三菱自動車岡崎 野球を変え、執念植え付けた二人の指導者 都市対抗

【岡崎市(三菱自動車岡崎)-大阪市(日本生命)】三菱自動車岡崎の梶山義彦監督=東京ドームで2025年9月7日、新宮巳美撮影

 投手戦の中で四回に先取点を取り、流れはつかみかけていた。しかし、岡崎市は八回に投手陣を中心に踏ん張ってきた守備にほころびが出た。内野の失策をきっかけにひっくり返され、反撃もできなかった。

 梶山義彦監督は「終盤でああなるとだいたい負ける。ヒット3本ではなかなか勝てない」と敗戦を受け止めた。

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 日本一になるために必要なことは何か――。

 現役時代に都市対抗大会で優勝を経験している梶山監督は、「5回戦うために必要なことは何か、何となくわかっているつもり。それをどうやって選手に浸透させるか」と語っていた。

 チームは1993年に創部。2001年に準優勝を果たしたが、04、16年には会社の不祥事を受けて、予選出場を辞退する事態に見舞われた。17年にコーチとしてチームにやってきたのが、三菱ふそう川崎時代に強打の外野手として活躍した梶山監督だった。

 同じ時にマネジャーに就任した助監督の斉藤陽太さんを中心に、選手のスカウト活動にも力を入れた。斉藤さんは「勝ちを知る梶山さんが来て、新しい風が吹いた」と振り返る。

 梶山監督が21年11月に就任後は「隙(すき)を見せずにやろう」と口酸っぱく言い続け、朝食をしっかり食べるなど私生活から見直した。

 全力疾走、ベースカバー、バックアップなど、グラウンドでは「当たり前のことを当たり前にやれるチーム」を目指してきた。

都市対抗大会を観戦する日産自動車の伊藤祐樹監督(左端)ら=東京ドームで2025年9月2日、角田直哉撮影

 コーチ兼任の13年目、小室和弘は「梶山監督になって、野球がさらに細かくなった」と話す。打撃練習では、「低めは振らない」「変化球だけ打つ」など制限のある中でバットを振らせ、対応力を磨いた。

 チームに与えた影響力は梶山監督だけではない。現在、日産自動車を指揮する伊藤祐樹さんもその一人だ。22年に出向する形でヘッドコーチとなり、一球への執念が植え付けられた。

 伊藤さんは都市対抗大会は補強選手も含めて13回出場し、優勝も経験している。球際の強さなど、日産自動車の伝統的なしぶとい野球が注入された。

 小室は「監督が来て野球が変わり、伊藤さんが来て、野球の見方が変わった。それまでざっくりやっていたが、守り勝てるようになってきた」と振り返る。2年前には、20年ぶりの8強入りを果たした。

 今大会は準決勝までの4試合でわずか3失点。前回大会に14失点でコールド負けした屈辱を晴らすかのように、投手陣を中心に粘り強さを発揮した。ただ、あと一歩、頂点に届かなかった。

 梶山監督は「やってきたことは間違いではなかった」と一定の手応えは得た。外からきた指導者が伝えてきた技術や執念が詰まった隙のないチームは、確かな強さを見せた。【円谷美晶】

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