なぜソニーのFDDがMacに搭載されることになったのか? ジョブズの日本出張時に土壇場でひっくり返ったこととは
ソニー創業者・井深大(いぶか まさる)と、アップルを立ち上げたスティーブ・ジョブズ。互いの企業を世界レベルへと押し上げた2人のリーダーは、イノベーションの未来を的確に予測するたぐいまれな思考力を備えていた。本稿では『スティーブ・ジョブズと井深大 二人の“イノベーション”が世界を変えた』(豊島文雄著/ごま書房新社)から、内容の一部を抜粋・再編集。井深、ジョブズの遺訓から、これからの日本で求められるリーダー像に迫る。 ソニー、そして創業者・井深大との出会いから多大な影響を受けていたジョブズは、なぜ開発中のマッキントッシュにソニー製のフロッピーディスクドライブ(FDD)を採用したのか? 日本出張時のエピソードを紹介する。 ■ ソニーから学んだアップルの社是「テクノロジーによって世界の人の暮らしを変える」 アップルを創業する数年前にジョブズは東京のソニーを訪れ、次のことを学んだことが伝記に記されている。 「世の中が必要だと思ってもいないテクノロジーを提供することで、世の中の人が想像もしなかった人々の暮らしを変えよう」というジョブズのひらめきは、ソニーから学びました。 ソニーは元々東京通信工業という名前だったのが、もっと親しみの持てるソニーに変えたのです。アップルという名前の採用は、ある意味で、その第1歩だったと言える」(ブレント・シュレンダー他著、井口耕二訳『スティ―ブ・ジョブズ 無謀な男が真のリーダーになるまで』2016年9月日本経済新聞出版社刊) ソニー訪問では井深氏と盛田氏の共同経営者と面会し、ソニー新製品のポリシー「世の中になかったもの、人のやらないことをやる」との企業文化を学び感激するとともに、繁華街の銀座やニューヨーク5番街にソニー直営店を持つことがブランドイメージ向上につながることも学んだ。
■ アップル創業4年目にして大金持ちとなる 創業したてのアップルコンピュータの開発第2弾「アップル2」は世界初のパーソナルコンピュータとして認められ大ヒットした。この時、ガレージを出て、ビルの一角に事務所を借り、社員は10名となっていた。このビルにはソニーの営業所も入っていて、ジョブズはここでもソニー新製品の情報を入手していた。 創業4年後に株式を上場。2人が手にした個人資産の金額換算はそれぞれ2億5600万ドル(当時の円換算256億円)の大金持ちとなった。 ジョブズは株式公開によって手にした個人資産2億5600万ドルの内、養ってくれた両親に150万ドル(当時の日本円換算4億5000万円)分の株式をプレゼントした。 このお金で両親はジョブズを転校させる際に買ったロスアルトスの分譲住宅の借金を完済し、初めて無借金の生活を味わうことができたと喜んだ。 有り余ったお金を使って豪邸に住もうとは思いもしなかったという。 贅沢は毎年夫婦でパナマ運河を通るクルーズ船を楽しむだけの質素な生活に満足していた。 数年後、当時のレーガン大統領から2人に「第1回アメリカ国家技術賞」が授与された。 アップル2は、発売後16年間の累計で600万台も売れた。 急拡大する会社経営はジョブズでは対応できず、外部からマイク・スコット、マイク・マークラ、ジョン・スカリーと3代にわたり社長職を委託していた。 1983年3月10日ジョブズは、アップル2では記録媒体として5.25インチのフロッピーディスクドライブ(略称FDD)を採用していて、IBMのPCには安価なアルプス電気製5.25インチFDDが使われアップル2でも採用していた。 開発中のマッキントッシュで使うFDDに、ソニーが新しく開発したプラスチックケースにディスクが収められ胸ポケット入れることもできる3.5インチFDDを採用することを決めた。 ジョブズとマッキントッシュ担当のボブ・ベルブィール(Bob・Belleville)とアップル2に採用した5.25インチのアルプス電気を担当したロッド・ボルトの3人は、日本に出張して調達の商談をしに行くこととなった。