「先生、今日は藤井君来ないの?」小学生の一言で空気が一変…藤井聡太の師匠が明かす“弟子不在イベント”の舞台裏(文春オンライン)
〈「師匠は車の運転が下手」あの藤井聡太がまさかの毒舌!? 師匠は「あれが原因なのか…」異例発言の真意とは〉 から続く 【画像】将棋盤をじっと見つめて、にっこりと…まだ学生だった頃の藤井聡太 将棋界を牽引する若き天才、藤井聡太七冠。その師匠である杉本昌隆八段が、“最強すぎる弟子”のエピソードをはじめ、楽しくトホホな日常を「週刊文春」で綴った大人気エッセイ集の第2弾『 師匠はつらいよ2 藤井聡太とライバルたち 』(文藝春秋)。 その中の一篇「招かれざる客」(2023年10月12日号)を転載する。 (段位・肩書などは、誌面掲載時のものです) ◆◆◆
招かれざる客。映画のタイトルとして有名な言葉だが、一般的には迷惑な客、呼んでいない客、などの意味で使われる。 人は、まったく悪意がなくても招かれざる存在になってしまうことがある。 それは今から6年ほど前で、藤井聡太七冠がまだ中学生の頃。私が出演した将棋イベントでのことだ。 関係者5人程で談笑していると、小学生低学年ぐらいの男の子が駆け寄ってきた。 「杉本先生、今日は藤井君来ないの?」 子どもの目には、中学生棋士が身近なお兄ちゃんのように映るのだろう。可愛いものだな。私は答えた。 「藤井君は家で将棋の研究をしているのだよ」 「なーんだ」 しかし、これに続く男の子の一言が余計だった。 「つまんないの」 そう呟いて男の子は走り去る。和気あいあいとした現場の空気が一変する。 (少年、何てことを!) 会場にいた関係者全員が凍り付いた。 つまらない、藤井君がいないとつまらない、杉本先生はつまらない……その言葉は増幅して皆の心に響き渡り、場がしばらくギクシャクしたのだった。
同じ日の午後、その男の子はよりによって私の指導対局を受けに来た。 (フッフッフ坊や、こんなつまらない棋士の指導など受けたくないだろう? ほうら王手飛車だ、プロの恐ろしさを思い知るがよい) 子ども相手に本気で負かしにいく。実に大人げない私である。 しかしイベント終了後、お母さんに連れられてその男の子が挨拶に来たのだ。 「この子は棋士の先生に会うのが初めてで、今日は杉本先生に会えるって楽しみにしていて……」 躓く石も縁の端。偶然つまずいた路傍の石にも、何らかの因縁があるという。恥ずかしそうに後ろに隠れてお母さんの手にぶら下がる男の子を見て、分かり合えた気がした。
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一方でお互いが石ころのまま終わるケースもある。その数カ月後の別のイベントでのこと。会場近くを歩いていた私に、年配のご婦人が話しかけてこられた。 「杉本師匠、今日は藤井さんはいないの?」 「ああ、彼は家で将棋の研究をしているんじゃないですかね」 「あらそうなの」 そのご婦人、大げさな身振りを交えてため息をつく。 「残念ねえ」 それまでの和気あいあいとした空気が一変する。 (ご婦人、何てことを!) その場にいた私一人が凍り付いた。 そんな空気をよそに、立ち去るその女性。え? それを聞きに来ただけ? 私からすれば、この女性は招かれざる客。だが先方にとって、私はきっと招かれざる棋士だ。げに恐ろしきは人の心である。 あのとき、「いやあ、師匠だけですみません。でもイベント楽しいから寄って行ってください」とか軽い冗談で切り返せたらお互いの心が和んだのにな、と今では思うのだ。 もしかすると藤井七冠だって同じような目に遭っているかもしれない。 「えっ? 今日は師匠と一緒じゃない? 残念だ……」 まあ、これは無いね。 ともあれ、つまらなくて残念な師匠のエッセイは来週も続くのだ。 藤井聡太が師匠に“思わず謝罪”…優勝賞金4400万円、将棋界最高峰「竜王戦」予選であった思わぬ一幕 へ続く
杉本 昌隆/ノンフィクション出版