映画のヒーローか冷酷な殺人者か、「伝説の」保安官に浮上した妻射殺疑惑 テネシー州の郡が直面する闇
マクネアリー郡の裁判所にあった事務所でリラックスするビュフォード・パッサー保安官=1968年9月26日/Jack Corn/The Tennessean/USA Today Network/Imagn Images
(CNN) デニス・ハスコック氏(75)は、保安官ビュフォード・パッサーの伝説を一瞬たりとも信じたことはなかったという。
ハスコック氏が生まれてからずっと暮らしてきたテネシー州南西部のマクネアリー郡では、多くの人々がパッサーを地元の英雄としてたたえているが、ハスコック氏の考えは違った。
ハスコック氏は、汚職や組織犯罪と戦う勇敢な保安官というパッサーのイメージを信じたことはなかった。また1973年のヒット映画「ウォーキング・トール」やその続編の中で、正義感あふれる保安官として活躍したパッサーの姿も受け入れなかった。
長い年月の間にパッサーの実際の人物像と映画の中で描かれた姿との境界があいまいになり、事実と虚構を区別するのが難しくなっているとハスコック氏は言う。
パッサーの死から50年以上が経過したが、パッサーの故郷であるテネシー州アダムズビルでは今でも彼の存在感は健在で、パッサーの生涯にまつわる品々を展示する博物館があったり、毎年、彼の功績をたたえる祭りも開催されている。
そのため、先日明らかになったパッサーに関する衝撃的事実は、その地域に大きな動揺をもたらした。
州の捜査当局は、1967年8月12日未明に起きた、パッサーの妻ポーリーンが犠牲となった待ち伏せ襲撃事件は、実はパッサー自身が仕組んだものだと主張している。
当時パッサーは当局に、自分の犯罪取り締まりに怒った武装集団が、田舎道で彼の車に横づけし、彼と妻に発砲したと説明した。妻のポーリーン・マリンズ・パッサーは致命傷を負い、パッサー自身も顎(あご)を撃たれた。
しかし現在、捜査当局はその事件についてのパッサーの説明は事実ではないと主張しており、検察当局は記者会見で、パッサーが自ら妻を射殺し、その後自分も負傷したように偽装したと考えていると述べた。
レスラーから保安官に転身
パッサーは、保安官のバッジをつける以前から、すでに並外れた存在だった。身長が2メートル近くある巨漢のパッサーは、シカゴでプロレスラーとして活躍していた。
パッサーの妻ポーリーンのいとこであるオークリー・ディーン・ボールドウィン氏によると、パッサーはシカゴでプロレスの試合中にポーリーンと出会い、6~8カ月交際した後に結婚したという。
パッサーは、プロレスラーを引退後、妻と2人でアダムズビルに移住し、そこで警察署長を務め、その後26歳で郡史上最年少の保安官に就任した。
生まれて以来ずっとマクネアリー郡に住み、パッサーの生涯を研究する同郡の名誉歴史家であるスティーブ・スウェット氏によると、パッサーは密造酒業者や賭博師、さらに郡に組織犯罪をもたらす者たちの取り締まりに乗り出したという。
パッサーには、絶妙なタイミングで犯行現場に居合わせる才能があり、毎週のように新聞にパッサーによる密造酒の取り締まりや強盗の逮捕に関する記事が掲載されていたとスウェット氏は語る。
一方、ポーリーンが亡くなった当時16歳だったハスコック氏は、正義の英雄が悪をこらしめる事件の中心にはいつもパッサーがいるというお決まりのパターンはあまりに出来すぎていて信じがたいとし、さらに彼が関わった大事件は目撃者がいたためしがないと述べた。
しかしハリウッドにとって、パッサーの物語は魅力に満ちていた。ジョー・ドン・ベイカーがパッサー役を演じた1973年のアクション映画「ウォーキング・トール」はカルト的なヒット作となり、続編も2作制作された。
2004年に公開されたリメイク作品では、「ザ・ロック」ことドウェイン・ジョンソンが主演したが、舞台や登場人物の名前は変更されていた。
パッサーは1974年8月、車を運転中に事故死したが、ハリウッドに取り上げられたおかげで、マクネアリー郡、特にアダムズビルでは知らない人はいない存在になった。
事件から約60年後、当局は事件の証拠を再調査
テネシー州捜査局(TBI)は先月の記者会見で、ポーリーン・パッサー殺害事件は約60年経った今も未解決のままだと述べた。1967年の彼女の死後、検視は行われていなかった。
しかし2023年春、捜査当局がポーリーン・パッサー殺害事件で使用された可能性のある凶器に関する情報を入手したのをきっかけに捜査活動が強化された。