「こうすればリスキリングは失敗しない(はず)」学び方の法則を見つけました(note)
【これはnoteに投稿された松本健太郎さんによる記事です。】
筆者はこれまで、エンジニア、データサイエンティスト、リサーチャー、マーケターとジョブチェンジを繰り返して働いてきました(画像の通り)。 ジョブがコロコロ変わるので、オカンや嫁から「あんたほんまフラフラしてからに!」と叱られます。確かに一貫性が無いキャリアに見えますが「顧客体験を良くする」ために必要な仕事は何かを考えて、筆者なりにその場その場で最善を選んできたつもりです。知らんけど。 ジョブを変えるたび「新しい仕事に挑戦するのは怖くないですか?」「今までの知見や経験が無駄になるでしょう?」と心配・忠告してくれる方もおられます。声を掛けてくれるのは、ありがたい話です。 もっとも、当の本人はポジティブ(何も心配していない)です。なぜなら、エンジニアとしてデータサイエンスのリスキリングに挑戦した際に「こうすればリスキリングは失敗しない」という肌感を掴んでいるからです。 今回のnoteでは、リスキリングに失敗しない秘訣(筆者が発見した法則みたいなもの)を紹介します。
そもそも筆者がリスキリングをやろうと思ったキッカケからお話します。 2010年代に突如として起きたビッグデータブームに乗っかろうと、当時勤めていた会社で「ビックデータPJ」が発足しました。筆者はエンジニアとしてSQL叩いてデータ出す係を担いました。 ちなみに当時はクラウド環境からではなく、自社で構築したサーバを利用していました。Hadoopの検証もしていましたね。そういう時代です。 最初は、データサイエンティストの方から「こういうデータあります?」と相談を受けたり、データを抽出したりするだけでした。ただ、時間が経過する中で(何のためにこのデータを使うのかよう分からんぞ)とモヤモヤしたり、(データを使えばこんなことまで分かるのか)とワクワクしたり、データサイエンティストという職業自体に興味と憧れを抱きました。 ただし、当時の筆者は、エンジニアとしてはPM/PMOの経験が長く、データサイエンスはまったくの門外漢。そもそも、いわゆる「文系」人間で、数学はさっぱり分かりません。 さっそく本を買って勉強しようとしましたが、書かれている内容がまったく分かりませんでした。そもそも、データサイエンスという裾野が広く高い山に、どこから登れば良いかすら分からない、というのが率直な感想です。 そのような状態が1年ほど続いたので、データサイエンティストの方に「どうしたら良いですかねぇ…?」といろいろ相談したら、データサイエンスを専門的に学べる大学院に通うべきだとアドバイスを頂きました。 最初は「途中で挫折したらどうしよう」「授業について行けなかったらどうしよう」と、失敗への恐怖ばかり考えていました。冒頭の「新しい仕事に挑戦するのは怖くないですか?」という質問には、この頃なら「怖いですよ…辞めようかな」と答えたと思います。 もちろん、お金の心配もあります。2年通うだけで3ケタの万札が飛びます。「まったく何も分からない」のに、わざわざ大学院に行って、分からないまま卒業したらお金が無駄です。 しかも、会社からは「ビッグデータPJのために大学院に行きなさい」と言われたわけではありません。したがって全額自費です。 挑戦しなくても失うものは何も無いし、止めても誰も何も言わない。ただ、自分だけが「あの時やっとけば」と一生後悔するに違いない。最後は清水の舞台から飛び降りてブラジルに辿り着く覚悟で、大学院に通うことを決めました。 結果として、心配は杞憂に終わり、無事に修了できました。(2年間通えば誰もがそうなるのかもしれませんが)「あ~そういうことか!」と分かるようになりました。 当時は東京勤務だったので東京の大学院に通ったのですが、半年して大阪勤務に変更となりました。結果、金曜夜に夜行バスで東京へ向かい、朝から授業を受けて、土曜夜に夜行バスで大阪へ向かう生活を1年間も続けていました。会社には配慮頂いて、金曜に東京出張を許可して貰ったことも何度もあります。良い会社だったと思います。
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データサイエンスという裾野が広く高い山を一気に登ったのではなく、2年かけて「隣の知識」「隣の知識」と陣地を少しずつ広げていきました。筆者はこれを「信長の野望スタイル」と命名しました。 佐伯胖先生『「わかる」ということの意味(新版)』から再び引用します。 しかし、ものごとをほんとうにわかっていく過程というのは、学校であろうと、日常生活であろうと、結局は具体的な世界での意味づけができることではないでしょうか。もしもそうだとすると、学校で学ぶべきことも、ほんとうに「わかって」学ぶには、なんらかの形で、実生活での意味との対応をきちんとつくっていくことが必要になるのではないでしょうか。 分かるとは、すでに知っている事柄の意味を掴むことだと言えるでしょう。つまり「知っている」と「分かる」は「意味を掴んでいる」という点でまったく違うのです。 その意味において、まったくの異分野・そもそもよく知らない領域をリスキリングするより、(先ほどの棒グラフの図のように)多少は見知った分野・今の知識の隣の領域をリスキリングした方が「あ~そういうことか!」となり易いのです。 冒頭、「今までの知見や経験が無駄になるでしょう?」と心配・忠告してくれたと話しました。今までの知見や経験が活きるリスキリングだってあるのです。というか、それがリスキリングに失敗しないための法則です。 ■ ちなみに、筆者が実体験したリスキリングのルールは、既に心理学者のデイヴィッド・オーズベルによって1963年に論文となっています。 オーズベルは、教科書をそのまま記憶したり、自分が既にもっている知識への関係なしに観念だけ覚えようとしたりする学習方法を「機械的学習」と名付けました。 一方で、自分が既にもっている知識に学んだ内容を関連させて意味付けを行い、新しい概念を獲得しようとする学習方法を「有意味学習」と名付けました。 筆者のリスキリングアプローチは「有意味学習」と表現できると考えます。学術的にも裏付けられており、実際にはそこまで珍しく無い法則なんだろうな、と思います。だったら、それ、早く言ってよ~(©Sansan)。