「金持ちは金持ちのまま」高校無償化でもこぼれ落ちる地方世帯の嘆き

秋田県北部の公立高の男子生徒は政府が進める私立無償化について「選択肢が広がったとは思えない」と受け止めている=秋田県北部で2025年6月19日午後7時31分、斎藤文太郎撮影

 秋田県に住む高校1年生の田中広太さん(15)=仮名=は中学生のころ、憧れた陸上選手の後を追い、私立高校への進学を望んだ。

 しかし、そこに家計という壁が立ちはだかった。私立高の授業料無償化の範囲が広がっても、状況は変わらなかった。

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 「私立無償化で将来の選択肢が広がったとは思えない」

 2026年度から本格的に始まる私立高授業料の実質無償化は、経済状況によらずに進路の選択肢を広げることが狙いだ。しかし無償化の経費は首都圏に集中して投下されるという試算もあり、地方には恩恵を感じられない人たちもいる。

 こうしたなか、私立高無償化は参院選の主要な争点にはなっていない。このままでいいのだろうか。

憧れの選手が通う私立 進学に母「反対」

 6月下旬、夕闇の迫る秋田県北部の陸上競技場。近くの町に住む田中さんは軽快なリズムでトラックを駆け抜け、ハードルを跳び越えていった。最後の1台に足をひっかけると、悔しそうな表情を浮かべながらレーンを見つめた。

 陸上競技は中学で始めた。2年でハードルに挑戦するとタイムがぐんぐん縮んだ。県内中高の有望選手が一堂に会する合宿で、3歳上のある選手に出会った。

 ハードルを跳ぶ姿勢が美しく、県大会での上位入賞は当たり前。東北大会や全国大会にも出場する選手だった。「自分もああなりたい」。走り方をじっくり観察し、大会の記録も逐一チェックした。フォームだけでなく髪形もまねた。

 その選手は、秋田市にある私立高の生徒だった。陸上競技の短距離では県内有数の強豪とされる学校だ。

秋田県北部の公立高に入学した男子生徒。陸上競技は続けているが、1万数千円という競技用のスパイクは消耗品だ=秋田県北部で2025年6月19日午後7時半、斎藤文太郎撮影

 「自分も同じ高校に行きたい」。積雪のため屋外での練習ができなくなる冬、自宅から約1時間離れた体育館で練習した後、送迎してくれた母(45)に車中で打ち明けた。

 母は反対した。応援したい気持ちはあったが、家計負担の重さが理由の一つだ。田中さんは母と弟、祖父母の5人暮らし。唯一仕事をしている母が生計を支える。

 これまで政府は、子どもの通学先が私立か公立かを問わず年収910万円未満の世帯に公立授業料相当の11万8000円を、私立生がいる年収590万円未満の世帯に対しては39万6000円を上限に支給している。

 田中さんが希望する私立に進学しても、授業料は無償になるはずだった。

無償でも苦しい家計 将来の不安も

 それでも、不安を感じた理由を母はこう振り返る。

 「私立では授業料以外にも『施設使用料』などの負担があると聞く。通学にかかる時間は片道1時間半以上。仕事もあるので毎日の送迎は難しく、公共交通機関を使えば定期券代がかかる。部活動に力を入れるなら朝練もあり、電車の本数も少ないのでそもそも通えるかも分からない。アパートを借りるとなるとますます費用がかかる」

 家計に余裕はなかった。自宅ではガス代や電気代を少しでも安く抑えられるよう入浴時間を削る。いつも半額セールの時間帯を狙って食材を買い込むといい「店員から『半額おばさん』と言われてはいないかな」と冗談交じりで話す。

 田中さんには携帯電話を中学卒業まで持たせなかった。40人弱いた中学のクラスメートのうち、携帯を持っていないのは3人だけだった。

 加えて、母には将来の不安もあった。

 地元の公立高は進学でも就職でもそれなりの実績がある。それに比べ、その私立高は進学や就職に強いという話を聞いたことがなかった。

 部活でどれだけ頑張ったとしても、トップ選手になれるのはごく一握り。その先はどうやって生きていくのか――。

 田中さんは結局、中3の秋に地元公立高への進学を決断した。

制度、疑念抱く母子

国、東京都、大阪府による現行の高校授業料支援

 その冬、「私立無償化」の話題が降ってわいた。自民党、公明党、日本維新の会の3党が合意したのは、富裕層と私立生への支援を拡充する内容だ。25年度は所得制限が撤廃され、26年度からは私立生がいる世帯への支給額上限が45万7000円まで引き上げられる。

 田中さんと母は、私立無償化を報じるニュースを冷ややかな視線で見つめた。

 苦労して納めた税金が使われる制度なのに、地方の自分たちに選択肢は少なく、私立高が多く世帯収入も高い都会の生徒ばかり得をする――。

 「金持ちは金持ちになり続けるんですよね」

 母は、釈然としない思いをそう表現した。

 その疑念を裏付けるデータを、文部科学省も試算していた。23年度の授業料支援の支給実績に基づく機械的な試算だが、3党合意の内容が実施された場合、必要となる追加経費は約3938億円。そのうち35・7%にあたる約1405億円が東京と神奈川、埼玉、千葉の1都3県に投じられる計算だった。

税金使って都会だけ得?

 生徒数だけで見れば、1都3県が全国に占める割合は25・9%にとどまる。これを超える割合で無償化の経費が投じられる背景には、私立が1都3県に集中し、私立への進学率も高いことがある。

 「地方交付税措置などを考えれば全体として都市部が地方から財源を吸い上げているとは言い難く、この数字だけで私立無償化の良しあしを評価することはできない」

 文科省の担当者はそう説明するが、地方にとって恩恵の薄い制度とみることはできる。

 田中さんは公立高に進み、陸上を続けている。

私立高への進学を諦め、公立高に進学した1年の男子生徒。陸上競技は続けている=秋田県北部で2025年6月19日午後7時29分、斎藤文太郎撮影

 「家計の厳しさは分かっているから、(私立高進学の断念は)しょうがない。でも、私立無償化でも選択肢が広がったとは思えない」

 やりたいことを探すために大学進学を希望しているが、高卒で地元での就職を望む母とはまだ折り合えていない。

大阪で公立高の定員割れも

 国政選挙のたび、多くの政党が教育費負担を軽減すると訴える。高校無償化は3党合意で実現が決まったが、参院選に向けては立憲民主党や国民民主党なども政策に掲げる。ただ、私立無償化ばかりが先行すれば、公立から私立に生徒が流出すると懸念する声もある。

 施設・設備の充実ぶりやカリキュラムの自由度で優位に立つとされる私立の授業料負担がなくなり、私立が公立と同じ土俵で生徒を取り合うことになれば、公立には勝ち目はないからだ。

 実際、無償化を先行実施した大阪府では公立高の定員割れが増えている。

公立校の改善こそ優先を

 公立高の実情を考え、声を上げ始めた高校生もいる。

私立無償化に対する考えを語る長野県屋代高1年の森栗之介さん。右奥は文部科学省の庁舎=東京都港区で2025年6月26日午後3時59分、斎藤文太郎撮影

 「低所得層へのより手厚い支援と、公教育に対する支援の拡充がなければ、現在の私立無償化案には賛成できない」

 そう話すのは、長野県千曲市の県立の屋代高校に通う1年、森栗之介さん(17)だ。

 幼い頃からものづくりやプログラミングに興味があり、地元の公立小から理数系教育に力を入れている屋代高の付属中に入学し、内部進学した。

 目の当たりにしたのは教員の多忙さだ。中学時代に親しくなった教員はいつも校内を走り回っていた。

 「疲れているんだよ。残業100時間超えなんだよ」と言われたこともある。質問があり職員室を訪ねても姿が見当たらないことが多く、質問はしにくくなった。

 仲良くなった別の教員の「先生にはならないほうがいい。なるなら覚悟してこいよ」という言葉は忘れられない。

留学したフィンランドの公立高の写真を示す森栗之介さん。日本で通う公立高との環境の違いに驚き、公教育の予算を拡充する必要を感じたという=東京都港区で2025年6月26日午後3時35分、斎藤文太郎撮影

 高校ではある教員が6月中旬、「忙しすぎ。明日で27連勤だよ」とこぼした。学級担任も務めながら複数の部活動の顧問も引き受けており、大会への同行で休日は潰れるという。

 多忙化の要因の一つとされる部活動について文科省は「地域展開」の名称で外部化を進める方針だ。ただ、地域によって受け皿となるスポーツクラブや民間の指導者の有無には差がある。

「地方消滅だ」

 予算不足も痛感した。中学では夏場、職員室で教員が暑さを嘆きながらも「エアコンを長時間つけると『金がかかる』と怒られるから、すぐ消す」と言っていた。

 高校ではWiーFi(ワイファイ)の電波が届かず、1人1台活用する端末に教材がダウンロードできないエリアがある。教室から最寄りのトイレは和式で汚く、わざわざ遠い洋式トイレに行っている。暖房も古く、露出した煙突でやけどした友人もいる。

 「私立を一律無償化する財源があるなら、公立の教員を増やしたり、施設を整備したりできるのでは」

私立無償化への反対と公立の環境改善を求める署名活動結果を報告し、記者会見した森栗之介さん(右)。左は署名発起人の大学生、秀島知永子さん=東京都千代田区で2025年6月26日、斎藤文太郎撮影

 そんなモヤモヤを抱き、3月下旬に知人がオンラインで始めた私立無償化への反対と公立の環境改善を求める署名活動に協力した。署名は3万6000筆を超え、6月26日に文科省で記者会見してこう訴えた。

 「一律での私立無償化が先行し、地方の公立は切り捨てられていく現状がある。それは静かに進む地方消滅だ。学びを続けられるとはどういうことか。地域差をどう埋めていくのか。そうした問いに制度が向き合わなければ、格差はどんどん広がってしまう」【斎藤文太郎】

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