『マクロ社会学』の「縁、運、根」
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コントの『実証的精神論』と『プラン』の精読
大学院時代の5年間で、社会学説、社会学の概念、理論と方法、標準的な社会調査の方法、初歩的なデータの読み方などを学んだ際に、博士課程3年次での久留米大学「社会学」通年講義のために、社会学の祖であるコントの『実証的精神論』や『社会再組織に必要な科学的作業プランプラン』を精読した。
実証性の6要件
これは「社会学」講義の入口段階で「実証性」の内容を詳しく話すためだったが、コントによる実証性(le positif)の判断基準は以下の6通りであった(コント、1844=1926=1938:108-112)。
すなわち、① le réel(現実性)、② l’utile(有用性)、③ la certitude(確実性)、④ le précis(正確さ)、⑤ organiser(建設すること)、⑥ le relatif(相対性)があげられていた。130年前の基準であったが、すべてに納得できて、特に心に強く残ったのは⑥相対性であった。
なぜなら、音楽やスポーツさらに同時代のベトナム戦争でも、それぞれの価値観によって立場や好みが変わることをそれまでに日常生活でも実感していたからである。高校の頃からビートルズでも青春歌謡御三家でも三波春夫や美空ひばりの作品でも歌っていたし、野球では巨人ファンであったが、実のところ中学3年間ではバレーボールをやっていたからである。
モンテーニュ『エセー』から
相対性への信念は強く、院生時代に少しずつ読んで、今でも拾い読みするモンテーニュ『エセー』にあった文章、すなわち「問題をさまざまな角度から論ずることは、同一の角度から論ずるのと同じように、いや、それ以上に結構なことである。つまり、より豊富に、より有益に論ずるからである」(モンテーニュ 第二巻 第十二章:365)にも共感できて、自らの実証的社会学の研究にもそれを取り込もうとしていた。
観察の優位
もう一つコントから学んだことは「創造を観察に服従せしめ、観察事実の領域に立脚する」(コント、1830-1842=1928:52)であった。大学院時代から社会調査による実証研究を行っていたから、「観察」の一部に「調査」を位置づけていて、周囲を見渡せば観察したい無数の社会現象が存在していた。
日本の高度成長期の観察
団塊世代の青春時代と重なった日本の高度成長期以降の経済面では、それまでの日本経済よりも大幅な生産力の増大、大衆消費社会を招いた日常的消費と誇示的消費(ベブレン)の拡大、農業の比重低下と反比例した石炭、造船、家電などに特化した産業構造の多様化が進んだ。高度成長の後半期でも家電に加えて、バイク、自動車、食品、薬品、住宅などにおける技術が高度化したことへの関心があった。
並行して政治面でも、三権分立した政治権力の正当性の根拠としての選挙制度が広く浸透して、自民党と社会党(自民党の約半数)による安定した政治構造による国民国家の形成、革新自治体レベルでの政治参加の多様性などが顕在化していて、現在とは異なり私も含めて国民のデモクラシーへの信頼度が高かった。
文化面での観察
文化・スポーツ面でも、史上空前の人口圧力となった昭和22年から24年にかけて誕生した「団塊の世代」を受け皿に、昭和一桁世代や昭和15年までに生まれた戦前派のスーパースターが映画や流行歌の世界で君臨した。
さらにその影響を受けた団塊世代の一部は、新しい音楽文化を創り始めた。スポーツでも文化と同じ昭和一桁世代が野球でも相撲でも水泳でもマラソンでも世界的に活躍した。国民のライフスタイルは日本社会の隅々まで階層を超えて封建性を払拭し、すべてにわたり合理化が貫徹し、都市の規模にかかわらず全国的な世俗化(secularization)も進展した。
流動性の経験と観察
社会システムのタテの側面である階層の移動性も、ヨコの側面の地域社会の流動性もともに激しくなった。それらを包括的にまとめれば、
- 地域的側面・・・地域移動、地域的流動、定住と流動
- 階層的側面・・・個人の地位の上昇と下降、安定と格差
- 国際的側面・・・国際分業、国別格差の拡大、強い国と弱い国、豊かな国と貧しい国
などになる。いずれもこれらは21世紀の現在にもつながっている大きな社会変動である。これらの根本的要因としては産業化と都市化が想定されて、学術的にも多方面からの研究がなされていたのが、私の大学院時代からの10年間であった(連載第2回)。
ゼーション現象への関心
この両者は社会変動の構成要素としてもっとも重要であるが、英語表現では産業化がindustrializationであり、都市化もurbanizationと表記される。その他の近代化(modernization)や官僚制化(bureaucratization)や国際化(internationalization,globalization)などを合わせて、今田が「ゼーション現象」と命名していた(今田、1986)。
同じ年に富永「理論社会学」の集大成ともいえる『社会学原理』(1986)が刊行され、その第3章が「社会のマクロ理論」、第4章が「社会の変動理論」として、精密な論理が展開されていた。第3回で触れた私が「書評論文」を書いた本である。
1年生の「社会学」講義
久留米大学でも入学直後の1年生に「社会学」を講義していたので、北大でも同じように1年生の「社会学」を定年まで受け持った。何しろ12学部の新入生に開放された講義であり、文系・理系・医歯薬獣医系などの「柔軟な頭」の1年生が受講するので、毎年のテーマ設定を苦労しながら楽しんでもいた。
最初の3年間はコント、ウェーバー、デュルケムなどを概観して、ゼーション現象としての産業化と都市化、そして新たに取り組みはじめた高齢化と福祉化などを15回に分けて話していた。
マクロ社会学と社会変動への視点の移動
4年目あたりから、それまでに精読した富永『社会学原理』からの知識を使い、もっと幅広い社会学を講義しようと努力した。
たまたま日本社会学会大会でもそのようなテーマで報告したら、新曜社の編集者である小田亜佐子さんが聞かれていて、報告が終ってからいろいろな質問や感想をいただいた。そうして、このような「ゼーション現象」を主軸にした単行本の話になった。1988年の秋だったように思う。
長谷川公一氏との出会い
しかし第4回で紹介したように、「学位論文」のコアになる「都市高齢社会と地域福祉」をテーマにした学会誌向けの論文を半年ごとに執筆していたから、単行本までは到底手が届かなかった。そうしたら、別の学会大会で、当時東北大学助教授の長谷川公一氏(以下敬称略)を紹介されたのである。もちろん社会運動論や政治社会学ではすでにご活躍をされていたので、どのような専門家なのかはよく承知していた。
3人で雑談や意見交換しているうちに『社会学原理』を長谷川も精読していたことを知り、それならば富永理論の「マクロ社会学」と「社会変動」をもっと現実的に具体化したレベルの内容が書けないだろうかという結論になった。
『マクロ社会学』の構想
とりあえず、既述したゼーション現象を書きだして、図1のような見取り図を作成した。富永モデルでは「近代化」(modernization)と民主化(democratization)もキー概念であった(富永、前掲書:288)。
しかし長谷川も私も、この両者はゼーション現象の上位概念だとして、当初から本書の構想には含めなかった。その結果、数回の意見交換を経て、図1に合わせて分担を確定したのが1988年の暮れであった。
図1 マクロ社会学の見取り図 (出典)金子・長谷川、1993:28.
執筆分担
金子勇・・・・・・都市化、情報化、国際化、高齢化、福祉化、社会調査の方法
長谷川公一・・・・・・マクロ社会学の理論、産業化、官僚制化、流動化、計画化
たまたま二人とも、新入生の「社会学」を担当していたので、1989年の前期からの講義で、私ならば「都市化」、翌年は「情報化」と「国際化」、3年目は「高齢化と福祉化」などを中心に話すことにした。その期間はプリントを毎回用意しての講義であったが、北大でも12学部からの受講生は400~500人集まった。
このような講義のプリントを基にして、ワープロを使って少しずつ各章の論文として清書し始めたのが、1992年の正月からであり、その年の秋の終りにはすべてを脱稿していた。
6年がかりで刊行
そして共著として刊行されたのが1993年の3月であった。4月からの1年生向けの講義では、本書を使って15回の「マクロ社会学」を講義した。
多くの場合、「マクロ社会学とミクロ社会学の区別」と「ゼーション現象と社会変動の研究」から始めて、「産業化と都市化」で3回、「情報化と国際化」で4回、「高齢化と福祉化」で3回、そして3回の「社会調査の方法」でまとめた。本書を使うようになってから、北大での受講生は毎年500~700人に増えたので、期末試験の採点では1週間かけて答案を読んでいた。
そのうちに『社会学評論』では富永教授の「書評」が出て、それ以降も専門誌で橋爪大三郎や三重野卓などかなり多くの専門家に「書評」していただけた。そのためか本書は毎年増刷が続き、2004年4月の8刷まで部数が伸びた。専門書では破格の部数が出たことになり、新曜社の社長も編集者の小田氏も喜ばれた。
Amazonでの書評
まだAmazonなどが無い時代であったが、刊行して20年後の2014年3月に投稿されたあみとさんの「書評」では、
「第1章 マクロ社会学の現在」と「第11章 社会調査の方法」は勉強になった。前者は84年の『社会学評論』でパーソンズの構造-機能主義への理論的懐疑が提出されて萎縮していたマクロ社会学の可能性を示している。後者は理論社会学が何をめざすべきかを示している。構造主義以後の理論社会学が微分幾何学ベースとなった現実を考えればこの本の持つ意味は大きい。すでに本書が出版されて20年が経つが日本固有の社会学史には欠かせぬ一書となろう。良書である。
と評価されている。この「書評」にも感動した。
このように生命の長い共著が出せたのも、二人の出会いを取り持たれ、執筆の際にも適切なコメントをたくさん寄せられた編集部の小田氏のご尽力の賜物であり、ここにも縁と運が大きく作用している。
『マクロ社会学』の内容
さて、ゼーション現象の実像に迫り、全体社会システムの諸領域で発生した社会変動を理論として体系化しようとした『マクロ社会学』の内容に移ろう。
「産業化と都市化」の両輪で突き進んだ高度成長期日本の1960年代において、社会学は政府からも国民からも期待される新興学問の一つであり、全国の大学でも社会学部や社会学科が作られるようになっていた。
戦前から戦中を通して戦後の1955年までの「閉塞した社会」や「自由に乏しい社会」が終わり、「もはや戦後でない」1960年代にふさわしいデモクラシーを体現した社会において、その先にバラ色に見える「社会主義社会」(福武・日高、1953)の輪郭を示す社会学もまだ健在ではあった。
社会主義ではなく社会変動
しかしその対極にある新しい動きを「社会変動」と捉えて、日本で理論化を図ったのが富永の一連の研究であった(1965;1986;1996)。
戦前からの手あかのついた「社会主義社会」志向ではなく、1965年に発表され1986年にも踏襲された「社会変動とは社会の構造の変動である」というテーゼはその後日本では共有されて、賛否両論はありつつも富永社会変動理論は様々な応用可能性を拡大した。マクロ社会学ではなく社会変動の理論として、私も含めてその後の若い世代にも着実に浸透していった。
マクロ社会学における社会変動とは何か
総論的にいえば社会変動は、時間的広がり、空間的広がり、変動の規模、変動の強さ、変動の長さ、変動の激しさなどを幅広く包摂した理論である。
理論の水準を問わなければ、社会変動は全方位性を目指し、幅の広い視点をもち、高遠な大局観からの複眼性を維持し、広範な多次元性を保ちたい。しかし、これらを網羅することは人知を超えた要求といってよいので、もっとささやかな理論的展開しか行えないのが社会学史で証明されている。
そこで私たちは二人だけで、産業化、都市化、官僚制化、流動化、情報化、国際化、高齢化、福祉化、計画化などの「ゼーション現象」に分けて、関連データを使いながら社会変動の主領域を細かく論じたのである。
産業化
産業化は産業革命期以降の200年間という時代を牽引してきたが、その端緒は具体的にいえばエネルギー革命であり、風力・畜力・人力レベルのエネルギーから石炭使用による蒸気機関の発明と応用により、そして後半では石油エネルギーへの転換により、それらの産業を担う企業人が当然ながら力を持ってきた。
すなわち、産業化は権力構造を変化させ、社会全体の職業構造を激変させ、たくさんの専門職を必要とすることにより、義務教育や高等教育を受ける若者を増やして、国民の生活水準を向上させたのである。
なぜなら、産業化により「エネルギー革命」を通して生産力水準が急上昇し、それを支える労働市場が激変し、大衆消費社会という新しい「近代産業社会後期」(富永 1986:265)が生まれたからである。
「水準変動」と「構造変動」
さらに社会変動は「水準変動」と「構造変動」に細分化される(吉田、1974)。両者は補い合って、社会変動がより鮮明になる。なかでも産業化は生産構造に直結しているので、国民の「生活水準」にも敏感である。
しかし、その延長線上に存在する国際化それに少子化や長寿化は、「構造変動」を引き起こしつつ、その結果として「水準変動」ももたらす。国際化や少子化や長寿化は人口や消費行動を介して、社会構造へ直接に働きかけるからである。
富永や吉田の研究によって、学界全体に「社会システム発展=システムの適応能力増大+構造変動」がほぼ理論的に共有されるようになった。授業の開始段階で、長谷川が担当した「産業化」のエッセンスを、私はこのように要約して講義に使った。
都市化
産業化とセットで論じた都市化の講義は、もっとも有名なワースの「アーバニズム」研究成果から始めた。この分野は修士課程から専門的に学んでいたから、他のゼーションよりも知識があった。
「アーバニズム」とは1930年代までのシカゴを素材として、都市の特徴を大量人口、高密度、高い異質性の三点にワースが整理した枠組みであり、それ以後の都市研究者に強い影響を及ぼしてきた(ワース、1938=2011)。
まず、都市の生態学的側面の特徴として、職住分離、分化と専門化、物理的近接と社会的疎遠、異質性の増大、流動性、孤立化などがあげられる。
第二の社会構造面では、法人組織の増大、社会成層の複雑化、機能的目的集団への多元的所属、大衆相手の文化的・商業的機関の発生、専門処理機関の増加があげられる。
三番目には生活構造(社会関係)面があり、これには血縁・地縁関係の衰退、社会関係のインパーソナルな性格、皮相性、匿名性、一時的性格、二次的接触の優位が含まれる。最後の意識面では、統合性の欠如、主知性と合理性、無関心と競争心、孤独感、軋轢と焦燥などが特徴として引き出される。
いうなれば、都市化はそのまま先進国の「現代社会論」としてのテーマに使えるような包括的な内容をもっていた。
ゲマインシャフトからゲゼルシャフトへ
同時に産業化と都市化によって、家族・親族という血縁の共同体、地縁による村落共同体、宗教の共有が精神的な共同体を作る教会などに見られるような、テンニースにゲマインシャフトと命名された共同体や集合体が壊れ始めた時代が到来した。
その反面で、世俗化に伴い、ゲゼルシャフト的集合体が世界的に活動を始める。実際に資本主義体制が確立すると、土地、労働、資本、組織の連携により利益を最大限に追求する企業、二次的関係が主流の大都市、企業利益や国益最優先で結びついた世界システムなどの巨大集合体が活躍する時代になった。
カステルの新都市社会学
新しい研究動向としては、カステルの都市問題論を表1のようにまとめて紹介した。都市の空間的要素を生産、消費、交換、管理に分けて類型化していたが、それはまるで資本主義論そのものだという印象をもった。
表1 カステルの都市空間論 (出典)カステル、1972=1984:117
なぜなら、カステル本人によって、「都市的単位やそれに関する諸過程を資本主義生産様式における労働力の集団的再生産の単位として分析できる」(カステル、1977=1984:396)とされていたからである。
しかしそれでは資本主義論の一部ではあっても積極的に「都市」を論じたことにはならないから、それ以降は深くコミットしなかった。
フィッシャーの下位文化論
逆にワースのアーバニズム論の相対化するために、フィッシャーは都市全体を論じるというよりも、都市に群生する下位文化(subculture)への着眼を優先した(表2)。いずれも調査仮説としても有効であり、ワース都市理論の限界を浮彫りにしたという成果があった。
表2 フィッシャーの下位文化論の命題 (出典)フィッシャー、1975=1983:59-78.
その他、「都市の住みやすさ」を求めて、コミュニティ理論、都市のアメニティ、日本の都市社会学史、都市のハードとソフトなどを概括的にまとめた。
今読み返してみると、社会システム論、環境論、資源動員論、社会的ジレンマ論など、その後の20年間で私が積極的に活用する社会学諸理論への関心が強く認められる。
情報化では苦労する
都市化では講義内容を縮めるのに苦労したが、次の情報化では内容構成も含めて困難が多かった。長谷川との分担により受け持ってはみたものの、情報化について皆目見当がつかないために、郵政省『通信白書』を2年分読むところから始めた。その結果、情報(information)は必ず通信(communication)を含んでいて、「コミュニケーションされなければ、それはインフォメーションとはいわない」ことを知った。
さらに、当時のベストセラーであったトフラーの『第三の波』や『パワーシフト』に依拠して、「記号の集合」として情報を捉えた。「記号の集合」が解読できれば「変化をもたらす触媒」(トフラー、1990=1991:280)になるが、それには受け手の「情報リテラシー」が前提になることを学んだ。
情報リテラシー
たとえば日本語が分かる人ならば「禁煙」を読み取り、タバコを吸わない行動に移ることは簡単であるが、かりに英語圏で<No Smoking>、フランス語圏で<Défense de fumer>を読んでも意味が不明ならば、その「記号の集合」は「情報リテラシー」のない人にとっては情報になりえない。この比喩は受講生にも好評だった。
情報の「限界情報効用」
さらに情報の持つ特性を5点にまとめた。① 非消滅性(いくら使っても無くならない)、② 非移転性(通信伝達しても情報は手元に残る)、③ 「情報リテラシー」の程度により、情報には「限界情報効用」があるとした(図2)。
図2 限界情報効用モデル (出典)金子、1993:170.
これを二次関数にしたのは、効用は線形モデルでは描けないと判断したからである。普及が進まない段階でαレベルの価値を感じる人もいれば、かなり普及した後でβの価値を受け取れる人もいる。
その他、情報化の進行の功罪についてもまとめた。ただし「功」を目指すのならば、社会全体の「情報リテラシー」のレベルの向上が前提になるとした。他方「罪」であれば、資本主義の世界では情報公開、情報伝達の速度、個人の情報処理力の程度によって、階層格差や地域社会格差が生じてしまう危険性についても触れた。
国際化とは何か
国際化も同じく難問だったが、当時愛読していた村上『産業社会の病理』(1975)から開始できたことが救いになった。なぜなら、先進産業社会が共通に抱える難題として、「外なる限界」である資源、環境、食糧、人口問題などが深刻化してきた事実がのべられ、そのうえで「南北問題」として国際化にともなう「不均衡」や格差が強調されていたからである。私の「国際化」でもこの枠組みを借用した。
世界システム論の登場
学術的にも、ボールディングの「宇宙船地球号」(spaceship earth)という分かりやすい概念が世界的に受け入れられていた。
また同じころに、ウォーラーステインの「世界システム」論が登場して、世界を「中核諸国家」、「半辺境」、「辺境」に類型化することをめぐる論戦が始まっていた。それは新しい視点での「東西問題」や「南北問題」でもあったので、講義でも途上国の貧困や人口爆発、低い「識字率」などにも触れて、先進国からのODA(政府開発援助)の実態も紹介していた(表3)。
表3 OECD加盟国のODA実績 (出典)金子、1993:210.
ODAの現状と課題
表3を見て驚くのは、この時代の日本のODAは世界一だったことである。もっとも2021年現在でもアメリカ、ドイツについで第3位である。
このODAがそれを受け取る国の「内発的発展」にどのように貢献してきたを軸に論点を整理して、ODAを出す側の文化や価値観と受ける側のそれらの相違が顕著な場合では、せっかくの貴重な資金が活かされないという報告もした。なぜなら、当時も(今も)多額のODAによる経済的な成長への「離陸」(ロストウ)ができない事例も多々あったからである。
経済的「離陸」の条件
経済的に「離陸」するためには、国民全体の「就学率」と「識字率」を高め、住宅や医療や衛生などの民生面を充実させる努力が前提になる。
せっかくODAによって最新の工場が建設され、港湾や道路や学校が作られても、それを国民全体でどう活かすかという「内発的」プログラムがなければ、その国全体の「離陸」には結びつかない。
外国人労働者の問題
資金面でのODAに加えて、国際化の論点としてはいわゆる外国人労働者問題がある。このうち、日本在住の外国人労働者は年々増え続けて、2024年10月現在では230万人に達しているが、1990年当時では合法的就労と不法残留者の就労の合計が20万人程度であった。
それらの実状を踏まえて、世界システムの趨勢はボーダーレス時代ではあるが、労働者の入国に関しては西ドイツ(現ドイツ)のトルコ人、フランスのマグレブ諸国からの移民の経験により、「ボーダーリング」現象が顕著になってきたとまとめた。
先進国と途上国との経済格差を助長
文化や価値観の相違が大きくて、流入した外国人との国民との間にある社会的距離の増大、定住困難、住みわけなどが目立つようになった。
さらに流入する外国人の多くが、その母国では優秀な人材であることも多く、この人々が日本国内で未熟練労働に従事することは、送りだした国の労働事情をむしろ悪化させて、その積み重ねは、先進国と途上国との経済格差を助長する危険性をはらむ場合もあるとした。
高齢化と福祉化については次回
高齢化と福祉化については次回の『高齢社会・何がどう変わるか』(講談社、1995)と重なることから、今回は割愛する。
また、『マクロ社会学』の巻末の「社会調査の方法」では、北大に移ってからの統計学、コンピューター操作によるデータ分析の習得作業、打ち出されたデータの読み方、電卓によるχ2(カイ自乗)検定の方法、計量的な調査方法とは異なる事例研究法などを概説した。
1年生には難しかったようだが、社会学専攻の3年生4年生では、卒業論文の調査に役に立ったという感想を何回も聞けた。数年かけて、いくつもの「縁と運」により、統計的処理の技術を身につけた苦労と喜びを改めて確認した。
【参照文献】
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