「老婦人を助けるために、むせ返る煙の中を手さぐりで…」 “香港マンション火災”で危険を顧みず行動した夫婦の勇姿

 火災が起きたのは、4000人以上が暮らす「宏福苑(ワン・フク・コート)」の8棟のうち7棟。32階建てマンションがそびえるのは〈新界〉と呼ばれるエリアで、香港の中心部から車で1時間弱の郊外である。  中国事情に詳しいライターの西谷格(ただす)氏によれば、 「現場のマンションは1983年に政府が建てた“公営住宅”で、住民の4割が65歳以上だとされています」  これほどの大惨事を招いた原因については、修繕工事で使用していた竹製の足場が取り沙汰されたが、 「竹は燃えやすい資材ではないとする識者もいます。それよりも、マンションを覆っていた防護ネットと、窓ガラスを保護するための発泡スチロールが、延焼を招いたり、窓からの脱出を妨げたりしたのではないかと目されています」(同)  鎮火まで約43時間。焼け出された多くの住民が、避難所生活を余儀なくされている。

 とはいえ、生き残っただけで奇跡的だと感じている住民もいるに違いあるまい。  中国在住ジャーナリストが語る。 「現地で話題になったのは、31階に住んでいた高齢の男性についてです。捜索隊は彼をまず屋上に連れていき、人工呼吸器を装着。そのおかげで、各棟の中央に一つしかない非常階段が濃い煙で満たされていたにもかかわらず、地上へ救助することができました」  こんなケースもあった。 「ある夫婦は、まず異様に刺激的な臭いがするのに気付いた。台所の窓から外を見ると、足場や発泡スチロールが燃えている。夫婦そろって部屋から出ようとドアを開けるも、焼けつくような熱波とむせ返る煙が押し寄せてきた。目を開くこともできず、いったん部屋に戻ったそうです」(同)  が、そこで大切なことを思い出す。 「廊下の向かいの部屋には、老婦人が一人で暮らしていました。日頃から、近所の人の助けを借りて生活していた彼女も、まだ部屋にいるに違いない。夫婦はタオルで口と鼻を覆って、煙の中を手さぐりで老婦人の部屋までたどりついた。ドアを開けると、老婦人は戸惑った様子でソファーに座っていたといいます」(同)  夫婦は、老婦人宅で救助を待つことに。 「水道がまだ使えたので、シーツや毛布をすべて濡らして、ドアや窓の隙間に詰め込んだ。それから老婦人と共に浴室へ行き、浴槽や洗面器などの容器に、手当たり次第に水をためて、消火に備えた。5時間後にようやく救助隊が到着したときには、3人とも濡れた服を着て、浴室にうずくまっていたそうです」(同)


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 絶望するほど長い時間、救助を待ち続けた人たちもいた。 「21階に住んでいたある夫婦は、爆竹のような音で異変に気付いた。火災報知器は鳴らないものの、外の足場が燃えていた。逃げようとしましたが、ドアを開けると廊下が煙で充満している。部屋に戻り、濡れタオルでドアの隙間を塞ぎました。そして濡れタオルで口と鼻を覆い、浴室に避難していたようです」(前出のジャーナリスト)  互いに励まし合いつつ、待つこと15時間。 「朝5時に救助されるまで、消防署からは“できるだけ早く救出する”と連絡を受け続けていたといいます。さらに、この夫婦にはもう一つ偶然が味方していた。前の週に、窓を覆っていた発泡スチロールが撤去されていたのです。おかげで、室内への延焼がある程度防がれたのかもしれません」(同)  このように、猛火の中で、想像を絶する救出劇が展開されていたのである。

 もっとも、火事自体は鎮火したものの、香港ではまた別ののろしが上がっている。  先の西谷氏が言う。 「当局は火事発生後、すでに10人以上の工事関係者を逮捕していますが、これは香港市民の怒りを業者に向けさせるためだと思います。というのも、当局と業者との間で汚職があったのではないかとの疑惑が浮上しており、政府批判の火種になっているからです。当局の責任を追及したある男性は“扇動行為”のかどでさっそく拘束されてしまいました。この男性が掲げたスローガン“四大訴求”が、6年前の民主化デモにおける“五大訴求”を想起させ、当局から危険視されたのでしょう」  本当に怖ろしいのは火事か、それとも……。

新潮社

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