「二度と観たくない」と語られる傑作『火垂るの墓』 10年経っても「忘れられない」シーンは?

2025年8月15日、終戦80年を迎える日に「金曜ロードショー」では『火垂るの墓』が放送されます。地上波では7年ぶりの放送となる本作は、視聴者が「いまだに忘れられない」と語るほど強烈な印象を残していました。

画像は『火垂るの墓』ポスタービジュアル (C)野坂昭如/新潮社, 1988

 終戦80年という節目の年に向けて、2025年8月15日の「金曜ロードショー」で『火垂るの墓』の放送が予定されています。『火垂るの墓』が地上波で放送されるのは7年ぶりです。7月15日からNetflixでの配信も始まっており、この作品への関心が再び高まっています。

 高畑勲監督の名作として知られるこの作品について、視聴者の間では「名作だけど二度と観たくない」という声が数多く聞かれます。いったい、なぜそう感じる人が多いのでしょうか?

●一度観ただけで一生忘れられないシーンの数々

「昭和20年9月21日夜、ぼくは死んだ」という清太の言葉から始まるこの物語は、戦時下の日本で両親を亡くした14歳の少年「清太」と4歳の妹「節子」の悲しい運命を描きます。全編にわたって戦時の悲惨な現実がリアルに描かれており、多くの視聴者が「トラウマ」とも言える強烈な印象を受けました。

 視聴者のコメントで最も多く挙げられているのが、節子がドロップ缶におはじきを入れて口に含むシーンです。当時、小学生だった視聴者は「ドロップ缶にはなじみがあり、缶を鳴らして食べていたから、リアルに感じられて胸が痛んだ」と振り返ります。一見さほど恐ろしい描写には見えないかもしれませんが、飢えによって現実と幻想の区別がつかなくなっていく幼い子どもの姿が、視聴者の心に深く刺さるのでしょう。

 また、空襲で重体になった母親の姿も、多くの人が「トラウマになった」と語るシーンです。血のにじんだ包帯で全身が覆われ、息も絶え絶えな様子は、10年以上前に一度観ただけ、という人でさえ鮮明に思い出せるほど、記憶に残るシーンでした。

●「二度と観たくない傑作」と言われる理由

『火垂るの墓』を視聴した経験について語る多くの人が、「ラストまで観られなかった」「途中でチャンネルを変えた」と明かします。作品のなかで少しだけ描かれる節子と清太の楽しげなひと時と、それ以外の心をえぐられるような悲惨なシーンの数々に耐え切れず、自室にこもったという思い出を語る人も少なくありません。

 海外では「A great film but never again(素晴らしい映画だが二度と観ない)」という評価もあるようです。「Gut wrenching(内臓をえぐられるような)」という表現で、その衝撃の強さを表現する人もいます。

●ただの反戦映画とはいえない、深く考えさせる作品

 高畑勲監督はこの作品について「決して単なる反戦映画ではない」と明言しています。しかし、実際に観た人の多くは、この作品から戦争の恐ろしさと愚かさを強く感じ取っていました。

 本作は、視聴者が「観るのがつらくても、一度は観るべき作品」「戦争の記憶を風化させないためにも必要な映画」と語る作品です。また、「子供の頃は親戚のおばさんが意地悪だと思ったけど、大人になって観ると、当時の社会状況を考えるとおばさんの気持ちも分かる」と、年齢を重ねることで感じ方が変わる作品でもあります。

 戦争体験者が少なくなっていく現代において、この作品が持つ意味はさらに大きくなっているのかもしれません。終戦80年の夏、あらためてこの作品と向き合ってみてはいかがでしょうか?

(マグミクス編集部)

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