妊娠中から障害が判明も「私が産めばかわいい子」いじめと無縁の義手ギタリスト育てた「自己肯定感アゲアゲな家庭」(CHANTO WEB)
■生まれる前から障害はわかっていたけれど ── 先天性四肢障害のため、右手を欠損した状態で生まれたそうですね。障害の原因はわかっているのでしょうか。
Lisa13さん:先天性四肢障害にはいろいろな原因があるのですが、私の場合は、お腹にいるときから首にへその緒が巻きついていたそうで。栄養が手の先まで行き渡らず、右手が成長しなかったらしいと、母から聞きました。 ── 生まれる前に障害がわかっていたのですか。 Lisa13さん:わかっていたみたいですが、母にとっては待望の女の子だったので、「どんな状態の子でも、私が産めばかわいい子!」と思っていたと(笑)。父も母と同じで、ポジティブに考えていたようです。
── 生まれてから右手に関して治療や手術は経験したのですか? Lisa13さん:治療はまったくしなかったんです。海外だと、1歳くらいになったら義手を作って慣れていく練習をするらしいんですが、私に関しては義手の提案もなかったそうで。両親も障害を自然に受け入れて、「なるようになる」という感じだったみたいです。 ── 右手首の先についている小さな指は、ご自分の意思で動かせるわけではないのですか? Lisa13さん:指は動かせなくて、手首の動きしかできない感じです。普段は左手を利き手にして、右手は物を支えるときに使っています。
──同じ先天性四肢障害の同級生が、小学校のときに手術を行ったそうですね。それを知ってどう思いましたか。 Lisa13さん:その子は左手を欠損していたのですが、私より指が少し長くて、動かせる状態だったんです。男の子だったので、スポーツするときのためにも、手が大きいほうがいいと思ったのか、指を伸ばす手術をしていました。でも私の場合は、指先に関節がなくて、指は飾りでついているようなものなので、そもそも伸ばすも何もないよなと思って。それに、普段の生活で困ることは特になかったんです。両親も手術の必要はないと思っていて、一度も言われたことはありませんでした。小学校の体育の授業で鉄棒ができないとかはありましたけど(笑)。
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── 義手の必要性を感じなかったんですね。 Lisa13さん:つけなくても問題なく生活できちゃうので。手のない友達が大人になってから器具のついた義手をつけていましたが、実は重くて蒸れるとか、不便な面もあるようです。あとは、就職するときに手がないことについて何か言われるのがめんどうだからと、手の形をした装飾用の義手をあえてつけていた友達はいました。でも、機能面で義手を使っている子は私のまわりにはいないんですよね。
■保育園児のころから「私はこういう手だから」 ── 小さいころはどんなお子さんでしたか? Lisa13さん:私は物心ついたころからアートとかファッションが好きで、保育園でも絵を描いたり、ひとりで遊んだりすることが多くて。「右手を理由にいじめられましたか?」とよく聞かれますが、周りの子たちとタイプの違う、独特なキャラだったせいか、いじめの対象にならなかったんです。 こう話すと、「どうしたらいじめられずに済みますか?」と質問されることもあるんですけど、結局は自分をしっかり持つこと、小さいときから常に「私はこうなのよ」っていう気持ちを持ち続けることがいちばん大事だと思うんです。両親には「友達に『なんで右手がないの?』って聞かれたら、『生まれつきだから』って答えればいいよ」と教えられていました。だから、右手のことを聞かれたときはいつも、「お母さんのお腹の中にいるときから私の手はこうだったんだよ、君たちはその手だったんだね」って返していて。そう言えば、幼いながらに納得してくれるのか、その場はたいてい丸く収まっていました。
── ほかの子とちょっと違う世界観と「私は私」という信念が持っていたから、からかわれることもなかったんですね。 Lisa13さん:なかったですね。私の場合は自分の障害を当たり前のことだと思っていたし、「私は最初からこういう手だから」ってあっけらかんとしてたから、周りも「そうだよね」「その手、かわいいよね」って認めてくれたんじゃないかな。逆に隠してしまうと、いじりの対象になってしまったり、腫れ物に触るように距離を置かれてしまったりする気がします。
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── そういう対応が最初から自然とできていたんですね。 Lisa13さん:自然と身についていたのは、両親の育て方が大きいと思います。父は真面目で、曲がったことが大嫌いなタイプ。母は明るく前向きで、メソメソしているところは見たことがないんです。そんな父と母からは、「右手のことで何か言われたら、言い返しなさい!」と、ずっと言われて育ちました。基本的にふたりとも心が強く、めったなことで折れないので、そういうところを私は色濃く受け継いでいるなと思います(笑)。
── 自虐的にならないというか。 Lisa13さん:はい。自己肯定感アゲアゲな家庭でした(笑)。家族の会話も多くて、保育園のころから「今日はこんなことをして遊んだ」とか「こんなことがつらかった」とか、その日あったことを全部、親に話していました。それが家族と過ごすなかでいちばん大事なことだと思っていて、大人になった今もそれは変わりません。 ── コミュニケーションを大事に、Lisa13さんの気持ちを尊重してくれる家庭環境だったんですね。ご両親からよく言われた言葉はありますか?
Lisa13さん:「できないことが人より多いぶん、倍努力しなさい」というのはずっと言われてきました。それは音楽活動をしている今も同じです。あとは、「どうしてもこの人に勝てないなと思っても、競うんじゃなくて見習いなさい」と。その考えがしみついて、自然と「悟り系」になれた気がします(笑)。 ──「人の倍努力しなさい」と言われるとプレッシャーに感じる子もいると思うのですが、Lisa13さんは努力することを大変だとは感じなかったですか?
Lisa13さん:はい。努力することは、物事を楽しむ過程だったので。人と比べて「あんなふうにできたらいいのに」と思うより、「あの子は手があるからできるけど、私はできないから自分なりにやり方を見つけよう」と考えるクセがついているというか。簡単にできなくても、どうにかできる方法を探していく。そのなかでいちばん努力したのがギターなんです。
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■父が手作りした「義手ピック」のおかげで今がある ── ギターを始めたきっかけは何でしたか?
Lisa13さん:祖父がハワイアンバンドでギターをやっていたので、小さいころから遊びでギターに触っていました。本格的に始めたのは、小6のときに見た「X JAPAN」のhideさんと布袋寅泰さんのCDのジャケットがきっかけで。ギターを持って立っている姿がすごくカッコよかったんです。ギタリストってカッコいい!私もこういう華やかなパフォーマーになりたい!と思って、お年玉を貯めてエレキギターを買いました。
── ご両親も応援してくれたんですね。 Lisa13さん:そうですね。母が声楽とピアノを、父も趣味でサックスをやっている音楽好きな一家だったので、ふたりとも「おおいに励みたまえ」って感じで応援してくれました。最初は祖父が書いてくれたギターのコード表を見て毎日のように練習していました。 ── 普通は右手に持ったピックや指で弦を弾くわけですが、Lisa13さんはどうやって練習していたんですか? Lisa13さん:胃薬の箱とか、右手にフィットするサイズの箱をはめてガムテープで固定して、箱の角で弦をはじいていました。琴みたいにギターを横にして弾いてみたら、意外と形になるぞと思って。それを見ていた父が、ちゃんとギター用の義手ピックを作ってみようと言ってくれたんです。ネットで調べてもギター用の義手なんて出てこないので、ホームセンターに行って使えそうな素材を集めて作ろうと。
父が試行錯誤して、最初はアクリルの板を曲げてピックの代わりにしたり、マジックテープを使ったり、試作品もたくさんありました。最終的に、事務用品のクリップにピックを挟んで、合皮のグローブに金属で固定するという今の形に落ち着きました。 ── お父さんの愛情が伝わりますね。 Lisa13さん:父の気持ちがうれしかったし、ちゃんと弾けるようになった!って喜びもありました。そもそも勉強しなさい、大学に行きなさいという家庭だったら、ギターをやらせてもらえなかっただろうなと思います。のびのびやりたいことをやらせてくれた両親に感謝しています。
… 中学校に入ると、大好きなロックの世界観をファッションや絵で表現していたLisa13さんでしたが、先生には偏見の目で見られ、逆に個性をおしつぶされるような指導をされます。それでも自分のやりたいことを追い求めて、ギター専攻のある高校に進学。自分らしくいられる環境で学生生活に打ち込んだ末、バンドデビューする道へと進み、今に至ります。 取材・文/小新井知子 写真提供/Lisa13
小新井知子