されたナポレオン軍兵士の歯の研究に携わった経験を持つが、今回の研究には関与していない。

「今回の研究によって、古いDNAの解析が歴史上の疾患を調べるうえで非常に強力な手段であることが、改めて明らかになりました」

科学者らは、リトアニアの集団墓地に埋葬されていたナポレオン軍の兵士13人分から採取した歯のDNA分析を行った。(Michel Signoli, Aix-Marseille Université)

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 分析の対象となったのが、集団墓地に埋葬された3000人以上のうちわずか13人分の歯であったことを踏まえ、ラスコバン氏は今回の発見が「2種類の病原体が死の主な要因だった」あるいは「発疹チフスは死因ではなかった」ことを意味するわけではないと強調する。この研究結果はむしろ、兵士たちの死や健康状態の悪化に関連したその他の疾患を探る手がかりになるという。

「この論文をきっかけに、過去に発熱を引き起こした細菌種について、より詳しい研究が進むのではないかと、わたしは考えています」と、英ロンドン大学ユニバーシティ・カレッジ(UCL)の遺伝学者ルーシー・バン・ドープ氏は言う。なお、氏は今回の研究には関与していない。

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