大黒摩季、55歳の「ROCK」宣言 母の死、病気、離婚…受け止めてたどり着いた境地「今の自分が一番好き」来年35周年

 シンガー・ソングライターの大黒摩季(55)にとって、2025年は変革の1年になりそうだ。「55 BLACK」(8月2日発売)、「55 RED」(今秋発売)のアルバム2枚をリリース予定で、異なるコンセプトの全国ツアーを開催する。ツアー前半戦は大黒流の「ROCK」を追求。母の死や病気、離婚…人生に訪れた波乱を受け止め、「ROCK」の境地にたどり着いた。「やっと生きる理由を見つけた。今の自分が一番好き」。来年35周年を控え、その覚悟を聞いた。(宮路 美穂)

 取材場所に姿を現した大黒の左手には、フィンガーレスの長い手袋のようなものがはめられていた。ロック風のコスチュームかと思いきや、「骨を折って手首が折れているんです」。あっけらかんと固定用のギプスであることを明かした。

 実は5月10日の三重・四日市公演のアンコールでバランスを崩し、左手で支えたところ手首を負傷していた。「頸椎(けいつい)が変形して、体の片方が弱くて転びやすくなっているんです。去年は膝の皿を割りましたし…」。自由が利かず、マイクを固定した状態でのパフォーマンスに変更を余儀なくされたが、けがの功名か、ツアーで掲げる「ROCK」を象徴するような反逆、反骨の精神が自然とにじみ出ていた。

 「(ギターの佐藤)タイジくんは『折った方がええんちゃう?』って(笑)。怒りが出ているというか、後半のノンストップに駆け上がっていくところでは、骨折してからの方が『ウリャー』と声が出てきた」

 自分自身も驚く55歳での「ROCK」宣言。きっかけはマネジャーのひと言だった。「長い介護を経て21年に母が亡くなって、そのまま30周年のツアーを走って。23年の正月に『摩季、もういいよ。アーティストとして責任を果たしてたんだから、好きなように生きていいよ』と言われたんです」。我に返ると、期待に応えるために、毎日を生きていることに気づかされた。

 「東京に出てくる前は、もっとトガってヒリヒリしていたはず。それが、気がついたらポジティブなキャラクター。『元気をくれてありがとう』『前向きになれた』と感謝されて、音楽業界の松岡修造さんみたいなポジションになっていた。私が好きなことって何? それに気づいて、ポカーンとなって…」

 そんな折、プロデューサーからのラブコールで、昨夏のTBS日曜劇場「ブラックペアン2」に大学病院の副院長役で出演した。「仁王立ちで小泉孝太郎さんと相対するシーンで『怒りと悲しみと悔しさ、気持ちを爆発させてください』と言われて。女優さんでも難しいのに、私にできるわけない!と思ったんですが、西浦(正記)監督は諦めない」

 繰り返されるテイク。限界が近づき、気が遠くなりそうになったとき、内なる感情が爆発した。「母の介護を長くやっていて、『怒り』を勝手に閉じ込めていて温和な人になっていたんです。それが母が亡くなる時のお医者さんとのやりとりで、自分の中でたまらなく怒ったことがあって。それを急に思い出したら、グォーッて出てきて、怒りの扉が開いた」。何年も閉ざしていた本能的な野性が花開いた瞬間だった。

 「それまでは、ロックは人が決めるもので、自分から言うものではないと思ってきたんですけど、やっぱり私はロックで発散してきた。頸椎はすり減っていくので、全身を使ってハイピークで自分超えに挑む生き方はもう5年もできないはず。いつそのときが来てもいいように、大黒摩季じゃないと歌えない歌を歌いたい」。覚悟は決まった。

 「自分の終わり方、隠居するタイミングはおおよそ見えている。あれほど不安だったのに、終わりが決められたら腰が据わるんです。だからこそ『いま』に対する集中力がすごい。私は歌い手というより、通訳みたいなもの。みんなが持っている自分の心の中で気づいていない言葉のスイッチを、ポンと押すだけ。言いたいのに言えなくて、言ったら裁かれるようなことを歌う。母が亡くなって3年かかって、やっと生きる理由を見つけたんだと思います」

 55歳の自分を客観視しながらデビュー前の20歳の頃を思い出した。「うだつが上がらなくて、バックコーラスしかやらせてもらってない頃、初詣の浅草寺でお祈りしたんです。『私に人間が感じる全ての感情を与えてほしい。誰も作れないような作品を作りたい』って、奮発して1000円入れてきた。おかげさまで、ここまで感じてこなくていいような感情をいっぱい経験した。離婚も病気も、バリューセットみたいに来た(笑)。でも生きている感満載で楽しいし、痛いけど、今の自分が一番好き」

 たくさんの傷を負い、ボロボロになったからこそ、伝えられるROCKがある。今回のアルバムはツアーの最終日にリリース予定。最新アルバムを引っさげて全国ツアーを行う従来のプロモーションとは一線を画す。

 「相当嫌みを言われましたよ」と笑うが、「サブスクでは毎日新曲が出ていますよね。でも、本来はライブで聴いていい曲だと思ったら、『もう一回聴きたい』『逃すものか』と聴いてくれる。メーカーさん、業界のセオリーはあるけど、私の曲はその人の中で残るものになりたいです」

 「55 BLACK」を完走すると、ツアー後半戦「55 RED」がスタートする。こちらはフラメンコの要素を取り入れたドラマチックなライブになりそう。来年に35周年を控え、また新たな展開が待ち受ける。

 「曲がヒットしたり、やりきったなと思える部分って雲海のご来光みたいなもので、登ってみないと分からない。これは若者たちにも伝えたいことなんですけど、やりきった先の景色はすごくいいんです。私は90年代に女の幸せをかなぐり捨てて踏ん張ったから、ヒット曲という財産がある。昔は忘れられるものに命を懸けてバカバカしいなと思ったこともあったけど、私が残せるものは作品と記憶しかない。まだまだ雲海が見たいなと思います」。脳裏に“隠居”がちらつき始めたからこそ、一曲が、一ステージがいとおしい。

 「学校で『夢や愛は素晴らしい』と先生は言うけど、夢のかなえ方や愛し方は教えてくれない。私はそれを音楽から教わってきた。ロックも含め、音楽に最大限のリスペクトを込めて、私も皆さんに必要とされる存在になりたいと思います」

 大黒摩季はROCKであり続ける。

 ◆大黒 摩季(おおぐろ・まき)1969年12月31日、札幌市生まれ。55歳。92年「STOP MOTION」でデビュー。「DA・KA・RA」「あなただけ見つめてる」「ら・ら・ら」などヒット曲多数。96年「熱くなれ」はNHKアトランタ五輪中継テーマ曲。2010年から子宮疾患の治療で休養し、16年に活動再開。「55 BLACK」ツアーは8月2日の福島公演でラストを迎え、同28日の北海道公演から「55 RED」ツアーが始まる。

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