鴻海傘下でも「戦略見えない」岐路に立つシャープが模索する再生への〝目のつけどころ〟

記者会見するシャープの沖津雅浩社長=堺市堺区(同社提供)

シャープは、日本人中心の執行役員体制が業務を担うようになったことを受け、本来の「らしさ」を取り戻そうとしている。かつては社名にひっかけた「目のつけどころがシャープでしょ」というCMで知られたが、近年は液晶への過剰投資が裏目に出た巨額赤字や経営危機、そのあげくの台湾・鴻海(ホンハイ)精密工業への身売りなどが目立っていた。本社棟を含む堺工場の売却に伴い、来春をめどに本社を大阪市中央区に移転するのを機に原点回帰に弾みがつくかもしれない。

創業者以来の創意工夫

「シャープらしさが徐々に失われつつある」

6月27日、沖津雅浩社長は堺市の本社で開かれた株主総会で、こう危機感をあらわにした。

株主からは「成長の具体的な戦略が見えない」など厳しい声が相次いだのに対し、沖津社長は、家電部門を中心に生成人工知能(AI)を活用して再成長を目指す方針に理解を求めた。

シャープは2025年3月期は3年ぶりに黒字になったが、26年3月期の純利益は前期比72・3%減の100億円を見込み、今後成長の道筋は描き切れていない。

鴻海出身社長から引き継いだシャープ生え抜きの沖津社長が言う「らしさ」とは何か。答えは5月に発表した中期経営計画にある。同計画には、全社員が創業の精神「経営理念・経営信条」にこだわり、シャープらしさを取り戻すとある。

同社関係者は「台湾メンバーの関与が低下し、日本人中心の執行ができるようなった。社内文書も英語と日本語の併記が減って日本語がメーンになった」と説明する。そこで「日本のエジソン」と呼ばれた創業者、早川徳次以来の伝統である創意工夫で画期的な商品を生み出す原点回帰を目指すのだ。

「早まった電機」

ここでシャープ創業以来の歴史を振り返る。

早川はもともと1912年に東京で金属加工業を開業。社名につながったシャープペンシルの改良に成功して従業員200人を抱えるまでに事業を拡大させたが、23年の関東大震災で工場や妻子を失った。失意の早川は負債処理のため事業を譲渡し、譲渡先への技術指導で大阪へ。翌24年8月に指導が終わったが、土地柄も性に合ったことから大阪で事業を興そうと決意した。大阪市郊外を気に入り震災から同9月1日、現在の大阪市阿倍野区長池町に早川金属工業研究所を創設し、「第2の創業の地」とした。

こうした早川の言動がシャープの企業風土に根強く残った。

独創的な商品をいち早く次々投入し、早川電機工業時代には「早まった電機」「早かった電機」と揶揄(やゆ)された企業風土は、早川が「他社が真似(まね)するような商品をつくれ」と強調したことが原点だ。経営理念は「いたずらに規模のみを追わず…」から始まり、独特の「身の丈経営」が育まれた。経営信条では「誠意と創意」を強調した。

雇用を守る意識も強かった。戦後の不況で人員整理か倒産かを迫られた際、早川は「人員整理をするぐらいなら会社を解散する」と言い出したというエピソードがあり、「人員削減はしない」の不文律が根付いた。

液晶の成功で変質

そうした企業風土は、世界で初めて実用化した液晶事業で飛躍し、「液晶のシャープ」として規模が拡大したことで変わっていった。

同社はブラウン管を自社生産できず、他社製をテレビに搭載していたコンプレックスを液晶事業の成功ではね返した。ただ一方、絶頂期には増長とみられる態度も目立った。液晶テレビが売れに売れ、パネルの生産が追い付かない時期には自社製テレビに優先して使用したことで、他社のテレビに供給できなくなったことがあり、取引先を激怒させたこともあった。

皮肉にも経営危機の原因は、その液晶への過剰投資とされる。世界シェアの拡大を目指し4千億円超を投じ世界最大規模の生産能力を誇る液晶パネル工場(堺工場)を建設したが、稼働した2009年には前年のリーマン・ショック後の景気減速で需要が激減。生産能力を持て余して大量の在庫を積み上げたからだ。

東日本大震災後の2011年10月に1ドル=75円台の戦後最高値をつけるまでになった強烈な円高も追い打ちとなり、韓国メーカーとの液晶テレビの価格競争に敗北した。「身の丈」を超えて規模を追ったことが巨額赤字を招き、不文律を破って大規模な人員削減に踏み切った。

鴻海への身売りを決断した高橋興三元社長も2013年の就任当時は創業精神に立ち返った再建を目指した。だが巨額投資のツケと大量の在庫が重荷となり頓挫。業績不振に陥り、旧本社を売却した。シャープ旧本社は「本社は質素にして工場に金をかけるのがシャープ流」とメーカーとしての矜持(きょうじ)の象徴だったが、売却は巨額の貸し出しで経営再建を支える主力取引銀行に「ここまでやる」と覚悟を示す意味があった。

シャープの旧本社跡地ではニトリが営業している。道路向かいにはシャープの田辺ビルがある=大阪市阿倍野区

売却後、堺工場の敷地内に本社を移転したが、社員からは「不便で社員のモチベーションが下がる」「不便で優秀な人材が敬遠する」との声が上がった。社員やOBは今も旧本社跡を聖地巡礼のように訪れており、あるOBは「魂はまだ旧本社跡にある」と語った。

来春の移転先である大阪市中央区の「JTBビル」は第2の創業の地ではないが、社員が心機一転することで「らしさ」を取り戻すことにつながるかもしれない。液晶に代わる次の画期的な商品が生まれたとき「目のつけどころがやはりシャープ」と言われるだろう。

(編集長 松岡達郎)

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