古代エジプトの水没した港を発見、クレオパトラの失われた墓と関係か
エジプトの沖合で高い建造物を含む遺構が発見された/National Geographic
(CNN) エジプト沖の海底で沈んだ港の遺構が見つかったことは、クレオパトラの失われた墓の行方をめぐる長年の謎に新たな手掛かりを与えるとともに、古代の海洋活動を垣間見る機会となりそうだ。
水中考古学のチームは、ナショナルジオグラフィック誌の探検家のキャスリーン・マルティネス氏やボブ・バラード氏とともに、地中海で、高さ6メートルを超える列柱状の構造物を確認した。さらに磨かれた石の床やセメントで固められたブロック、船のいかり、背の高い貯蔵用のつぼ「アンフォラ」など、クレオパトラの時代にさかのぼる遺物も見つかった。
チームは、アレクサンドリアの西約48キロにある古代神殿タップ・オシリス・マグナと海を結んでいたとみられる全長1305メートルの地下トンネルの調査を進める中で港を発見した。
マルティネス氏は、タップ・オシリス・マグナがクレオパトラの埋葬に関して重要な場所だと考えているものの、多くの考古学者はその仮説に懐疑的だ。
今回の発見はエジプト観光・考古省が発表し、ナショナルジオグラフィックが報じた。ドキュメンタリー番組「クレオパトラ最後の秘密(原題)」としても放映されている。
「50年この仕事をしてきた。水中に潜ってきた。だが、こんなものは見たことがない。明らかに人工物にみえる」と、バラード氏は海底の遺構について番組の中で語った。バラード氏は米ウッズホール海洋研究所の応用海洋物理学・工学の名誉上級研究員で、沈没した豪華客船タイタニック号を1985年に発見したことで知られる。
ドミニカ共和国出身で元弁護士のマルティネス氏は今回の発見が20年にわたるクレオパトラ7世の墓の探索における有望な一歩だとみている。
「クレオパトラの墓の発見は、この世紀で最も大きな発見の一つになるだろう。古代エジプト人は墓を通して私たちに語りかけている。クレオパトラの墓には、自分自身や時代、考え方について、クレオパトラが私たちに知ってほしかった重要な情報が残されているはずだ」とマルティネス氏は語った。
クレオパトラの死の謎
クレオパトラはわずか39年の短い生涯ながら、数少ない女性の統治者の一人であり、古代エジプト最後のファラオとして古代世界に大きな影響を与えた。
クレオパトラは紀元前69年にアレクサンドリアで生まれ、18歳で即位。紀元前31年のアクティウムの海戦でローマ帝国の創始者であるオクタビアヌス(後のアウグストゥス帝)に敗れ、翌紀元前30年に死去した。
勝利したローマ側はクレオパトラの記憶を消し去ろうとその肖像を破壊した。マルティネス氏によれば、現存する女王像は7点にとどまる。
「クレオパトラは謎に包まれ、同時に神話になった。クレオパトラが実際にどんな容姿をしていたのかさえ定かではない。墓が完全な形で見つかれば、その疑問のすべてが解けるだろう」とマルティネス氏は語る。
番組によれば、捕虜となることを拒んだクレオパトラがアレクサンドリアで毒蛇に自らをかませて命を絶ったという伝説がある。しかし実際の正確な死の状況は不明で、毒を飲んで死んだとする見方もある。
「自分の遺体がローマ人の手に渡るのを阻止するためにどんな手段も取ったと思う」とマルティネス氏は番組の中で述べている。
マルティネス氏の仮説では、クレオパトラの死後、遺体はタップ・オシリス・マグナに運ばれ、地下トンネルを通って沖合の港へと移され、秘密の場所に埋葬された可能性がある。
生前、クレオパトラは女神イシスと深く結びつけられていた。古代エジプトでは王族は神々の化身とみなされていたためだ。マルティネス氏はクレオパトラが亡くなったとされるアレクサンドリア周辺の神殿を調査し、小規模なものやイシスの神殿ではないものを除外した。
その結果、マルティネス氏は、現在のブルグ・エル・アラブの町にある大規模なタップ・オシリス・マグナの遺構に着目した。この神殿がどの神にささげられたものかや、誰が建設したのかについては記録が残っていなかった。2004年に発掘許可を得て調査を開始し、05年には、ギリシャ語とヒエログリフが刻まれた青いガラス片を発見した。それは神殿がイシスにささげられたことを示す礎石だった。
その数週間後、調査隊は現場でクレオパトラの顔と名前が刻まれた数百枚の青銅貨を発見した。以来、マルティネス氏のチームは数々の遺物を発掘しており、22年にはタップ・オシリス・マグナの地下約13メートルに位置する長いトンネルを発見した。調査の過程で、このトンネルが海へと通じているように見えることに気が付き、マルティネス氏はバラード氏に協力を求めた。
潜水調査では、サンゴに覆われた水没した港のような遺構が確認された。エジプト観光・考古省の発表によると、地図による解析では当時の海岸線は現在の海岸線から約4キロ離れた場所にあったことが分かった。
クレオパトラの墓を探して
エジプト観光・考古省は昨年12月、SNSへの投稿で、マルティネス氏らのチームがタップ・オシリス・マグナの外側の囲いの南壁の下でも新たな発見をしたと明らかにした。
研究者はクレオパトラの顔が刻まれたものを含む計337枚のコインのほか、食料や化粧品を納めるための陶器、石灰岩製の容器、女神ハトホルにささげられた青銅の指輪、「ラーの正義は輝いている」と刻まれたスカラベ形のお守りを発掘した。
指輪や陶器片の分析から、この神殿の建設が紀元前1世紀にさかのぼることが分かったと同省は説明している。
また、王冠をかぶった女性の小像や石灰岩製の王の胸像も出土した。
マルティネス氏は番組で、この女性像がクレオパトラを表しているとの見方を示した。
観光・考古省は声明で「多くの考古学者がこの見解に異を唱えており、顔の特徴がクレオパトラ7世の既知の描写とは異なると指摘している。別の王族の女性、もしくは王女を表している可能性が高い」と述べた。
現在、マルティネス氏らは水中遺跡から出土した土器や遺物を詳しく調べるため、試料の採取を進めようとしている。マルティネス氏は発掘のたびに墓に一歩近づいていると感じると述べた。クレオパトラの墓、そして史料に一緒に埋葬されたと記されているローマの将軍であり恋人でもあったマルクス・アントニウスの墓の発見は時間の問題だとみている。
だが、専門家は、タップ・オシリス・マグナに関連する埋葬地というマルティネス氏の説について、依然として懐疑的だ。
英ケンブリッジ大学のポート・カートレッジ名誉教授(ギリシャ文化)はメールで、「私の見解では、クレオパトラはアレクサンドリアの王家の墓地に埋葬された」と述べた。
カートレッジ氏は古代ギリシャ・ローマ世界とヘレニズム時代アレクサンドリアの歴史家だが、クレオパトラの専門家ではないと述べた。今回の発掘調査にも関わっていない。
カートレッジ氏は「(皇帝)アウグストゥスはクレオパトラがそこに埋葬されたままであることを望んだに違いない。クレオパトラはエジプト最後のファラオであり、自身とローマをファラオの正統かつ直接の後継者と位置付けていた」と述べた。アレクサンドリアの地域はその後、地震や地盤沈下、海面上昇によって現在は完全に水没しており、海洋の専門家でもエジプト王家の墓を見つけることはできないだろうとの見方を示した。