「涙が出た…」親族ほぼ全員が反対、名門ゆえの重責と孤独な闘い 徳川慶喜家・300坪の墓じまいに5代目が語る苦難
厚生労働省によると、改葬(墓じまいや墓の引っ越し)数は2014年度には約8万4000件だったが、2024年度には17万件を超えた。少子高齢化の進む日本で、墓じまいする人が急増しているようなのだ。 【写真で見る】広すぎる。300坪もある徳川慶喜家の墓 墓じまいの問題は、由緒ある徳川慶喜(よしのぶ)家でさえも例外ではない。現在、さまざまな苦難を乗り越え墓じまいに奮闘中の5代目当主に話を聞いた。 ■徳川慶喜家の墓じまい 「墓というのは、先祖が眠る場所です。だから墓じまいは、親族をはじめとする関係者それぞれの思い入れや気持ちを受けとめることから始めなくてはいけない……ということが、今回とてもよくわかりました」
そう話すのは、5代目徳川慶喜家当主の山岸美喜(58歳)さんだ。徳川慶喜の玄孫(げんそん:やしゃごのこと)にあたる。 大政奉還の時点では実子がいなかった15代将軍・慶喜は、御三卿の1つである田安徳川家から家達(いえさと)を養子に迎え、徳川宗家を継がせた。一方で、慶喜自身はすべての身分を放棄し、新しく「徳川慶喜家」を興す。その後、慶喜は10男11女に恵まれた。 徳川慶喜家は、2代目の徳川慶久(よしひさ)、3代目の徳川慶光(よしみつ:山岸さんの母方祖父)、4代目の徳川慶朝(よしとも:山岸さんの母方叔父)を経て、4代目から指名された山岸さんが5代目を継いだ。
徳川慶喜家の墓じまいという重責を担う山岸さん。道筋がようやく見えてきたところだというが、ここまでの道のりは苦難の連続だった。 ■4代目当主「アンクル」の看病 ことの始まりは、叔父の病だった。 2014年の初めに慶朝さんに咽頭がんと食道がんが見つかった。慶朝さんは母・安喜子さんの弟にあたる。独身で一人暮らしの叔父の看病を引き受けた山岸さんは、自宅のある名古屋から慶朝さんが住む茨城へと通うようになった。
「叔父は母とは年が離れていて若かったので、私と兄はずっと『アンクル』と呼んできました。子どもの頃からかわいがってもらったので、自分にできることは何でもしたいと思ったんです」(山岸さん) 片道5時間の名古屋と茨城を行き来する叔父の看病は、予想以上に大変だった。 一方で、叔父の体調が良いときには、2人でゆっくりお酒を酌み交わして話したこともあったという。そんななかで叔父から伝えられたのは、「美喜ちゃん、あとはよろしくね」という言葉だった。「思ってもみないことで、最初はとても驚きました」と山岸さんは話す。
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闘病生活が3年ほど続いたのち、慶朝さんは67歳でその生涯を閉じた。 実は、山岸さんが最終的に5代目の当主となったのは、闘病中に叔父が書いた遺言に基づくものだった。「財産を私に遺贈すること、また遺産執行人として私を指名することなどが書かれていました」と山岸さん。 ■叔父から託された2つの「使命」 叔父から託されたのは財産だけではなかった。同時に、徳川慶喜家の「墓じまい」と「家じまい」も山岸さんの使命となった。慶朝さん自身が墓所や資料などの管理に長年苦労したことから、「こんな大変なことは私の代で終わりにしたい」と、墓じまいと家じまい(絶家)を決意したという。
まず、墓じまいについてだが、当然、墓といっても一般の家とは規模が違う。 東京都台東区の谷中霊園内にある徳川慶喜家の墓所の面積は300坪、小学校の体育館ほどの広さがある。石塀で囲まれた墓所には、墓だけでなく、多くの植栽があり、少しでも手入れを怠ると雑草だらけになってしまう。個人が管理し続けるのはあまりにも無理があった。 もう1つの家じまいにおいては、徳川慶喜家に代々受け継がれてきた貴重な資料を、今後どうするかを決めなくてはならない。明治天皇から慶喜公への書簡、慶喜直筆の書、写真など、その数なんと6000点あまり。やはり個人が所有し続けるのは難しい。
「これまで所有権は徳川慶喜家のまま、水戸藩主だった徳川昭武さまの別邸(千葉県松戸市)敷地内にある『戸定歴史館』に預かってもらっていました。そのためアンクルの遺言にも、そちらに寄贈するよう書かれていました」(山岸さん) しかし、話が進むにつれ、小規模な歴史館では手に余るということで辞退されてしまう。さまざまな博物館に働きかけた結果、国立博物館への寄贈の段取りをつけた。「現代の大政奉還ですね」と山岸さん。現在、寄贈すべく準備を進めている。
■ほぼ全員反対「5代目指名」 さて、話を墓じまいに戻す。最大の難関は、家族や親族の理解を得ることだった。山岸さんが徳川姓ではなく、男性でもないことから反発は大きかった。 「『なぜ美喜が跡を継ぐんだ』と親戚のほとんど全員に反対されました。遺言で叔父から託されたにもかかわらず、葬儀で『喪主』を名乗ることさえできず、とても残念な思いで『葬儀責任者』として執り行いました」と山岸さんは振り返る。 長きにわたって慶朝さんをサポートしてきた山岸さんの実の父も、徳川家への思い入れが強かったこともあり、「(山岸さんの)兄や宗家に任せたほうがいい、墓じまいや家じまいもしないほうがいい」などと反対した。
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「こうした意見はとてもつらく、大変なことを引き受けてしまったと。でも、アンクルと多くの時間を共有し、その思いを知るからこそ、しっかりと遺志を継がなければならないと改めて決心するきっかけにもなりました」(山岸さん) ■祭祀継承者はどなたですか? 葬儀後、山岸さんは徳川慶喜家の墓所の土地の所有者である上野寛永寺に納骨の相談にいく。そこで聞かれたのが「祭祀(さいし)継承者はどなたですか?」だった。あとで、祭祀継承者とは墓や仏壇、位牌といった「祭祀財産」を管理して、先祖供養や法要を行う人のことを指す言葉だと知った。
「初めて聞く言葉でした。遺言書と私が葬儀を出したことで、寛永寺からは仮の祭祀継承者として認められ、慶喜公の墓の左隣にある代々当主の墓にアンクルの遺骨を納めることができました。が、正式な祭祀継承者になるには、親族の合意が必要だと知ったのです」 祭祀継承者でないと墓じまいを行えないため、相続人の同意が必要だった。同時に慶朝さんの遺言書は自筆遺言書だったことから、裁判所で正式な遺言として認めてもらう必要があり、弁護士に頼んで手続きを進めたという。
その後も遺産配分などに時間がかかり、山岸さんが正式に祭祀継承者となったのは、2025年。慶朝さんが亡くなってから実に8年の月日が経っていた。 ■上野東照宮とのご縁 祭祀継承者になった山岸さんは、墓じまいをどうすべきか頭を悩ませた。 一般的な家の墓じまいでは、自治体に「改葬許可証」を申請し、遺骨を取り出して合同墓地などに埋葬し直し、墓石を撤去して更地にしてから寺や管理者に返還する。しかし、徳川慶喜家の場合はそう簡単にはいかない。
敷地内には慶喜の墓だけでなく、慶喜の正妻や側室、夭折した子どもたち、老女、歴代当主の墓が並び、高松宮妃殿下ご寄贈の記念碑もある。また、徳川慶喜の墓は東京都の史跡指定となっている。 つまり、文化・歴史的な価値が非常に高いため、勝手に撤去して更地にするわけにはいかないのだ。 これまで管理にかかる費用はすべて徳川慶喜家が捻出してきた。現在の体裁のまま、どこかに管理を頼むなら、その負担をお願いしなくてはならない。しかも、石塀の一部は傷んでいるため、建て替えの必要があるが、その費用は数千万円ほどかかる見込みだ。
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どこか別の場所に墓を移すといっても、史跡指定されているので可能かどうかもわからず、しかも莫大な費用と手間がかかる。徳川慶喜公の時代は土葬だったため、遺骨を移すのも、そう簡単なことではない。 ■「宗旨が違う」と断られ… それらをどう“しまえば”いいのか――。 山岸さんはまず上野寛永寺に相談したが、徳川慶喜家の墓は仏式ではなく神式で、皇族と同じ「円墳」という非常に珍しい形をしている。寛永寺とは宗旨が違うこともあり、管理を引き受けてもらうことはできなかった。
次に相談した相手は、前述の史料の預け先について相談した徳川文武さんだった。 「慶喜がもっとも信頼していた弟、昭武公のご子孫ですが、これまでお会いする機会はありませんでした。突然の電話なのに真摯に相談に乗ってくださり、『上野東照宮に相談されてはいかがでしょうか』とご助言いただいたんです」(山岸さん) ホームページの連絡先に電話をして趣旨を伝えると、禰宜(ねぎ:宮司を支える役割をする神職)の嵯峨まきさんが快く会ってくださるという。
「八方塞がりの中、藁にもすがる思いで上野東照宮を訪ねました。すると『お墓のことでお困りでしたら、うちで管理させていただきます』とおっしゃってくださって……。ありがたいお申し出に、あのときは涙が出ました」(山岸さん) 東京都台東区の上野公園内にある上野東照宮は、1627年の創建。ご祭神は徳川家康公、徳川吉宗公、徳川慶喜公だ。「上野東照宮に慶喜の御霊が入ることになれば、これ以上ないお話で本当にありがたいこと。これから東京都や上野寛永寺と協議し、祭祀継承権を上野東照宮にお渡ししたいと思っています」と山岸さん。
今回のご縁は、山岸さんの必死の頑張りを見ていたご先祖様が結びつけてくれたのかもしれない。何しろ、山岸さんはご先祖様によく似ているといわれるからだ。 ■ご先祖様に似ている 山岸さんがXに、徳川家康、徳川慶喜と並んだ写真とともに、<よく言われます。ご先祖様に似ていると。。。きっと将来はおばあさんではなくおじいさんになるような気がします。生まれてきた性別が間違っていたかも知れません。>と投稿したところ、約1886万回閲覧され、約14万もの「いいね」がつき、“似ている”とのコメントが殺到した。
まだ山岸さんの墓じまいは行き先が決まったばかり。これから細かいことをたくさん決めていく必要がある。墓の場所をそのままにするかどうか、そのままにするなら石塀の修繕などはどうするか――検討すべきことは山ほどある。
大西 まお :編集者・ライター