3年かけてアメリカの永住権を取得したが、再びベルリンへ…ある家族が移住を経て気づいた「譲れない条件」(海外)(BUSINESS INSIDER JAPAN)

グリーンカードを取得するまでには3年かかった。その間の2022年に第一子となる息子を出産したが、私はこの街でさらに孤独を感じるようになっていた。 どれだけドイツ語を上手に話せるようになっても、ベルリンでは私はずっと自分が異邦人のように感じていた。私はスコットランド北部のハイランド地方の、人里離れた土地で育った。 私たち夫婦はいずれアメリカへ移住する予定だったため、私はベルリンでの暮らしをより良くしようと努力することをやめていた。すべてを終わらせ、新しい人生へ進む覚悟ができていた。

2024年11月、私たちはついにサンフランシスコから車で約1時間北にある、穏やかな町ソノマへ移り住んだ。私はずっと、「ようやく落ち着けた」と実感できる瞬間が来るのを待っていたが、そんな感覚は最後まで訪れなかった。 新生活がうまく軌道に乗らない大きな原因のひとつが、夫の仕事の問題だった。夫はソフトウェアエンジニアとして長年の経験があり、何度も応募を続けていたにもかかわらず、まったくよい返事を得られなかった。それは大きな精神的な打撃になっていた。 私たちの貯蓄はどんどん減っていった。息子の幼稚園は、1日わずか3時間にもかかわらず月1000ドルもかかり、食料品も、最低限の買い物だけで週300ドルかかってしまうことが珍しくなかった。スーパーへ行くことさえ恐ろしく、不安でいっぱいになっていた。 スコットランドの実家を訪れたときのことを覚えている。買い物の商品代を支払いながら、これがソノマなら3倍の値段になるのだと考えると私は気分が悪くなってしまうほどだった。 幸い、カリフォルニアでは電気自動車を使っていたため、ガソリン代はかからなかった。また、私たちは低所得世帯向けの医療保険制度に加入していたため、診療費とは別に大きな追加負担を支払う必要はなかった。ただ、それでも、もし高額な医療が必要になる深刻な健康問題が起きたら、とても払えないのではないかという不安を抱えていた。 夫の実家にはよく行っていたが、義父は余命わずかで、私たちは彼が別人のように衰えていくのを見守っていた。私たちはまったく無力だと感じていた。夫は、家族を養う能力を回復不能なほど損なってしまったのではないかと心配し、その時点では私たちがアメリカで充実した生活を送ることはできないと明らかになった。 私は第2子を妊娠していたため、私たちは今後の選択肢について真剣に考えなければならなかった。

私たちはまた不幸せになるかもしれないとわかったうえで、再びべルリンで生活してみようと移住を選択した。だが今回は、物事がうまくかみ合った。夫はすぐに良い仕事を見つけ、第2子となる息子が生まれてから2週間後には彼は働き始めていた。

Megan Carnegie

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