火山噴火で灰に埋もれたポンペイ、住民が帰還していた その暮らしぶりが明らかに

ベスビオ山を背にしたポンペイの航空写真/SimonSkafar/Getty Images

(CNN) 西暦79年に起きたイタリア南部ベスビオ山の大噴火で、灰に埋もれた古代都市ポンペイ。その遺跡は時が止まったタイムカプセルのようだが、このほど新たな発掘調査で、当時廃虚となった街へ戻り、ここで生活を立て直した人々の様子が浮かび上がってきた。

遺跡を管理するポンペイ考古学公園の責任者、ガブリエル・ツフトリーゲル氏らのチームが6日、ポンペイの発掘、研究に関するオンライン学術誌に報告した。

チームが調査を進めているポンペイ南端のインスラ・メリディオナリス地区で、この1年間に複数の陶器など、噴火後に復活したとみられる暮らしの痕跡が見つかった。ツフトリーゲル氏によれば、どれだけの人数がどんな状況で帰還したのか、これまでの出土品から完全に把握することは不可能だが、灰の上に頭を出した建物の上階部分などを居場所にしていたことが分かる。

調査が進められているポンペイ南端のインスラ・メリディオナリス地区/Archaeological Park of Pompeii

住民らは結局、5世紀に再度発生した大噴火で街を去った。ポンペイはその後、1748年に発掘が始まるまで手つかずのままだった。

ツフトリーゲル氏は、79年の噴火が「記憶を独占」してきたと指摘する。住民が戻った痕跡は研究者らの間で知られていたものの、ほぼ受け流されてきた。

「壁画や家具まで当時のままよく保存されている79年の層に到達しようとするあまり、生活再建のかすかな痕跡は文字通り片付けられ、全く記録されずに消し去られることも多かった」という。

火山灰の上に確認できる階段の残骸。再利用されたタイルなどで作られている/Archaeological Park of Pompeii

「新たな発掘調査で、当時の様子がはっきりしてきた。今も残る古いポンペイの廃虚から、噴火後のポンペイが顔をのぞかせている。都市というよりキャンプ地や貧民街のような、不安定な集団として」と、同氏は説明する。

再建時代の遺物

噴火後に戻った住民が再利用した陶器の器やタイル、大理石の断片が発見された/Archaeological Park of Pompeii

ある建物の発掘では、アーチ型の天井が2~4世紀ごろまで崩落せずに残っていたと断定された。人々がポンペイに戻って来た時点で、灰の上に一部が見えていたことになる。

そこではかつて1階だったフロアが貯蔵室として使われ、窯(かま)や石臼が設置されていたことが分かった。

チームによれば、5世紀の陶器や調理器具が出土し、陶器製のランプには当時キリストの象徴とされた飾りが付いていた。古代ローマのれんがやタイルを再利用した、同時期の家庭用パン焼き窯も見つかった。

この地区からは、ローマ皇帝マルクス・アウレリウスの肖像が刻まれた西暦161年の硬貨が出てきた。ツフトリーゲル氏によると、噴火から数十年でポンペイに人が戻ったことを示している。

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