電車で急に心ない言葉 来日25年、ネパール人が震えた「初の恐怖」
「ここは日本なのだから、海外の文化を持ち込まないで、日本に合わせなさい」
神奈川県に住むネパール出身のジギャン・クマル・タパさん(46)は8月、帰宅中の電車内で、面識のない30代くらいの男性から突然、心ない言葉を投げかけられた。
目線はタパさんが普段通りかぶっていた伝統的な織物で作られたネパール帽子「トピ」に向けられていた。
来日して25年。そんなことを言われたのは初めてだった。ショックと恐怖で頭の中が真っ白になり、何も言い返さずに次の駅で急いで下車した。
Advertisement日本で暮らす外国人が増加する中、7月の参院選では外国人を巡る政策が論点として急浮上。10月4日投開票の自民党総裁選でも、議論されている。
突然漂い始めた排外的な空気に、タパさんら在日外国人は戸惑いを隠せないでいる。
タパさんのX投稿にリプライ3000件超、目立った批判
<ネパールの帽子をかぶって歩くだけで『外国人だから』と視線を感じることが増えた。25年日本に暮らして、こんな怖さを覚えたのは初めてです>
その日の夜、タパさんはX(ツイッター)にそんな投稿をした。交流サイト(SNS)はネパール関連のイベントやニュースの紹介で利用する程度で、投稿頻度は高くなかった。
それでも投稿したのは、「あなたは悪くないよ」と誰かに言ってほしい気持ちがあったからかもしれない。
翌日、Xの通知が大量に届いていることに気付いた。
ところが殺到したリプライには、外国人による犯罪やマナーの悪さを訴える批判的な内容が目立った。
<日本に来る外国人の方々の一部が傍若無人に振る舞った結果でしょ>
<自業自得と因果応報>
タパさんの投稿は1628万回閲覧され、リプライは3000件超に上った(9月22日時点)。
トピは正装に用いられる帽子であり、タパさんにとっては、仕事先や重要な会合などで着用するネクタイのように大切なものだ。
しかし、この一件以来、トラブルに巻き込まれるのが怖くなり、街中ではトピを脱いでバッグの中にしまうようになった。
タパさんの投稿が批判を集めたことが在日ネパール人社会に与えた動揺は大きかった。
「トピをかぶれば、タパさんと間違われて危害を加えられるのではないか」
タパさんに直接、懸念を伝える人もいた。
ネパールで夢を与えてくれた日本人
タパさんはネパールの首都カトマンズ郊外の村の出身で、2000年に留学生として来日した。
きっかけは、国際協力機構(JICA)の海外協力隊員の日本人男性がネパールのタパさんの自宅にホームステイしたことだった。
男性は当時23歳。ネパール語を学んで日本からはるばるやってきた若者を住民たちは歓迎し、当時6歳だったタパさんも誇らしげに彼を案内して回った。
「私のような子どもに夢を与え、いつか自分も海外に行きたいと考えるきっかけをくれた人でした」
そう振り返るタパさんは高校卒業後、ネパールの日本語学校で学び、子どもの教育支援などに取り組む日本のNGOの現地職員として2年間働いた。
そして、大切にしていたバイクを売って渡航資金を捻出し、日本の大学に留学した。
日本では朝5時半に起き、大学に行くギリギリの午前8時まで病院で清掃のアルバイトをしながら勉学に励んだ。
だが、日本社会に戸惑いがなかったわけではなかった。
近所の子どもに「こんにちは」とあいさつすると、一緒にいた保護者が怖がって子の手を引いて去ってしまうこともあった。
外国人の自分と日本社会との「距離」を感じた。
日本社会の一員として
来日から1年がたったころ、タパさんは近所の小学校の校長あてに手紙を書いた。
日本人にもっと外国人のことを知ってもらうために、自分に何か協力できることはないか――。
手紙につづった思いは伝わり、小学2年生の児童と交流することになった。ネパールで山登りの際に歌う歌をテープで流し、一緒に踊った。
地域の習字教室に誘われるようになり、子どもと席を並べた。子どもの名前を紙にネパール語で印刷して渡すと、屈託のない笑顔で喜んでくれた。
交流を始めてから1年ほどたつと、地域の子ども会の花見のために、子どもたちを公園に連れて行ってほしいと住民に頼まれた。
「日本社会が自分を受け入れてくれた」
初めてそう実感が湧いてうれしかった。
外国人は「一時的な労働力」に過ぎないのか
出入国在留管理庁によると、日本に在留する外国人は昨年末時点で376万8977人と過去最多となった。外国人労働者の増加が数字を押し上げた形だ。
そもそも日本政府が外国人労働者の受け入れを拡大してきた背景には、介護や建設業など国内のさまざまな現場が少子化に伴う人手不足に直面しているという事情がある。
だが、大幅に外国人が増えたことによる摩擦も報じられるようになった。
7月の参院選では「日本人ファースト」を掲げて勢いを増す参政党を意識したのか、これまで政権与党として外国人労働者の受け入れを拡大してきたはずの自民党も「違法外国人ゼロ」を打ち出すに至った。
建設や介護の現場だけではない。コンビニエンスストアやファストフード店、農業や漁業まで、在日外国人はかつてないほど身近な存在となり、その存在無くして成り立たない中小事業者も少なくない。
「単純労働に従事する外国人がいないと社会が成り立たないところまで来ているのに、社会を支える一員としてではなく一時的な労働力としてしか捉えられていないのではないか」
タパさんはやるせなさを感じている。
「千里の道も一歩から」同胞に説く日本語のことわざ
タパさんは現在、かながわ国際交流財団職員として働き、外国にルーツを持つ人々との交流を促進するセミナーを担当するなど多文化共生社会を目指す取り組みに携わっている。また、在日ネパール大使館の公式通訳者も務め、来日したネパール政府要人と日本政府関係者の会談を通訳することもある。このほか、今年3月まで10年間、神奈川における地方創生などについて有識者らが議論する県地方創生推進会議の委員を務めた。
また、日本各地で暮らすネパール人に対して、日本の法令やマナーを順守し、地域社会とのつながりを築く大切さも説いている。
ゴミは各自治体のルールに沿って分別する▽声の大きさなどの騒音に配慮する▽時間や約束はちゃんと守り、守れない約束はしない――など、自分自身が気付いて実践してきたことを伝えてきた。
24年8月には、日本生活の心得をネパール語で本にまとめて出版した。
「石の上にも三年」「継続は力なり」「千里の道も一歩から」といった日本語のことわざも紹介し、夢を持って実直に努力すれば成功をつかめると訴えた。
2000冊が売れ、多くの人が日本社会になじみ、貢献したいと考えていることを実感した。
予想外だった2回目の投稿への反応
Xに投稿した翌々日、タパさんは自分の考えをきちんと説明したいと思い、Xに長文を投稿した。
<私は日本が本当に好きで、この国で学び、働き、家族と共に生きてきました。今の私がいるのは日本という懐の広い国のおかげです。誤解のないように申し上げたいのは、決して日本を悪く言いたいのではなく、むしろ尊敬と感謝の気持ちを持っているということです>
日本のルールやマナーを守る大切さを強調した上で、こう続けた。
<外国人もルールを守り、日本社会の一員として日本人も外国人も安心して暮らしてほしいと願っているだけです。僕もあまり派手じゃない地味な色を選ぶから…帽子ぐらいは許して…>
投稿は32万回閲覧(9月22日時点)された。だが、タパさんに寄り添うようなコメントはほぼなかった。
<母国に帰れば?日本人は外国人にうんざり>
目に付いたのは追い打ちをかけるようなコメントだった。
タパさんは、日本人と同じように納税し、社会保険料も納めてきた。在留資格として永住権を持ち、今後も大好きな日本で暮らしていきたいと考えている。
それだけに、今回の投稿が批判を集めてしまったことへの戸惑いは大きい。
「足につばをはかれた」。日本に暮らす外国人から話を聞くと、風当たりが強くなっていることを肌身で感じているのは自分だけではないことが分かった。
総裁選候補へのメッセージ
タパさんは、これからも試行錯誤しながら「日本とネパールの懸け橋になる」ことをライフワークにしていく気持ちに変わりはない。
タパさんのこれまでの歩みや活動を見聞きして知っている人からは、「どうか、気を落とさず。強い心で」とXでも心配するコメントが寄せられ、励まされた。
「悲しいけれど、不寛容になりつつある社会から逃げてはいけないと思います。対話を通じて自分とは違う考え方があることを理解することが大切なのではないでしょうか」
そう言葉に力を込めた。
そして最後に自民党総裁選の候補者へのメッセージを語った。
「私たちを(日本)社会を支える仲間として見てほしい。分断をあおるのではなく、外国人がなぜ必要なのかを丁寧に説明していただき、共に安心して暮らせる社会を次の世代に残してほしいです」【川上珠実】