基本的な道徳心がどこかで破綻すると、洪水のように道徳心が流れ去る

科学・文化Doctor shows scales of justice on blurred hospital background.

Natali_Mis/iStock

8月21日のNature誌のNews欄に「Peer reviewers more likely to approve articles that cite their own work」という記事が出ている。論文には、最後に参考(引用)文献の一覧が掲載されているが、そこに審査員の論文がリストアップされていると、論文を採択する率が高いというものだ。

この論文審査員の傾向を評価をした論文はまだ審査中だそうだが、ニュース欄でこの論文の内容が取り上げられた。もとの論文の著者は、4つのオープンアクセスの出版社(多くの雑誌は購読料を払わないと抄録以外の掲載論文を読むことができないが、オープンアクセスの場合無償で読むことができる)に掲載された18,400の論文と37,000の審査コメントを調査した(一般的には一つの論文を、少なくとも二人の審査員が評価する)。

5000の論文では審査員の論文を参考論文として引用していた。また、約2300の評価コメントで審査員自身の論文を引用するように求めていた。私の感覚ではかなり多い。今は、発表論文・雑誌がどれだけ他の研究者によって引用されているのかが、研究者や雑誌の評価の一つとなっているので、審査員や出版社が自分の論文を引用するように求めているのだろうか?

私も二つの学術雑誌の編集委員長を務めていたが、その雑誌の論文が多く引用されるように誘導することを求められたこともある。別の雑誌では、論文を投稿するとその雑誌の論文を無理やりに引用することを求められたケースがあった。実際、急速に引用件数が増えて評価が高まった雑誌を調査すると、引用論文にはその雑誌の論文が引用されていること(Self Citation)が多くて、のちに大きな問題となった。

基本的な道徳心(健全な良心)がどこかで破綻すると、洪水のように道徳心が流れ去る。ハゲタカ雑誌に象徴されるように、一部の人たちの金銭欲が、多くの人の道徳心を蝕んでいる。科学の進歩には、厳しい評価と公平・公正さが不可欠だが、科学はどこに漂流しようとしているのかと不安になる。

人工知能もモラルハザードがなくなり、暴走すると人類を破壊するかもしれない。しかし、それを暴走しないようにするのは、人類の道徳心だ。ダメなものはダメということができる頑固おやじが必要だと思うが、頑固おやじがパワハラ親父と呼ばれるようになってきた時代が悲しい。

編集部より:この記事は、医学者、中村祐輔氏のブログ「中村祐輔のこれでいいのか日本の医療」2025年8月25日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は、こちらをご覧ください

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