引退する先輩からの声かけに涙。山本尚貴が伊沢拓也を敬愛してやまない理由「彼がわがままを通していたら、チャンピオンは僕じゃなかったかもしれない」
今季限りでのスーパーGT・GT500クラスからの引退を表明していた伊沢拓也(64号車Modulo CIVIC TYPE R-GT)は、もてぎでのシリーズ最終戦を13位で終えた。2007年のデビューから約19年間、そのスピードと開発能力でホンダ陣営を引っ張ってきた男が、メーカーの威信をかけた戦いから身を引くこととなった。
自らの近年のパフォーマンスを鑑み、「自分はここにいるべきではないと思った」ことから引退を決意した伊沢。記念Tシャツが作られるなど、そのラストレースは引退を惜しむ同僚たちによって華々しく彩られた。伊沢本人も「皆さんがこんなにしてくれるとは思っていなかったので、ありがたいですね」と語った。
関連ニュース:これが最後のレースであると噛み締める瞬間はあったのかと尋ねると、「エンジンかけた時はちょっとそう思いましたね」と明かす伊沢は、最後までやり切ることができたと振り返った。
「皆がチャンピオン争いをしている中でバトルも激しくて、当たらないように気をつけたところもありました。抜かれたり、抜き返せたり……苦しい中でしたが、やれることはやりました」
「悔いは……なくはないけど、頑張りました」
そんな伊沢は、最終戦恒例のグランドフィナーレの中でファンに向けて挨拶すると、関係の深い後輩のひとりである山本尚貴の名前を挙げた。
「最後に山本選手、これからのホンダをよろしくお願いします」
「結果も記録も僕より遥か遠くにいっちゃってますが、一緒にやってきた仲間で、大好きなドライバーです。僕はドライバーじゃなくなりますが、これからのホンダは彼が引っ張ってくれると思っています」
グランドフィナーレでの松田次生(左)と伊沢
写真: Masahide Kamio
帽子を目深に被り、うつむき加減で挨拶を聞いていた山本は、その言葉を聞くと涙を流していた。山本はその後のインタビューで「ダメですよ。あれはズルいですよね」と語った。
スーパーGTではTEAM KUNIMITSUで計6年間チームメイトだったふたり。今回の決勝前に多くの関係者に声をかけ、声をかけられていた伊沢の「山本のところに行っちゃうと泣いちゃうから行かないようにしてた」という言葉が彼らの関係性を物語っている。
ただ山本によると、最終的に伊沢の方から声をかけに来たのだという。
「周りの人たちにとっても、伊沢選手と最後のレースを共有する大切な時間だったので、自分がその輪の中に入るのもなと思い、僕も(声かけを)控えていました」
「落ち着いたタイミングで伊沢選手のところに行って『お互い頑張りましょう』と言おうと思っていたら、伊沢選手の方から先に来てもらっちゃったんで、ちょっと申し訳なかったですね」
「伊沢選手と時間を過ごしてからすぐに気持ちを切り替えましたが、レース前に泣くのは初めてだったので、危なかったですね」
山本が伊沢にこれほど強い感情を抱くのには理由がある。
山本は伊沢とのコンビを解消してジェンソン・バトンと組んだ2018年にGT500初王座を獲得すると、同年にはスーパーフォーミュラでも2度目の王座に輝き、日本を代表するドライバーとしての座を確固たるものとした。しかし伊沢が同僚時代に我慢をして自分のことを立ててくれた経験があったからこそ、今の自分があるのだという思いが山本にはある。彼は昨年スーパーフォーミュラを引退した時にも「伊沢さんには頭が上がらない」と話していた。
フィナーレでまさか自分を名指ししてくれるとは思っていなかったという山本は、伊沢への感謝を改めてこう語る。
2017年までコンビを組んでいたふたり
「僕こそ恵まれたレース人生を歩ませてもらいました。伊沢選手なくして今の自分はありませんでした。自分を犠牲にしてまで、周りを守ったりとか、周りを立ててくれるドライバーさんや関係者ってなかなかいないですから」
「もしかしたら、伊沢さんがもうちょっとわがままを通していたら、僕じゃなくて伊沢選手が勝ってチャンピオンを獲っていたかもしれません。そこを我慢して、僕を立ててくれた場面、守ってくれた場面があったからこそ、僕はたくさん勝ててタイトルも獲らせてもらいました。伊沢選手には一生頭が上がらないです」
「伊沢選手の背中が大きすぎたが故に、自分では力不足な感じはありますが……。伊沢選手のように、スポーツ選手にはいつか終わりが必ずあるので、自分もいつかはそれがやってくると覚悟はしていますが、大勢の皆さんの前で伊沢さんのああいうコメントを聞いちゃったので、もうちょっと頑張ろうかなと思います」
「とにかく、今まで本当にたくさんお世話になりました。本当にありがとうございました。その気持ちだけですね」
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