目指すべきは

10/20 9:16 配信

治療法のない病気になったら、どうすればいいのか。精神科医の春日武彦さんは「大事なのは“病気を治すこと”ではなく“幸福の着地点を探ること”だ」という。42歳で「緑内障」と診断された歌人・穂村弘さんの半生を綴った『満月が欠けている』(ライフサイエンス出版)の中から、2人の対談をお届けする――。■あまりにも自然にウソをつく人 【穂村】春日先生は精神科を専門にされていますが、産婦人科とは違った意味での怖さがあるように思います。以前、虚言癖があるような人と話しただけで、とてつもなく怖さを感じました。 【春日】私だって怖いですよ。 【穂村】相手があまりにも自然体なので、あれ、こっちがおかしいのかなと思い始めて、世界が歪むような感覚を覚えたんです。 【春日】私の患者さんにはパーソナリティ障害が結構多いのですが、最初から「私の人格がおかしいので何とかしてください」と言ってくる人はいません。 だいたい初診の段階でパーソナリティ障害だと見当はつくのですが、患者さんのほうは「不眠やうつを治してほしい」と言うわけです。 とりあえず言われるがまま主訴の治療をするわけですが、症状はパーソナリティ障害に立脚しているわけですから、すっきりとは改善しない。そのうちさまざまな問題が露呈してきて、どんどん事態は厄介になっていく。 【穂村】患者さんの中にはパーソナリティ障害だと言っても納得しない人もいるのでは。 【春日】下手に指摘すると人間性を否定されたように受け取ってしまわれかねませんし、パーソナリティ障害には「治る」という概念が当てはまりません。 「生きづらさ」といったテーマになってきますから、医療には馴染みにくい部分も多い。■「治る」の基準はどこにある 【穂村】そういった時は治療を諦めるのですか。 【春日】いや、そうもいかない。 訴えに沿いつつも、もう少し器用に生きていけるように助言したり、もっと別な考え方や人生観だってあり得るよと話し合ったりします。そうなると、もはや世間的に意味するところの「治療」とはニュアンスが異なってきますね。 【穂村】さまざまな選択肢があるんですね。精神科では治ったという判断の目安はあるのでしょうか。 【春日】実は精神科で「完治」というコンセプトが当てはまるケースはほとんどありません。 なぜならその人の性格や生き方とは無縁に精神症状が発現してくるわけではありませんから。 疾患の部分だけをピックアップして取り沙汰しても、本当の解決にはつながらない。といって性格や生き方を完全に変えてしまったら、その人はもはや別人になってしまいますからね。 治療を終える場合も「また調子が悪くなったら来てね」というフェードアウトの形が一番多いんです。患者さんの中には勝手に来なくなるケースもあります。

 【穂村】通院をサボっているのか、調子が良くなって来ないのか判断が難しいですね。反対に、治っているのに来る人もいるのかな。

■「健康=ハッピー」なのか 【春日】結構います。例えば、うつ病は良くなっているものの、その患者さんの生活を考えると病気であるほうが救いになっていることがあります。 今は病人として扱われているから、仕事や経済面でさまざまな免除があるけれども、治ってしまうと辛い日々が待ち受けていることだってあるんですよ。 本人としては治りたいけど、現実に直面することを思うと治りたくない。詐病ではないけれども、躊躇があればどうしても本調子にはならない。 そうなると、「もうしばらく治療しましょうね」という話になります。これは阿吽の呼吸ですね。 【穂村】骨折だったらそうはいかないですよね。 【春日】精神科の場合、病気を治すという発想でやっていたらあまり意味がありません。患者さんの考える幸福の着地点をいっしょに見つけるほうが重要だと思います。 軽い病人であるほうが幸せなんていう人はいくらでもいるわけです。健康すなわちハッピーとはまったく言えません。 【穂村】どう生きていきたいのかという患者さんの主観にかかっているんですね。 【春日】病気を「やっつける」「退治する」といった単純な考え方では、精神科では通用しないということです。 その延長で申すなら、ぜんそくや緑内障などの慢性疾患も完治するという発想を捨てれば、どの辺りで折り合いをつけるのかという話になると思います。その点では精神科と近いところがあるのではないでしょうか。■精神を病んだ人と、健康な人との違い 【穂村】春日先生は精神疾患と慢性疾患の付き合い方に似ている部分があると指摘されましたが、患者さんを診察する際に大切にしていることはありますか。慢性疾患の治療をしている方にも参考になるのではないかと思います。 【春日】私が診療で重要だと思っているのが、「プロセス」と「罪悪感」です。 人生にはなかなか結論や結果が出ないとか、どう頑張っていいのか分からないとか、中途半端であったり曖昧な状態にとにかく耐えなければならないシーンが多い。 我武者羅に努力すればどうにかなる、なんてわけにはいかない。 だからせめて過去の成功体験にすがって自分を勇気づけたり、本やドラマを通して自身を鼓舞したり、楽天的で前向きな気持ちになろうとあれこれ工夫しつつ機が熟すのを待つしかない。 でも精神を病むと、機が熟すのを待つだけの余裕が失われてしまうんです。 「待てば海路の日和あり」と鷹揚に構えてみるとか、せめて可能な範囲で準備を整えるとか、ちょっと方向性を変えてみるとかの「ゆとり」がなくなってしまう。 あたかも無駄とか回り道のように見えるプロセスの必要性を患者さんは信じられなくなる。

 私が言う「プロセス」とは、そのような無意味に映るけれども実は必要不可欠な過程のことですね。

■いったん「効率主義」は捨ててみる 【穂村】もの書きの作業なんていつも先が見えない宙吊り状態ですね。 【春日】確かに、満足のいく原稿が完成するかどうかなんて不確定要素も多くて分からないわけです。 ですから、錯覚でも何でもよいので、患者さんが偏狭な成果主義、けちくさい効率主義へのこだわりを捨てて、もっと肩の力を抜くことが大切なんだと思います。 罪悪感について言えば、患者さんの中には親の期待に応えられなかったり、自分自身の理想に近づけなかったりといったある種の後悔を引きずっている人がいます。 でも、罪悪感を持っていない人なんていません。むしろエネルギーにすらなり得る。 そのことをはっきりと指摘したほうが患者さんの中で気持ちが整理されて楽になる場合もあるんですよね。 【穂村】先ほどの患者さんの話のように、指摘に対してネガティブな反応を示す場合もあるのではないかと思います。患者さんが自分自身で気持ちを整理できる方法はありますか。 【春日】自分の抱えている問題を明瞭に言語化することは大切なことだと思います。そうすると、何に問題があったのかが自分で分かるようになります。それと他人に告白をするのは予想以上に気持ちがすっきりするのでお勧めですね。辛さを「吐き出す」わけですから。■「他人の悩み」にはどう反応すればいいのか 【春日】たいていの人は他人の悩みを聞くことを嫌がります。 それは気の利いた助言をしないといけないと思うからです。 でも、本当はそんなことを言う必要はありません。「言い辛いことをよく話してくださいました」と、共感を示すだけでも患者さんは救われることが多いのです。 【穂村】お話を伺っていて、自分には精神科医はとても務まりそうもないな、と思いました。春日先生が患者さんを指導する際に伝えていることはありますか。 【春日】生活リズムを整えることの大切さを伝えています。 精神を病むということは、社会にアクセスできない状態になっていると言えます。生活が乱れていたら、いよいよ自己完結的になってしまう。 実は精神科の患者さんの多くが、基本的なことをないがしろにしているにもかかわらず、「病気が治れば一発逆転の人生が待っている」と考えがちなんですね。 そういえば、昔は六法全書を買ってきて、まえがきから書き写している患者さんがよくいました。患者さんは「しっかりと基礎から勉強」と言うのですが、基礎から学ぶのと、まえがきを写すのは違うでしょう。やっていることがチグハグなんですよ。----------春日 武彦(かすが・たけひこ)精神科医/作家1951年、京都府生まれ。日本医科大学卒業。産婦人科医を経て、精神科医に。都立精神保健福祉センター、都立松沢病院精神科部長、多摩中央病院院長などを経て、現在も臨床に携わっている。著書に『援助者必携 はじめての精神科 第3版』(医学書院)、『奇想版 精神医学事典』(河出書房新社)など多数。--------------------穂村 弘(ほむら・ひろし)歌人1962年札幌市生まれ。1985年より短歌の創作を始める。2008年『短歌の友人』で伊藤整文学賞、2017年『鳥肌が』で講談社エッセイ賞、2018年『水中翼船炎上中』で若山牧水賞を受賞。歌集『シンジケート』『手紙魔まみ、夏の引越し(ウサギ連れ)』『ラインマーカーズ』、詩集『求愛瞳孔反射』、エッセイ集『世界音痴』『にょっ記』『野良猫を尊敬した日』など、近著に『図書館の外は嵐』がある。

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プレジデントオンライン

最終更新:10/20(月) 9:16

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