地球と共に生きるインドのセミ 太陽が地平線下3.8度に達した瞬間、一斉に鳴き始める

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  インド南部の森では、毎朝決まった時刻にセミの大合唱が響き渡る。その始まりの瞬間には、自然のリズムに驚くべき秘密が隠されていた。

 科学者たちが突き止めたのは、セミたちが太陽が地平線の下3.8度にあるという、わずかな光の変化を合図に一斉に鳴き始めているという事実だった。

 この絶妙なタイミングは、光の変化を鋭く察知するセミたちの「自然時計」とも言えるもので、まるで地球そのものの呼吸と調和しているかのようだ。

 この行動は、単なる個体の反応ではなく、周囲のセミたちとのやり取りによって決まっている。科学者たちはこの習性に、動物の集団行動を解き明かす手がかりを見出そうとしている。

 この研究は学術誌『Physical Review E』(2025年8月1日付)に掲載された。

 この研究のきっかけは、インド南部ベンガルール在住のエンジニア、ラケシュ・カンナ氏による観察だった。彼は数年前からセミの鳴き声に興味を持ち、自ら録音を続けていた。

彼らの鳴き声は非常に大きいだけでなく、驚くほど同期しています。集団内で合わせたかのように、一斉に始まり一斉に終わるのです(ケシュ・カンナ氏)

 鳥類や他の昆虫にも、こうした集団行動は知られているが、セミの大合唱がどのようにして起こるのか、その仕組みはこれまでほとんど研究されていなかった。

 この現象に着目したのが、イギリス・ケンブリッジ大学応用数学・理論物理学科の研究チームと、イスラエル・ワイツマン科学研究所のニール・ゴヴ教授である。

 彼らはカンナ氏の観察をもとに、インド南部カルナータカ州ベンガルール近郊の2か所で本格的な調査を行った。

 調査地のひとつは、低木と草が点在する開けた草地。もう一方は、竹林に囲まれた森である。

 研究チームは、プラティプレウラ・カピタータ(Platypleura capitata)というセミの一種に注目し2023年4月から5月にかけて2週間分のセミの鳴き声を録音し、そのデータを詳細に解析した。

 その結果、セミたちが鳴き始める正確なタイミングを突き止めた。 

プラティプレウラ・カピタータ(Platypleura capitata)という種のセミの鳴き声

 観察の結果、セミたちは昼間にはバラバラに鳴くこともあるが、夜明け前には、必ずといっていいほど大合唱が起こることがわかった。

 曇った日を除けば、セミたちは毎朝、夜明け前の空の明るさがある一定の段階に達したとき、一斉に鳴き始めていた。

 さらに調べると、鳴き声の音量が一気に盛り上がるタイミングは、日の出の時刻にかかわらず、常に太陽が地平線下3.8度にある瞬間に起きていたことが明らかになった。

 セミたちは、光の強さが特定のしきい値、つまり境界となる明るさに達したときに反応していると考えられ、その変動範囲はわずか25%以内だったという。

この画像を大きなサイズで見るimage credit:photoAC

 もしセミが光の強さだけを頼りに鳴き始めているのだとすれば、木の陰にいる個体や光への感受性の違いによって、鳴き始めのタイミングにはもっとばらつきがあってもよさそうである。

 ところが、実際の観察では、そうしたばらつきはほとんど見られなかった。1匹が鳴き始めると、60秒以内に周囲のセミも次々に加わり、大合唱が始まるという。

 下の図は、4月24日から5月1日までの観測データをもとに作成された、セミたちの合唱のタイムラインを示したグラフである。

 日中はそれぞれがバラバラに鳴いているが、日の出前の時刻には必ず一斉に鳴き始めている様子が確認できる。

この画像を大きなサイズで見るimage credit: Rakesh Khanna A. et al. Physical Review E CC BY 4.0

 この見事な「同期」の仕組みを解き明かすため、研究者たちは物理学で用いられる「スピン」という概念を応用したモデルを構築した。

 スピンとは、磁石の中に存在する小さな単位で、上向きと下向きという2つの状態をとる。ここでは、1匹のセミをスピンに見立て、「下向き=鳴いていない状態」、「上向き=鳴いている状態」として考える。

 空が暗いうちはすべてのセミが下向きの状態にあるが、空が徐々に明るくなってくると、一部のセミが上向き、つまり鳴き始める。

 そして、近くで鳴く仲間の声を聞いた他のセミも次々と上向きに切り替わり、最終的に全体が一斉に鳴くという仕組みだ。

 もしセミが光だけを判断材料にしていたならば、切り替わるタイミングは個体ごとにばらつき、一斉に鳴き始めるようなことは起きないはずである。

 だが、実際にはセミたちが互いに影響を与え合うことで、驚くほど正確なタイミングで合唱が始まっている。

 それをグラフで示したのが以下の画像である。黒いS字曲線は、セミの大合唱が一斉に始まる様子を表している。

この画像を大きなサイズで見るimage credit: Rakesh Khanna A. et al. Physical Review E CC BY 4.0

 左のグラフの青い点線は、鳴き始め対する光の影響を示すもので、実線はそこに仲間の鳴き声の影響を加えた場合である。右のグラフの赤線は、鳴き始めのばらつきを示したもの。

 この「スピン」を使った理論は、例えば演劇やコンサートを見た観客が、いつ拍手を始めるかを決める「集団意思決定」の研究にも用いられてきた手法だそうだ。

 ヒトもセミも、それぞれの個体は同じ意思決定のプロセスにある近隣の個体群と影響し合いながら、周囲の状況を認識しつつ、自らの意思決定を行っているという点で共通しているのかもしれない。

 ゴールドスタイン博士はこの研究について、次のように語っている。

動物が日の出や季節的な光の変化に反応することは以前から知られていました。しかし、セミが特定の光の強さに、これほど正確に同調している様子をを定量的に示せたのは今回が初めてであり、驚くべきことです

 セミの鳴き声を発しているのはオスだけで、その目的はメスへのアピールである。求愛の場面で目立つことは重要だが、同時に天敵にも見つかりやすくなるという危険がある。

 このジレンマを解決するために、オスたちは一斉に鳴くという戦略をとっていると考えられている。集団で鳴けば、個体ごとのリスクを分散させることができるからだ。

 この行動は、イワシやアジなどの小魚が捕食者から身を守るために群れをなし、ベイト・ボールと呼ばれる球状の集団を作る現象とも似ている。

 今回の研究では、セミが「光の強さ」と「仲間の鳴き声」という複数の環境要因をもとに行動を決定していることが明らかになった。

 しかし、この意思決定の仕組みが本当にどのように働いているのかをさらに深く理解するには、他の地域や環境での長期的な観察や、単独個体と集団との比較といった追加の検証が必要になるだろう。

References: "It's astonishing": animal in India sings when sun is precisely 3.8° below horizon every dawn, say scientists / Photometric decision making during the dawn choruses of cicadas

本記事は、海外の記事を参考にし、日本の読者向けに独自の考察を加えて再構成しています。

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