同一現場で起きた“2つの大統領銃撃事件”の背景を舛添要一氏が解説 「強いアメリカ」をともに掲げるトランプとレーガンは何が違うのか

 * * * 4月25日にトランプ大統領銃撃が起こったワシントンヒルトンホテルは、1981年にレーガン暗殺未遂事件が起こった場所である。当時、私はアメリカ政府の招きで訪米中であったが、事件が起こったときは、ホワイトハウス内で大統領補佐官と協議中だった。補佐官にはホットラインで直ぐに事件の連絡が来たことを、私はよく覚えている。  この事件が起きた45年前と今とでは、アメリカは大きく変わっている。同じ共和党の大統領であるが、レーガンのアメリカとトランプのアメリカの違いをみてみよう。

 当時の私は、ヨーロッパ諸国での留学を終えて日本に帰国し、アメリカ関連の研究に力を注いでいた。私の専門は外交防衛問題であったが、若い外国人研究者を支援するアメリカ政府のプログラムがあり、私もその対象となった。  そうした経緯で渡米し、ハワイ、西海岸、東海岸と軍事基地や士官学校などを視察して見聞を広める機会を得た。

 首都ワシントンDCでは、学者との議論とともに、政府高官との会談もセットされたが、日本から来た若い一学徒に対するアメリカのこの厚遇には感激したものである。  日本を発つときに、「舛添要一はアメリカ連邦政府の客人である」と記した一枚のお墨付きをアメリカ政府に発行してもらった。これが水戸黄門の印籠のように役に立つ。たとえば、ホテルのフロントで示すと、支配人が出てきて、「あなたは大切なゲストですから、ホテル代は3割引です」と言ってくれる。アメリカ連邦政府職員並の厚遇に驚くとともに、連邦政府の威光を実感したものである。  各州が強大な自治権を持つのがアメリカの連邦制度であるが、他方で連邦政府にも権威があり、たとえばFBI(Federal Bureau of Investigation)というと、全米で"泣く子も黙る捜査機関"といった感じなのである。


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 1980年の大統領選挙では、現職のジミー・カーター大統領が、共和党候補で元カリフォルニア州知事のロナルド・レーガンに大敗した。  前年の1979年2月にイランではイスラム革命が起こり、11月4日にはテヘランのアメリカ大使館がイラン革命防衛隊率いる暴徒に占拠されて大使館員が人質となった。そして、カーターは、その救出作戦にも失敗して、国民の支持を失っていたからである。  人質事件は444日間も続き、解放されたのは、レーガンが大統領に就任した1981年1月20日であった。

 この事件以来、アメリカの対イラン不信感は今に至るまで続いている。トランプ政権が、イランが核兵器を製造しているのではないかと疑い、その姿勢を多くのアメリカ人が共有するのも、この半世紀にわたる両国の対立があるからである。  レーガンは、"Make America Great Again=MAGA"をスローガンに掲げたが、トランプもこのMAGAを繰り返している。レーガンは、この「強いアメリカの復活」をスローガンに掲げて、選挙に勝利した。

 今のアメリカは二分されており、共和党支持者と民主党支持者の間には深い溝がある。45年前には、その溝はさほど深くなかった。カーター政権のふがいなさに絶望した多くの民主党支持者がレーガン支持に回り、彼らは「レーガン・デモクラット」と呼ばれた。  ヒルトンホテルで銃撃されたレーガンは、緊急手術を行う医師たちに「君たちが皆、共和党員だといいんだがね」とジョークを言い、その医師団も「今日一日は、我々は皆、共和党員です」と応じたエピソードはよく知られている。  この話が広まると、レーガンを"俳優上がり"と馬鹿にしていた民主党員たちも、その政治家としての才能に舌を巻き、彼を"great communicator"と評価するようになった。こうして、レーガン支持率は急上昇していった。  今のトランプ政権下で、このような変化が起きることは想像すらできない。当時は、それほどおおらかな時代だったのである。


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 ところで、私の宿泊先はアメリカ政府が手配してくれていた。高級ホテルではなく、一般の連邦政府職員が泊まる質素なホテルだったが、快適で、しかもホワイトハウスに近く便利であった。  大統領暗殺未遂事件という突発的な大事件の後、ホテルに戻ると、FBIの捜査官が集まっていてものものしい雰囲気であった。  レーガンを撃った犯人が、このホテルに泊まっていたからである。

 狙撃犯はジョン・ヒンクリー・ジュニア(John Warnock Hinckley, Jr.)という25歳の男であった。この男は、裕福な家庭に生まれたが、少年時代に学業成績が落ち、大学でも休学が続くなどして精神的に不安定な状態にあった。そして、「タクシードライバー(Taxi Driver)」という映画を観て、出演したジョディ・フォスター(Jodie Foster)に惚れ込んでストーカー行為を行うようになった。  フォスターの在学する大学に行ったり、自宅に電話をしたりして、追っかけを続けるが、彼女を振り向かせることに失敗する。そこで、彼女の注意を引くために、ハイジャックや大統領暗殺を計画するようになった。まず、カーター大統領を狙うプランを立てるが上手くいかず、次に標的にしたのが後任のレーガン大統領だったとされる。  今回のトランプ銃撃未遂事件の犯人は、カリフォルニア州出身の31歳の男で、アメリカの名門大学を出ており、「トランプ政権の高官を撃ちたかった」と供述したという。トランプの始めたイラン攻撃に反対するためだったという。レーガン暗殺未遂事件の犯人に比べて、はるかに政治的である。これも時代の変化を表しているといえよう。

 レーガンは、ソ連の軍事的脅威に対抗するために、国防予算を増額し、戦略防衛構想(SDI、「スター・ウォーズ計画」)を打ち出した。  レーガンは2期8年にわたって政権を担ったが、ソ連は1980年代には、アフガニスタン侵攻などで財政が破綻して崩壊への道を歩み、1985年に書記長に就任したゴルバチョフの下で改革を余儀なくされた。レーガンの力の政策がソ連邦の改革を促進したと言えよう。  また、1983年10月には、カリブ海のグレナダに軍事侵攻し、人民革命政府を倒し、親米政権を樹立している。  日米関係については、日本の自動車や半導体の輸出が、アメリカに巨額の貿易赤字をもたらした。そのため、日本製品の輸出自主規制などが行われたが、1985年には、アメリカはプラザ合意で円高に誘導して対応した。  トランプは、ベネズエラのマドゥロ政権は倒したが、イランについては思惑通りの成果を上げていない。  トランプは、イランの核開発を阻止するという理由で、2月28日にイランを奇襲攻撃した。しかし、レーガンの力の政策がソ連邦の体制転換をもたらしたのとは違って、宗教指導者が支配する独裁体制を民主化させることには失敗している。ハメネイ師よりも強硬な次男のモジタバ師が後継者となり、革命防衛隊も統治の実権を握ったままである。  トランプのイラン攻撃は、石油価格高騰をはじめ、世界経済を大混乱に陥れている。


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 レーガンは、「レーガノミックス」という大幅減税と積極財政によって経済を回復させた。  トランプは、政権に就くや否や関税攻勢をかけ、保護主義を強行したが、その結果、輸入品の価格が上昇し、消費者物価を押し上げた。さらに、保護主義は世界経済を縮小させた。レーガンは、そこまで広範な保護主義には走らなかった。  トランプは、法人・所得減税を恒久化したが、それは財政赤字を増大させる。さらに、環境規制を緩和して、化石燃料の生産を拡大したが、これは地球温暖化をさらに進めることになる。また、移民の抑制を図っているが、それは労働者不足につながっている。  以上のようなトランプの政策は、米国民の生活を改善させているとはいえない状況である。MAGAのスローガンは同じでも、結果はレーガンの政策とは対照的だ。  秋の中間選挙では、トランプの共和党は苦戦しそうである。 【プロフィール】舛添要一(ますぞえ・よういち)/1948年、福岡県北九州市生まれ。1971 年東京大学法学部政治学科卒業。パリ(フランス)、ジュネーブ(スイス)、ミュンヘン(ドイツ)でヨーロッパ外交史を研究。東京大学教養学部政治学助教授などを経て、政界へ。 2001年参議院議員(自民党)に初当選後、厚生労働大臣(安倍内閣、福田内閣、麻生内閣)、東京都知事を歴任。『都知事失格』、『ヒトラーの正体』、『ムッソリーニの正体』、『スターリンの正体』(いずれも小学館刊)など著書多数。

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