ノーベル賞を再構築せよ:ノーベルの遺志を読み直す
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今年は久しぶりに二人の日本人科学者がノーベル賞を受賞し、日本の学問にとって輝かしい年となりました。海外でこのようなニュースを耳にすると、海外在住の日本人としても実に誇らしい気持ちになります。
「学問と人類の進歩」を象徴する最高の栄誉とされるノーベル賞ですが、医学・生理学賞、物理学賞、化学賞のように再現性を必要とする絶対的事実を前提とする自然科学分野の業績と、審査側の価値観や恣意に左右される人文科学分野の業績では、その反応に大きな違いがあると感じます。
文学賞・平和賞・経済学賞の三分野では、選考が社会的・政治的文脈に左右され、結果として「恣意の制度化」という逆説に陥っているのではないでしょうか。
ロバート・マートンとマイロン・ショールズは、ブラック=ショールズ理論を拡張し、デリバティブの価格評価理論を数学的に確立したことで、1997年にノーベル記念経済学賞を受賞しました。この理論は金融市場で幅広く応用され、多くのヘッジ戦略やリスク管理手法の基盤となりましたが、その応用が資産運用会社やヘッジファンドに取り込まれ、特にLTCM(Long-Term Capital Management)というファンドの破綻事件につながったことが、受賞理論の実践的妥当性と社会的責任をめぐる批判の焦点となりました。
一方、マートンとショールズは創立パートナーとして資金を失いながらも、法的制裁を受けることはなく、「ノーベル賞学者でも市場は読めない」という象徴的な教訓として記憶されるにとどまりました。
LTCMの破綻時には短期間で巨額の損失が膨らみ、最終的にはFRB(ニューヨーク連銀)の仲介でウォール街の銀行14社が36億ドルの救済出資を行い、連鎖危機を回避しました。理論による利益は私的に得られ、損失の一部を社会・公的機関が被ったというのが現実でした。
アルフレッド・ノーベルの遺言には、「人類に最大の利益をもたらした者に授与すること」と記されています。ここでいう「利益」とは、実証可能な知的貢献を指していたのではないかと思うと、マートンとショールズの受賞はノーベルの意思とはかけ離れているという疑問が消えません。
ノーベル賞は本来、「個人の発明・発見・貢献」を顕彰する制度として設計されました。アルフレッド・ノーベルの遺言にも、「人類の利益に最大の貢献をした個人に授与すべし」と明記されています。
しかし20世紀後半以降、科学・平和・文学など、あらゆる分野が集団的活動・組織的成果に依存するようになり、個人単位の授賞原則が限界に達しています。
平和や文学が人間の精神を高めることは確かですが、それを「誰が」「どの基準で」測るのかという問題は、時代が進むほど難しくなっています。この点で、ノーベルの理念は少し置き去りにされてしまったように感じます。
その典型がトランプ大統領の想像を超えたノーベル平和賞への願望です。彼のノーベル賞への執着には、過去に平和賞を受賞した米国の大統領、副大統領経験者5名が全員民主党出身者であることへの憤りがあるのかもしれません。
見せ場を作るのが得意技のトランプは、意図的に騒動を起こし、自分が調停した形に見せるというマッチポンプ現象まで見られるようになってしまいました。
ノーベル賞という制度がその威信を保ち続けるためには、「再現性を伴う知の成果を評価する賞」と「時代的・文化的価値を称える賞」を明確に分けることが大切だと思います。
私は経済、文学、平和の分野が顕彰に値しないと主張しているのではありません。ただ、この分野の顕彰をノーベルの名のもとに続けることは、もはやノーベルの遺志を超えた拡大解釈に近いのではないかという疑問が湧くのです。
実際、アルフレッド・ノーベルの曾姪孫にあたるピーター・ノーベル氏も、経済学賞について「ノーベルの遺志とは無関係な“スウェーデン銀行の創作物”である」と指摘し、平和賞の政治的傾向にも懸念を表明しています。
文学賞・平和賞・経済学賞の三分野は、それぞれが独立財団や国際的アカデミー制度として発展していく方が自然に思えます。
一方、物理・化学・医学(生理学を含む)の三分野は、ますます細分化・精密化が進んでいます。その意味では、分離する三分野の代わりに、科学3賞をそれぞれ二分割して六分野にすることも一案かもしれませんが、その点は専門家の検討に委ねたいと思います。
賞の威信は、誰が受け取るかではなく、何を測るかに宿るのだと思います。
もし再現性という科学の礎を失ってしまえば、ノーベル賞は「選考委員の信仰」を飾る儀式に変わってしまうかもしれません。アルフレッド・ノーベルの精神は、制度そのものよりも、未知への探究を恐れなかった知の勇気にあったはずです。
いま私たちに求められているのは、ノーベル賞という制度を守ることではなく、ノーベルの良心を再生することだと信じます。