習近平のまわりから次々と人が消えている…アメリカが震え上がった「中国最上層部の生と死のミステリー」 不審死を遂げた前首相が数カ月前に行っていたこと

習近平の周囲では、近年、側近の失踪が相次いでいる。いったい何が起きているのか。イギリスのジャーナリストのマイケル・シェリダンさんの『紅い皇帝 習近平』(草思社)より、一部を紹介する――。(第3回)

※本稿は、マイケル・シェリダン(著)、田口 未和(訳)『紅い皇帝 習近平』(草思社)の一部を再編集したものです。

写真提供=新華社/共同通信イメージズ

2025年7月25日、人民大会堂の北京ホールで大使らを前に演説する習近平氏

習近平のお気に入りの大臣が突然姿を消した

紅い皇帝は宮廷でのトラブルに見舞われていた。始まりは2022年後半、「ロケット部隊」――習近平が核兵器と従来型ミサイルを管理するために設立した部隊――の秘密計画がアメリカの手に渡ったことを中国の情報機関が突き止めた。

次の一撃は、調査官が部隊上層部に横領、無能、反逆の疑いがあると発見したことだった。指揮官は他の数人の上級士官とともに姿を消した。彼らは習近平が自分の創設した部隊を任せるために自ら選んだ者たちだった。彼の名声へのダメージは、軍のすべての階層に反響した。

次に倒れるドミノは、習近平が自ら外相に選んだ忠実な部下、秦剛しんごうだった。彼のそれまでの順調な昇進は、妻が習近平夫人と親しかったことも理由のひとつだ。

駐アメリカ大使という楽で好待遇の地位を手渡された秦剛は、そこで西側の衰退について傲慢な発言をして主人を出し抜き、テレビカメラに向かって歴史の流れや帝国の衰退などについて話して聡明なふりをした。

秦剛にとっては気の毒なことに、時代の波が彼を飲み込もうとしていた。2022年末にワシントンから呼び戻され、57歳で外相になったときには、外交部内で嫉妬と恨みを買い、秦がその肩書にふさわしい風格を見せても和らぐことはなかった。

2023年7月23日、彼はわずか200日ほどで、習近平が署名した通知により解雇され、共産党中国の歴史において最も短命な外相になった。

最後に外相として姿を見せたのは6月25日で、ロシアのアンドレイ・ルデンコ外務次官との会談のときだった。その後、彼は姿を消した。


Page 2

「秦剛の問題はあまりに深刻で、党内でさえ軽々しく話題にはできなかった」と、中澤氏は書いている。

秦が拘留中に死亡または自殺したという噂は、彼がのちに他の党内のポストから排除されたときに一掃されたかに見えた。しかし、この問題は習近平にとって耐えがたいほどに困惑させるものだった。

2023年の夏のあいだ、習近平の飲酒と不在に関するゴシップが増した。しかし、事態はさらに悪化しようとしていた。8月の終わりごろ、習政権の李尚福りしょうふく国防相が消えた。2カ月後、贈収賄の噂が広まるなか、大臣は公式に解雇された。

彼もほんの7カ月前に習近平が自ら任命した大臣だった。そして、彼もまた、中国の国防相として在任期間の最短記録を更新した。2023年の初めにはあれほど自信たっぷりだった習近平が、同じ年の終わりには輝きを失っていた。

秦剛のポストは素早く後任者に引き継がれ、それが、頼もしいほど堅物の王毅おうきだった。新しい国と防相のほうは、決めるのに年末までかかった。董軍とうぐんは62歳の海軍司令官で、最大の長所は彼が陸軍やそのロケット部隊と何の関係もなかったことかもしれない。中国は戦争ができる態勢にはなかった。

ビジネス界の大物の自殺が日常に

その後、一党支配の国で次々と行方不明者や人事異動が続いた。軍産複合体の3人の責任者が異動し、ハイテクの航空宇宙産業や軍需産業が指導者を失った。銀行家たちは国家安全委員会の地下墓所に消えていった。

ハイテク企業の重役たちは、気がつけば地位を追われ、不動産業界の大物は国外逃亡するか刑務所に送られた。拘留中の自殺や死亡がビジネス界の日常になり、外国企業は国家安全委員会の尋問を受け、オフィスを捜索され、スタッフが拘留されることもあった。

写真=iStock.com/FangXiaNuo

※写真はイメージです

習近平は2024年の夏に党全体会議を開き、経済政策を話し合った。それは、外の世界に対して討論が行なわれているという印象を与え、外国投資家を安心させる意図があったが、目的は党と国家による統制の回復を承認させることだった。

新しい中国経済についての彼のビジョンに、自由な起業家精神が入り込む余地はなかった。

習は経済面では「新しい生産力」の必要を訴えた。しかし、中国の最も優秀な技術分野の人材の何人かは謎の死を遂げた。

たとえば、軍の人工知能(AI)の専門家は38歳の若さで、自動車事故で死亡した。人工知能関連企業の主任科学者は46歳で突然死した。AI顔認証監視会社センスタイムは、経営者が55歳で病死したと発表し、飛び降り自殺をしたというオンライン上の噂を否定した。


Page 3

それからまもなく、秦剛とフェニックス・テレビ(鳳凰衛視)の有名司会者だった傅曉田ふぎょうでんの不倫スキャンダルでインターネットが盛り上がる。傅曉田は「風雲對話」(世界のリーダーと話そう)という番組の司会を務め、ケンブリッジ大学チャーチルカレッジの後援者だった。

番組のゲストとしてヘンリー・キッシンジャーやジョン・ケリーも登場したが、彼女の最後のインタビュー相手が秦剛だった。あるサイトに、彼女がロサンゼルスで小さな赤ん坊を抱いてプライベートジェット機に乗っている姿が投稿され、自分の息子のアーキンだと話していた。

のちのメディア報道で、子供はアメリカで代理母が産み、父親は秦剛だと明かされた。彼女もまた姿を消した。側近のそうした軽率な行動の発覚は、習近平にとって面目を失うことにほかならなかった。

それらはすべて、不幸に終わった彼自身の最初の結婚での、外国の地(ケンブリッジ!)での妻の不倫疑惑や、敵対的なメディアによる不快な中傷を思い出させるものでもあった。

失脚の影で動いたロシア

スキャンダルは、機内小説のページからそのまま抜き出したような二重スパイのゲームに転じる。

中国問題に詳しい日本経済新聞社の中澤克二記者の調査によれば、習近平のお気に入りの大臣を危険にさらしたのは、ロシアの新しい「友人たち」だった。秦剛の失脚は、中国代表団が2023年5月にキーウを訪問し、習近平が「親友」プーチンを裏切るのではないかという不安がクレムリンに広まった直後のことだったという。

中国はその後、ウクライナのウォロディミル・ゼレンスキー大統領がフランス政府専用機で広島のG7サミットへ向かうときに、中国の領空を通過することを認めた。

プーチンの戦争は当時うまくいっていなかった。6月23日から24日にかけて、民間軍事会社ワグネルの反乱を抑え込んだ。翌日、外務次官のロデンコが北京に向かった。秦剛と握手を交わしたあとで、ロデンコはこの外相の愚行の証拠を中国側に手渡した。

それが意味するのは、CIAがアメリカで秦剛を監視していたか、罠にかけたということだ。

関連記事: