WBCのNetflix独占問題「民放はネトフリの“入り口”に成り下がる」テレビ局関係者のタメ息…「米国ではサブスクに年間70万円も」地上波からスポーツが消える日(Number Web)
8月26日、Netflixは意気揚々とWBCの独占配信を宣言した。 「Netflixは、メジャーリーグ ベースボール(MLB)が所有し、MLB選手会と共同でワールドベースボールクラシックを運営するWORLD BASEBALL CLASSIC INC.(以下、WBCI)とのメディアライツにおける独占パートナーシップにより、2026年ワールドベースボールクラシックの日本国内における新たな視聴先として、ライブ配信を行うことになりました」 独占である。 「本契約により、日本の視聴者の皆さまは、2026年に開催されるワールドベースボールクラシックの全47試合を、Netflixのライブおよびオンデマンドでご覧いただけます」 この文章を別の方面から解釈するなら、こう読める。 本契約により、日本の視聴者はWBCを地上波で見ることができません。 スポーツサブスク時代の本格到来。恐れていた事態が出来してしまった。
これに対し、東京プールの開催権を持つ読売新聞は、こう声明を発表した。 「前回2023年のWBC1次ラウンド東京プールの試合中継は、WBCIが当社を通じ、国内の複数の民間放送局及び海外の配信事業者に放送・配信権を付与し、地上波の番組での生中継が実現されました。しかし、本大会では、WBCIが当社を通さずに直接Netflixに対し、東京プールを含む全試合について、日本国内での放送・配信権を付与しました」 つまり、ウチは興行を行う立場にもかかわらず、放映権については、何も聞かされてませんでした! という立場を明らかにした。読売新聞はこう続けた。 「当社は今後も東京プールの主催者として、多くの方々に本大会を楽しんでいただけるよう引き続き努めてまいります」 話題になったのは、「引き続き務めてまいります」という文言。地上波での中継実現に向けて努力をするということなのか? ぜひとも頑張っていただきたいが、果たしてどうなることやら。また、読売新聞はこう注釈めいたものを付け加えていた。 「なお、NHK及び民間放送各局は、報道目的での試合映像は放映できますので、テレビニュースでは従来どおり試合のハイライトをご覧いただけます」 だから、情報番組では扱うことが可能なわけだ。とあるテレビ局の関係者は、こう自虐的に話す。 「現段階では、サブライセンスもないと思われます。ただし、素材は使えるというわけです。ボクシングの井上尚弥と同じパターンですよ。結局、民放はNetflixへのゲートウェイに成り下がることになるでしょう」
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一方、日本プロ野球機構(NPB)は「事前通告を受けておりました」と声明を出した。 「本大会の放送・配信に関する権利は主催者であるWBCIが独占的に保有しており、今回の決定についてはWBCIから事前に通告を受けておりました」 はて? 主催者からの事前通告に対し、唯々諾々と従っただけで、日本のファンに広く見てもらおうという交渉は一切、しなかったという解釈でよろしいでしょうか? 地上波で見られればありがたい、と思っているファンにとって、NPBはまったく頼りにならない組織であることを露呈した格好だ。 でも、去年の日本シリーズの中継については、ワールドシリーズのハイライトをぶつけたフジテレビに対し、かなり高圧的な態度を取っていたが……。広く野球を見てもらうという観点から見ると、この声明はだいぶ矛盾しているように読める。NPBはシニア層への心づかいや、ジュニア・エントリー層への普及については、どう考えているのだろう? 現時点では、Netflixと契約しない限り、WBCは見られない。これによって、2026年は日本における本格的なスポーツサブスク時代の到来となりそうだ。WBCだけでなく、サッカーのワールドカップも地上波で見られるかは不透明だからだ。
心配なのは近い将来、地上波からスポーツが消えてしまうことである。それはアメリカでは現実のこととなっている。 ラッパーのジョン・リー氏は『ニューヨーク・タイムズ』に「4785ドル。それがスポーツファンでいることのコスト」というゲストエッセイを寄せていた。 リー氏は熱狂的なスポーツファンで、「YouTube.TV、MLB.TV、NBA League Pass、Amazon Primeなどなど」、様々なプラットフォームと契約し、年間5000ドル近く、日本円に換算するとおよそ70万円ほどをスポーツのサブスクに投下しているという。リー氏はスポーツサブスク時代の切なさをこう書く。 「その結果として引き起こされたのは、視聴者にとって不便というだけでなく、孤独という事態だ」 分かる。スポーツの興奮は共有してこそ定着するものだからだ。続いて、彼はこう書く。 「視聴環境が制限されると、スポーツを見るという儀式のような習慣は失われることになり、スポーツがその地域の共同体に与えていた影響も失われてしまう――同じチームを応援し、酒場で歓声を上げる見知らぬ人々との一体感や、世代を超えて受け継がれてきた絆などが消えてしまうのだ」 日本人には、WBCについてこれだけの思い出がある。 第1回大会の韓国へのリベンジによる優勝。第2回大会のイチローの決勝打。前回大会、準決勝での村上宗隆のサヨナラヒット、そして決勝での大谷翔平とマイク・トラウトとの対決。それらは日本人が共有している「宝物」だ。 サブスク時代は、宝物があってもそれは多くの人たちにとって手が届かないモノとなる。興奮、感動を共有する相手は限られてしまう。 これから、日本国内で共有されるスポーツの財産は、夏の甲子園と、お正月の箱根駅伝だけになってしまうのではないか。 私はそうした事態を恐れる。
(「スポーツ・インテリジェンス原論」生島淳 = 文)