映像で振り返る1970年の大阪万博、あの頃の未来と、今迎えている未来の姿

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あれからぼくたちは 何かを信じてこれたかなぁ」ってことで、2025年4月13日、ついに大阪・関西万博が開催された。そして55年前となる1970年にも大阪万博が開催されていたのはみんな知っているよね。

 あの頃と今、いったい何が変わったのだろう?当時の日本がどれほど未来に夢を託していたか、そしてあの頃思い描いていた未来は訪れているのか?

 当時の貴重な映像を振り返りながら、時間の変容を感じてみよう。

 1970年3月15日、大阪府吹田市・千里丘陵に人類の夢が集結した。世界77か国が参加した、アジア初となる国際博覧会が日本で最に開催された。

 大阪万博、EXPO’70と呼ばれるこの博覧会のテーマは「人類の進歩と調和」。

 科学技術の発展を信じてやまなかった時代、当時の人々が思い描く“未来”がそこに存在していた。

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 会場では、動く歩道やモノレールに乗って各国のパビリオンを巡り、ワイヤレス電話やエスカレーターを初めて体験する人も多かった。

 3月15日から9月13日までの183日間で来場者数は6421万8770人を記録した。日の最多入場者数は9月5日の土曜日で83万6000人だったという。

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 空を見上げれば、中央にそびえる謎めいた巨大構造物、「太陽の塔」が出迎えてくれた。

太陽の塔を制作したのは、岡本太郎氏だ。彼はこの塔に“いのちのエネルギー”を込めた。

 塔の内部には「生命の樹」と呼ばれる巨大な造形が配置され、原始生命から人類の進化を描いた。まさに、生き物の歴史を辿る旅だった。

 この塔は、展示の枠を超えた“メッセージ”だった。進歩とは何か? 調和とはどうあるべきか? 技術の裏にある人間らしさが問われた万博だったとも言える。

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 会場を訪れた、ニュージーランド人のカメラマンが撮影した、その熱気と興奮が詰まった貴重な映像が公開されている。

 大盛況だった1970年の大阪万博だが、迷子の件数は4万8000件、落とし物は5万4000件、救急車出動回数は1万1000件もあったという。

 会場では100以上のパビリオンが出展し、様々なイベントが行われたが、特に注目を集めたのがタイからやってきた16頭のゾウの行進だったという。

 そして現在、2025年)4月13日から184日間、大阪は再び万博の地となった。舞台は夢洲で、テーマは「いのち輝く未来社会のデザイン」。

 今回の万博が問いかけるのは、単なる技術の進化ではない。高齢化社会、地球環境、医療、福祉、そしてサステナビリティ人がどう生きるか、いのちをどう守り、どうつなぐかがテーマなのだ。

 技術展示も、単なる「見せる」から「体験し、考える」スタイルへと変化している。

 AIとの対話や、仮想空間でのパビリオン巡り、空飛ぶクルマの試乗型シミュレーションなど、来場者自身が未来社会の一員として参加する体験が重視されている。

 70年が経過し、あの頃思い描いた未来が今我々のいる場所だ。そして2025年の万博が描く未来の形は、我々の子孫がその目で見届けることになるだろう。

 時代は変わっても、人類が夢を託す場所としての「万博」の役割は変わらない。

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