「どうして心は変わるの?」孤独な現代を生きるためにカウンセラーが語れること(FRaU)
もう20年以上も前のこと。大学3年生になって、ようやく臨床心理学についての専門的な勉強がはじまったとき、僕にはカウンセリングという仕事がマジカルなものに見えていました。 二人きりの密室にこもって、何やら話をする。夜見た夢を報告したり、絵を描いたり、箱の中におもちゃを置いたりもする。実際に何がなされているのかは、授業を聞いてもよくわからない。でも、そういう時間を通して、人は確かに変化するらしい。 まるでふしぎの国。 面接室のドアの向こうでは、「心」という目に見えないものを扱う魔法みたいなことが行われていて、その密室で一定期間を過ごすことで、人間はなぜか変化する。 学部生の頃の僕は、結構熱心に勉強していたはずなのですが、いくら本を読んでも、その印象が変わることはありませんでした。 ですから、大学院に進学し、実際にカウンセリングのトレーニングがはじまったときには高揚感がありました。 先生たちは大魔導士のように見えたし、先輩たちはいっぱしの魔法使いのように見えました。自分は魔法使い見習い。ちゃんと修行をすれば、「心」というふしぎなものを扱うふしぎなやり方を習得することができるはずだ。そんな夢みたいなことを思っていた。
もちろん、大いなる勘違いでした。 大学院でのトレーニングを終え、「臨床心理士」という資格を取り、僕はカウンセラーとして働きはじめました。 学校でスクールカウンセラーをしたり、精神科クリニックで心理士として働いたりしました。離島に派遣されて発達相談の仕事をしたこともあった。今は東京で自分のカウンセリングルームを開業して生計を立てています。 そうやって、なんとかかんとか一応は一人前のカウンセラーになったわけですが、もちろん、僕は魔法使いにはなりませんでした。 僕が毎日しているのは、魔法とは似ても似つかぬものです。ものすごく現実的で、常識的で、そして地道な試行錯誤の繰り返しです。 カウンセリングはマジカルなものではなく、リアルなものである。異世界ではなく、世俗でなされるものである。それは非日常的な営みではなく、日常の延長にある。 ふしぎの国のカウンセリングはふつうの生活や人生と地続きにある。 これがこの本のコンセプトになります。カウンセリングという専門的な営みで行われていることを、読者であるあなたの心に日々起きていることと連続するものとして語ってみようと思うのです。 とはいえ、告白すると、僕は今でもときどき、カウンセリングにふしぎを感じることがあります。それはおそらく、僕らの生活や人生に潜んでいるふしぎであり、心というものに備わるふしぎなのでしょう。ただ、これについては、一通り全体を見てから、最後に述べることにしましょう。 さらに〈これまで謎に包まれてきた世界…日本でカウンセリングが根付かない「本当の理由」〉では、なぜ日本社会でカウンセリングが浸透しないのかに迫ります。
東畑 開人(臨床心理士)