鉄道マンの誇りが揺らいだ大惨事 あれから21年、教壇で再出発
JR西日本社員から関西大教授へと転身した吉田裕さん=大阪府高槻市で2026年3月12日、梅田麻衣子撮影
あの日、人生は大きな分岐点を迎えた。
乗客ら107人が死亡、重軽傷者は562人。未曽有の事故を前に、鉄道マンとしての誇りは揺らいだ。
「自分だからこそ、伝えられることがある」。あれから21年。自問自答を重ねてきた元JR西日本社員の吉田裕さん(53)はいま、大学教授として教壇に立っている。
テレビに映った惨状
2005年4月25日。前年度分の成果報告の締め切りが迫っていた。入社11年目。当時、吉田さんはJR西でレールの状態などを管理する保線に関する技術開発を担当していた。
「尼崎―塚口間の踏切で事故が起きました」
大阪・梅田の本社で作業を進めていた午前9時半ごろ、突然フロアに社内放送が流れた。事故の一報は珍しかったが、詳細は分からず、特に気にも留めなかった。
しかし、約1時間後。職場のテレビに映し出された事故現場の映像に目を奪われた。
福知山線の列車が線路を大きくはみ出し、隣接するマンションに衝突していた。7両編成のはずが、6両しか見えない。乗客はどうなったのか――。
「現場に行かなければ」
保線担当として、とっさに反応した。
だが、上司からの指示は予想外だった。
「現場はいい。とにかく病院へ」
血が付着した遺留品
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