廃虚ホテルに巨大タワー 倒壊の懸念も 絶景夕日が台無し 瀬戸内海に残るバブル遺産
穏やかな海に、多くの島々が浮かぶ風光明媚(めいび)な瀬戸内海。青々とした海と瀬戸大橋のコントラストも魅力の一つです。 そんな雄大な景色を眺めることができる、岡山県のある山に、こんな光景が…。瀬戸内海を望む山の中腹に、遠目で見てもさびが目立ち、異様な雰囲気を醸し出す建物があります。 隣接するホテルだった建物はほとんどの窓が割られ、落書きだらけ。まさに荒れ果てた「廃墟」です。 この建物はバブル期の1990年に営業を開始したホテル。上昇し回転するドーナツ型の展望台が付けられた高さ137メートルの巨大タワーが目玉で、当時は多くの人でにぎわったといいます。実際に展望台に乗った地元の人は、次のように話します。 「すべて窓なので。どこ行っても止まってても全部回るので、見えるんですよ。360度ずっと見えるので。瀬戸大橋も見えるので、すごくきれいなイメージがあります」 「(Q.感激しました?)感激しました。もうこの建物すごいなっていうのがあって。もう何年かしたら、もう廃墟になってって」 バブル崩壊などに伴い運営会社が資金難に陥ったため、7年余りで閉館。現在は民間の法人が所有しているといいますが、解体や活用の計画は特に無いといいます。 かつて多くの人たちが瀬戸内海の絶景を楽しんだドーナツ型の展望台も残されたままです。
バブル期に建てられた、かつての“街のシンボルタワー”。それが今では住民を苦しめる“負の遺産”になっているといいます。 当時展望台に乗った地元住民 「もう落書きだらけです。もう廃墟」 「(Q.落書きは侵入者がいて?)そうですね。よく心霊スポットにもなっている。ちょっと怖いなっていうのがあって」 廃墟化が進むにつれ、ネット上で心霊スポットとして有名に。侵入者が続出し、2020年から2021年にかけては30人が検挙・指導されています。 他にも、住民の悩みの種があるといいます。 自治会長 岩津睦雄さん 「騒音で、みんな文句を言います。北風が吹くと、つり下げるワイヤーによって琴のような響きで」 ワイヤーが風に揺られて擦れ、キュルキュルと甲高い音を発しています。強風の日には、ワイヤーがタワーに打ち付け、太鼓を鳴らすような音が付近の住宅街に鳴り響くこともあるといいます。 さらに住民にとって、最も心配なことは…。 岩津さん 「鉄で作ったものだから、いずれは崩壊するんじゃないか?という恐れ」 閉業から28年間に渡り放置されたタワーはさびが目立ち、住民は大地震が起きた場合などに倒壊する危険性を訴えています。 岩津さん 「どれぐらいの地震でこれが耐えられるのかいうことが、私らにはっきり分からんので。やはり素人目で見ると、やっぱり怖いということが先立ちますわな。できれば早い方向で撤去していただければ安心できるかなと思う」 町内会では過去に市に対して、騒音の問題と倒壊の恐れについて対策を要望。倉敷市はこの建物に関して、所有者に管理責任があるとしたうえで、管理不十分な状態が続くなら、定期的にパトロールなどをするとしています。
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困っているのは、住民だけではありません。 せとうち児島ホテル アシスタントマネージャー 黒田和宏さん 「二十数年前からですね、あの形がちょっと変わらないわけなんですけれども、180度こうずーっと見ていると、やはりここが非常にちょっと目にとまってしまうっていう」 瀬戸内海を見下ろす鷲羽山にあるホテルの客室からは、廃墟になったホテルがはっきりと見えてしまう状況です。 黒田さん 「ちょうどこの季節、西のほうから夕日もご覧いただけるんですが。ちょうど鉄塔と重なってしまう。残念なことになっている」 日本の夕陽百選に選ばれている鷲羽山からの見事な夕陽に、廃墟ホテルが写り込んでしまう事態に。 黒田さん 「やはりもう、明らかに廃墟のホテルというのが分かりますでしょう。何らかの形で撤去ですね。撤去ということの思いが、私としては強いわけでございます」
1988年に開通した瀬戸大橋。開通式には当時の皇太子ご夫妻も出席され、盛大に行われました。 瀬戸大橋開通を記念して開かれた博覧会は多くの人でにぎわい、一躍「瀬戸大橋ブーム」に。本州と四国を初めてつないだ瀬戸大橋。地元の企業などは観光客の増加を期待し、ホテルやレジャー施設を次々と建設しました。 しかし、当初の見込みより瀬戸大橋の利用者数は伸びず、さらに91年にはバブルが崩壊。経営難に陥ったホテルや施設が次々と閉鎖を強いられました。 瀬戸内海では他にも、バブル期に建てられたホテルの廃墟化が相次いでいます。 瀬戸大橋をすぐそばに眺める小与島。周囲1.3キロの小さな島ですが、かつては採石場として栄え最盛期には200人の住民が暮らしていました。 しかし、次第に石が枯渇し、採石業者は廃業。島民は次々と島を離れ、現在は夫婦一組のみに。この島で生まれ育った、76歳の中野三郎さんに島を案内してもらいました。 中野さん 「瀬戸大橋が開通する平成の初めのころかな、ほぼ一緒ぐらいにできた。入り口の所がプールみたいになって、当初はそこのところでみんなテーブルを出したりして、にぎやかだった」 島の突端に立つ洋風な建物が、今では廃墟になっているリゾートホテルだといいます。 1991年に撮影されたホテルの映像には、入り口にプールがあり、テラスには椅子やテーブルが置かれていますが、現在は見る影もありません。 正面にプールがあったということなんですが、うっそうと草が生い茂って何も見えません。この2階は一部窓ガラスがありません。割れている状態でしょうか。一見きれいには見えますが、荒れた状態です。 バブル期には、島を巡りこんな動きもあったといいます。 中野さん 「ここをリゾートにして、石を取って中が深くなってる所にクジラを泳がすとか、そういうような話も。自分らが石の仕事をしている時に、その分(の補償)も全部ひっくるめて立ち退き、そんなんもあった」 島全体をリゾート施設化するため、当時30人ほどいた島民全員が開発会社から立ち退きを求められましたといいます。しかし、瀬戸大橋ブームの終焉(しゅうえん)やバブル崩壊でリゾート計画は頓挫(とんざ)。ホテルも経営難で1997年には廃業したといいます。 2007年、建物が国による競売にかけられ内部が公開された時の映像。廃業から10年ほど経っているにもかかわらず、中はきれいに保たれており、瀬戸内海のオーシャンビューが広がっています。 この時、ホテルは約3600万円で落札されましたが、落札者からの入金が行われず取り消しに。その後も手付かずのまま、現在に至ります。 島がある香川県坂出市は現在、建物の所有者を把握できていない状態だといいます。 中野さん 「誰かが買って引き継いでくれるのが一番いいけど。なかなか前へ進まないんじゃないかな」