英語の「お姉ちゃん」と文通 29年前殺害された上智大生と出会った夏

大学1年当時の小林順子さん=1993年10月24日(遺族提供)

 「私は今年、なんとアメリカに留学することになったのだ! よかったらアメリカに手紙書いてね」

 1996年の正月、新潟市の高校1年だった丸山亮太さん(46)の元に、きれいな字でつづられた年賀状が届いた。

 差出人は、5歳年上だった東京都葛飾区の上智大生の小林順子さん(当時21歳)。留学への希望に満ちあふれる姿が、目に浮かんだ。「英語がとてもうまかったから。やっぱり、すごい人だな」と思った。

 でも、これが最後のやり取りになるとは、想像もしていなかった。

一緒に歌ったカーペンターズ

 2人が出会ったのは、93年の夏休みだった。

 丸山さんが通う中学校に、上智大英語学科の学生サークルが、ボランティアで英語を教えに来ると先生から案内があった。丸山さんは英語力が少しずつ伸び、勉強が楽しくなっていた頃。「東京の大学生」との交流にも胸が高鳴った。

 丸山さんら生徒5人のグループの担当になったのが、当時大学1年生の順子さんだった。

 「まだ18歳だから『先生』なんて呼ばないで。呼び名はみんなで考えてね」。順子さんの手作りのテキストには、そんな自己紹介も添えられていた。

 親しみやすく、気さくに話しかけてくれる順子さんは「お姉ちゃん」のようで、すぐに打ち解けた。

 5日間のプログラムの中では、カーペンターズの「トップ・オブ・ザ・ワールド」を歌い、映画「バック・トゥ・ザ・フューチャー」を見た。英語劇にも挑戦した。

 流ちょうに英語を話す順子さんの語学力に圧倒され、学校の授業とは違う、英語で会話するおもしろさを教わった。洋楽やロックも好きになった。

 秋ごろになって、順子さんから手紙が届いた。夏休みの授業で撮った写真が同封されていた。丸山さんが返信すると、年賀状や暑中見舞いなど年に数回の手紙のやり取りが始まった。

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