動画には発掘された大量の遺骨、中には拷問の形跡があるものも…ナゴルノ・カラバフの至る場所で見つかる「集団墓地」、コーカサスの旧紛争地で一体何が起こっていたのか(ニューズウィーク日本版)
2023年にアゼルバイジャンがアルメニア軍からカラバフ地域全域の支配権を奪還した。 【動画】動画には発掘された大量の遺骨、中には拷問の形跡があるものも…ナゴルノ・カラバフで発見された「集団墓地」 それ以降、同地域の集団墓地からさらに数百人分の遺骨が発見されたと、アゼルバイジャン当局が明らかにした。 アゼルバイジャンの通信社APAによると、アゼルバイジャン国家保安庁副長官、シャラファト・ハサノフ中将は2026年6月30日、同地域で32カ所の集団墓地が発見されたと、国際行方不明者委員会(ICMP)と共催された行方不明者に関する会議で発言した。 ハサノフは、イルハム・アリエフ大統領が、カラバフ地域で行方不明となった人々の埋葬場所を特定することを最優先課題としているともした。 ハサノフによると、これまでの取り組みにより893人分の遺骨が発見されたという。このうち327人はDNA鑑定と法医学的検査によって身元が確認され、身元が判明した226人の遺骨は家族に返還された。しかし、なお3683人が行方不明のままとなっている。 集団墓地は、民間人が処刑または虐殺された後や、戦闘後に兵士が急いで埋葬された場合など、戦争中にさまざまな理由で掘られることがある。 ナゴルノ・カラバフ地域をめぐる数十年にわたる紛争では、アルメニア軍とアゼルバイジャン軍の双方に対して戦争犯罪の疑惑が提起されてきた。しかし、赤十字国際委員会(ICRC)などの組織は、それぞれの残虐行為の疑惑について責任の所在を明らかにするため、個別に調査すべきだと強く主張している。
アルメニアとアゼルバイジャンは、ナゴルノ・カラバフとして知られる地域の帰属をめぐり、数十年にわたって激しい戦争を繰り広げた。 国際的にはアゼルバイジャンの一部と認められていたものの、1990年代初頭のソ連崩壊後、アルメニアの支援を受けたアルメニア系部隊によって数十年間支配されていた。 実際、2023年まで、住民約10万人の大半はアルメニア系住民だった。 1990年代初頭と2020年の2度の戦争により、数万人が死亡し、多数の住民が避難を余儀なくされた。 第一次カラバフ戦争(1988~1994年)は、アルメニア人とアゼルバイジャン人の間で勃発した。この戦争では約3万人が死亡し、100万人以上が避難を余儀なくされた。戦争の結果、アルメニア側がカラバフとその周辺7地区の一部を支配するに至った。 2020年に6週間にわたって続いた第二次カラバフ戦争では、アゼルバイジャンが周辺7地区とカラバフの3分の1を奪還した。 アゼルバイジャンは2023年9月、電撃的な攻勢を開始し、同地域の完全な支配権を回復した。同地域のアルメニア人当局は速やかに停戦に同意してバクーに降伏。その後、同地域に残っていたアルメニア人住民のほぼ全員が難民としてアルメニアへ避難した。 2025年8月には、アゼルバイジャンとアルメニアの首脳が、敵対行為の終結を目指して米国の仲介による歴史的な和平合意に署名した。しかし、数十年に及ぶ紛争を正式に終結させる平和条約への署名には至らなかった。