訴訟の嵐:米国とBBC、報道は圧力に耐えられるか
先月、英BBCの経営陣トップ、ティム・デイビー氏とニュース報道部門の最高経営責任者デボラ・ターネス氏が突如辞任し、英国内外に大きな衝撃が走った。
一つのきっかけは昨年10月の番組「パノラマ」がトランプ米大統領の演説をしい的に編集したとされる問題だ。トランプ氏は、BBCに対して謝罪と巨額の買収を求める法的措置をとると警告している。
VV Shots/iStock
問題視された編集とは
どのように「しい的に」編集したかというと、2021年1月6日、前年の大統領選でジョー・バイデン氏が勝利したことを不服に思い、トランプ氏はホワイトハウス近くの緑地で支持者の前で演説していたが、「パノラマ」は演説の中で「議会に向かおう」と「死ぬ気で戦う」といった別の文脈で発せられた2つの発言を意図的につなげていた。
この日、米連邦議会襲撃事件が発生しており、2つの発言をつなげたことでトランプ氏が襲撃を扇動したかのような印象を与えた。
現時点で、どのような意図で50分以上も離れた2つの発言をつなげたのかは公にされていない。
このところ、BBCはほかにもその報道の不偏不党性を疑問視されるスキャンダルに見舞われていたが、トランプ氏の演説編集問題は保守系新聞「テレグラフ」の大々的報道によって大きく注目され、BBC側からは何の反応もない日々が過ぎた。
批判がますます高まる中、BBCのトップ二人が突然辞任を表明した。
演説編集の理由は不明
それにしても、奇妙である。編集上の「間違い」であるなら、責任者を探し出し、謝罪し、そこでひとまず終わりとして次に進むこともできたはずだ。トップ二人の同時辞任という大ごとにする必要があったのか。別の大きな理由があったのか。憶測は深まるばかりだ。
トランプ氏が敵対視するのはBBCばかりではない。最初のターゲットは米メディアだった。
■
11月27日、オーストリア・ウィーンのプレスクラブ「PresseclubConcordia」が主催したオンラインイベントが開催され、米ワシントン・ポスト紙の元編集主幹マーティン・バロン氏、英リベラル系新聞ガーディアンの元編集長アラン・ラスブリッジャー氏に現状の分析を聞いた。聞き手は欧州のジャーナリズム・プロジェクト「欧州コンテキスト」を主宰するミリヤナ・トマッチ氏である。
イベント(「米国とBBCに対するトランプ氏の訴訟——報道の自由と質の高い報道は危機に瀕しているのか」)の概要を紹介してみたい。
BBCーグローバルな評価
ミリヤナ・トマッチ氏:米ピュー研究所の最近のデータによると、米国人の79%がBBCニュースを知っており、21%が定期的にBBCからニュースを得ている。BBCは公共放送のグローバルな基準点であり続けている。
トランプ大統領が最初のターゲットにしたのは、米国メディアであった。マーティン・バロン氏はこう書いている。「私はもはや、米国において憲法秩序が維持されるとか、法の支配が勝つとか、報道機関だけでなくすべての米国民の言論の自由が持続するとは想定していない」と。
トランプ氏の米メディアに対する全面攻撃
バロン氏(イベントの動画からキャプチャー)
マーティン・バロン氏:トランプ大統領は、言論の自由全般、特に報道機関に対して組織的な攻撃を仕掛けている。これは、彼が2期目としてホワイトハウスに入る前から始まっていた。
まずABCに対して訴訟を起こした。ABCのアンカーによる報道が、トランプ氏の見解では不正確であったというものである——実際には不正確ではなかったが——当初は私的な訴訟であった。しかし彼が当選後、大統領権力の影響力を背景に和解を引き出そうとしていたことが明らかになった。ABCは最終的に1600万ドル(約24億円)を支払うことで合意し、その資金は名目上、トランプ氏が将来設立を予定する大統領図書館に充てられることになっている。
トランプ氏はCBSに対しても訴訟を起こした。これは、元民主党大統領選候補カマラ・ハリス氏とのインタビューを、選挙運動に有利になるよう誤解を招く形で編集したとして、規制規則における「ニュースの歪曲」に当たると主張したものである。
同時に、関連組織がFCC(連邦通信委員会)に苦情を提出し、FCCはこの件を取り上げた。一方、ラリー・エリソンとその息子デイヴィッドが所有するスカイダンス社はパラマウントの買収を進めていたが、トランプ氏の訴訟に関する交渉が進む間、買収は保留された。
最終的に、パラマウントはトランプ氏にさらに1600万ドルを支払うことで合意し、スカイダンスも彼に相当額の資金を提供する別契約を結んだ。また、彼が支持する大義を事実上支援する形で、いわゆる「公共サービス広告」にも資金を提供することとなった。
ニューヨーク・タイムズも名誉毀損の疑いをかけられ
バロン氏:ニューヨーク・タイムズも名誉毀損の疑いで訴えられており、他のメディアも同様だ。トランプ氏や通信規制当局は、主要ネットワーク系列局の放送免許を取り消すと脅すことさえある。
つまり、あらゆる手段を用い、トランプ氏はメディアに対して組織的な攻撃を仕掛けている。一部のメディアは事実上屈服し、和解に応じた。
特に懸念されるのはCBSで起きたことだ。和解後、CBSは極右系シンクタンク出身でトランプ氏を公然と支持していた人物を「オンブズマン」に任命した。この人物にはジャーナリズムの専門的な背景はなかった。そして、バリー・ワイス氏が新編集長に据えられた。ワイス氏は以前ニューヨーク・タイムズで働いていたが、極左の同僚からのいじめを理由に辞職。その後、自身のメディア事業で成功を収め、主に極左に批判的な立場を取る。ただし、必ずしもトランプ支持者ではない。今後の動向は注視が必要である。
他のメディアについては、ほとんどが依然として報道機関としての職務を果たしていると私は信じている。
しかし、トランプ氏は絶え間なく、しばしば悪意に満ちた中傷でメディアに圧力をかけ続けている。
ワシントン・ポストとベゾス氏の方針転換
バロン氏:ワシントン・ポストについても触れておく必要がある。同紙を所有するジェフ・ベゾス氏は、昨年秋の米大統領選のわずか11日前、カマラ・ハリス氏を支持する社説の掲載を差し止め、今後同紙は大統領選に関する支持表明を行わないと発表した。これは半世紀以上続いた慣行からの大きな転換である。
報道の最前線で働くジャーナリストたちは、従来通りの仕事を行っていると思う。しかし、ワシントン・ポストではベゾス氏が論説ページを大幅に変更した。前任の論説面編集長は、ベゾス氏が自由市場と個人の自由をより強調したい意向を示した際に辞任している。論説面はよりリバタリアン(個人の自由を最大限に尊重し、政府の介入を最小限に抑えるべきだと考える人々)的な方向へ移行し、トランプ氏の政策を称賛する機会を見つけるようになった。批判的な記事も掲載されるが、民主党への批判と対にされることが多く、一種の誤った等価性を生む傾向がある。
報道部門はリソースが減少しているにもかかわらず、毎日優れた仕事を続けている。トランプ氏が直接介入しているわけではなく、彼や他者からの圧力で記事の掲載を避けているとは考えられない。
ベゾス氏はトランプ氏の大統領就任式に出席した。さらに、トランプ氏の夫人メラニア氏に関するいわゆる「ドキュメンタリー」を買収する契約も結んでいる。メラニア氏自身がプロデューサーであるため、独立した作品とはいえない。
加えて、ベゾス氏が創業したアマゾンは、トランプ氏が2015年まで主演していたテレビシリーズ「アプレンティス」の権利を購入することに合意した。支払額は不明であるが、裁判記録によれば、トランプ氏は利益の50%を受け取ることになっている。つまり、多額の資金が直接トランプ氏に入る可能性があるのである。
BBCドキュメンタリー問題の詳細
ラスブリジャー氏(イベントの動画からキャプチャー)
アラン・ラスブリジャー氏:BBCはこの件で過去3週間、ひどい混乱に陥っている。問題となったドキュメンタリーは、昨年秋の米国大統領選の直前に放送され、当時の候補者トランプ氏の人気を説明しようとしたものである。攻撃的な番組ではなく、激しい批判でもなく、むしろ公平な内容であった。
しかし、約15秒の映像で制作側がトランプ氏の1月6日の演説から、異なる場面の2つの文章をつなぎ合わせ、視聴者にその場面の違いを示さなかった。これはジャーナリズム上の誤りであり、編集上のずさんさがあったのである。
私はニューヨーク・タイムズの元編集主幹ビル・ケラー氏に、現在は削除されたこの番組を見てもらった。彼の評価では、ほとんどの報道機関であれば叱責を受ける程度であり、深刻な誤りではあるがスキャンダルにはあたらないとのことであった。
しかし、BBC内部の政治的事情により、理事会内の派閥抗争——そのうちの1人は政府によって任命されている——の結果、この編集を組織的偏向の証拠として取り上げられた。BBC幹部が要求通りに行動しなかった事実が公になると事態は爆発し、特に伝統的にBBCに敵対的な新聞「テレグラフ」がこれを取り上げた。
世界最高峰の報道機関の一つであるBBCは完全に混乱し、1週間沈黙した。そしてその週の終わりまでに、トップ二人が辞任した。小さな危機で済むはずの問題が、大惨事に発展した。
その後、トランプ氏はこの疑惑を知り、BBCを10億ドル(約1561億円)で訴えると表明し、その後50億ドル(約7,816億円)にまで引き上げた。これほどの金額を支払えば、BBCは破綻する可能性がある。しかし、実際には訴訟まで進む可能性は低い。米国の法律は、公人に関する報道を行うジャーナリストに強力な保護を提供しているからである。
この一連の動きは、BBCを潰そうとする非常に攻撃的な試みだった。ホワイトハウスはBBCを「100%フェイクニュース」と断言した。それ以降、BBC理事会からはさらなる辞任者も出ている。
歴史家のトランプ氏評をカットしたBBC
さらに今年、オランダの歴史家ルトガー・ブレグマン氏による講演もスキャンダルに巻き込まれた。彼は講演の中でトランプ氏を「米国史上最も公然と腐敗した大統領」と述べたが、講演の収録から約4週間後、ラジオ放送の際にその一節が削除された。BBCはスタッフに問題となった一節を引用することすら許可していないようである。
つまり、有力者からの脅威が、BBCのような強力な機関内でさえ自己検閲を引き起こすことがすでに確認できる。
公共放送への三重の攻撃
―公共放送全体への影響はあるか?
ラスブリジャー氏:世界中の公共放送は攻撃を受けている。ポピュリスト的で権威主義的な指導者は、ほぼ必ず公共サービスメディアをターゲットにする。公共放送は広く信頼され、誰でもアクセスでき、正確なジャーナリズムを絶え間なく提供しているからである。権威主義的ポピュリストにとって、それは好ましくない。
トランプ氏は両方の大統領任期において、ニューヨーク・タイムズのような強力な報道機関に意図的に戦争を宣言し、人々に同紙の報道がフェイクだと信じ込ませようとしてきた。もし最高のジャーナリズムがフェイクだと国民を説得できれば、人々は誰を信頼すべきか分からなくなり、大統領を信頼するしかなくなる。これは明確な意図的戦術だ。
この戦術は、強力な公共の競争相手を好まないメディア所有者たちの思惑とも一致している。BBCは放送受信料のような制度で運営されているが、メディア王ルパート・マードック氏が所有するメディアは長年BBCを攻撃し、「国営放送」と呼んできた。彼らはBBCが弱体化するのを望む。この暴露を報じたテレグラフ紙も、明らかに公共放送に対するイデオロギー的敵意を共有している。
BBC攻撃のために使われる文化戦争的な問題は常に同じである。移民、トランスジェンダー問題、政治的偏向、脱植民地化――BBCが「覚醒した左派に乗っ取られた」と主張するのである。
さらに、BBC理事会の13人のうち5人は政府によって任命されている。ボリス・ジョンソン氏(当時首相)は、現在BBCにとって最大のトゲとなっている人物を任命した。その人物は、BBCが自分個人の公平性の解釈を満たしていないと主張している。
つまりBBCは三重の攻撃に直面している。
1つ目は権威主義的ポピュリストからの政治的圧力、 2つ目はBBCを弱体化させようとする商業的競合、
3つ目は文化戦争的問題に関するイデオロギー的キャンペーンである。