空の黄金時代味わうツアー、東京にもやって来る-パンナムの翼再び

「パンナム」と呼ばれ親しまれたパンアメリカン航空の元客室乗務員たちが、ニューヨークのケネディ国際空港の第7ターミナルに集まっていた。

  旅客機が見えると、小さな歓声や驚きの声が上がり、数人は目に涙を浮かべた。機体の尾翼には、パンナムの象徴であるコバルトブルーのミートボールロゴがくっきりと描かれている。

  元乗務員の女性たちと数十人の搭乗客は6月17日、パンナム仕様にチャーターされたボーイング757に乗るためこの空港に集まった。

  「プライベートエアによるパンナムの旅」と銘打たれた12日間の旅では、ニューヨークを出発し、バミューダ、リスボン、マルセイユ、ロンドン、アイルランドのシャノンを巡った後、再びニューヨークに戻る。

  定員は50人で、座席はフルリクライニング式、乗客各自でエンターテインメントを楽しめる端末を備え、機内バーは常時オープン。食事はシェフが調理し、客室乗務員はパンナム時代の制服を着用する。

  旅行代金は2人1室利用で1人5万9950ドル(約870万円)、1人利用の場合は5600ドルの追加料金が必要だ。

  今回チャーターされたジェット機の機内は、パンナムがかつて運航していた大西洋横断ルートを再現する仕様になっている。

  バミューダへのフライトは、パンナムが1991年に運航を終了して以来というわけではない。

  2006年に一度、別のオーナーによって数路線が試験的に運航されたことがある。しかし今回は、パンナムの新しいオーナー企業による初のフライトだ。

  この企業の最高経営責任者(CEO)は、ラグジュアリー旅行の企画会社を率いてきたクレイグ・カーター氏。

  ホスピタリティー業界やイベントマーケティングに関わる4人の投資家たちと共に昨年、航空業界屈指の伝説的ブランドであるパンナムの商標権を取得し、その復活を目指している。

徹底的に再現

  カーター氏らが24年2月に手にしたのは、実質的にはライセンス事業だった。ブライトリングやタイメックスの腕時計、ブランドTシャツやスウェットシャツ、さらにはジンやウオッカの蒸留所にもパンナムの名が使われている。

  こうした商標利用は大半が今も続いているが、カーター氏らは高級ツアーの企画にもすぐに着手した。「飛行機を再び飛ばすには、これが良い方法だと分かっていた。それがわれわれの主な目標の一つだった」と言う。  

  今回の旅は、プライベート機によるツアーを専門とするバーテリングスと、大学の同窓会組織や美術館などの団体向け高級旅行を企画するクライテリオン・トラベルが共同で手がけた。

  旅程に含まれる6都市はいずれも、パンナムが1939年に商業運航を開始した当初の2つの大西洋横断ルートにちなんでいる。

  最後の目的地であるアイルランドのシャノンでは、フォインズ飛行艇・海事博物館を訪れる。そこには、パンナムが運航し「ヤンキークリッパー」の愛称で知られたボーイング314「フライングボート」の実物大レプリカが展示されている。

  このツアーは、「空の黄金時代」の再現を徹底して追求している。客室乗務員はツアー専用に人員を採用・訓練する余裕はまだないため、アイスランド航空から派遣され、パンナムの制服を忠実に再現したレプリカを着用。帽子と白手袋もそろい、まさに当時そのままの姿だ。

  ターミナルの外で乗務員たちがパイロットらとの写真撮影のため立ち止まると、たちまち人だかりができた。きちんとまとめられた髪と洗練された制服は、かつて空の旅が持っていた高揚感や華やかさ、未知への期待を瞬時に呼び起こす。その光景はまるで映画のワンシーンのようだ。

  彼女たちの周囲では、スウェット姿やビーチサンダルを履いたカジュアルないでたちの旅行者が保安検査へと足早に向かっていた。

  改装されたボーイング757の機内には、ファーストクラス仕様の座席が約30列並ぶ。通路も広々としているが、残念ながら、パンナムのファーストクラスでかつて行われていた座席脇でのシャトーブリアンの切り分けサービスは再現されていない。

  ただし、シャンパンはふんだんに用意されている。いずれの区間も飛行時間は7時間以内だが、眠りたければシートを完全に倒して横になれる(なお、トイレはというと、通常の機内トイレに多少の高級感を加えた程度だ)。

  今のところ、それだけで十分成功しているようだ。カーター氏によれば、今回のツアーで参加者を集めるのに苦労はなかったという。

  チケット購入者の多くは、何十年も前からパンナムに関わりのある人たちで、元客室乗務員やパイロットの子どもたちも含まれている。ニューハンプシャー州ラングドンのデビー・フラーさんは、1980-89年にパンナムで客室乗務員を務めていた。

  昨冬、あまりの高額料金に笑いながら夫に今回の旅行のパンフレットを見せた。驚いたことに、夫は彼女に予約を勧めた。

  「夫は『僕は83歳だ。金を持ってあの世には行けない。君にとってパンナムがどれだけ大事だったか知っている。株で先週それくらい損したしな』って言ってくれて」とフラーさんは話す。

  夫は「もう旅には出られない」と自宅に残ったが、フラーさんは一人旅に慣れており、今回のツアーにも胸を弾ませていた。自前のパンナム制服も持参しており、サイズはほんの少し直しただけで済んだという。バミューダで着用する予定だ。

ノスタルジー

  パンナム元従業員のネットワークは、今も驚くほど活発に活動している。財団が博物館のための資金を集めており、ポッドキャストやユーチューブのチャンネルを展開。航空会社の歴史を物語る品々やエピソードを保存している。

  1927年のフロリダ州キーウェストからハバナへの郵便飛行を皮切りに、米国から世界中に運航するルートを開拓し、航空業界を席巻した企業の軌跡が記録されている。

  ウェンディー・クネヒトさんも元客室乗務員で、パンナム博物館財団での活動の一環として今回の旅に招かれた。「これまでいろんな仕事をしてきたが、パンナムだけは皆が家族のように感じる存在だ」と語る。

  CEOのカーター氏は、パンナムへのノスタルジーは元乗組員に限らず幅広く存在するとみている。実際、その証拠は出発地のすぐ近くにもある。

  ケネディー空港の旧ターミナルを利用したTWAホテルでは、20世紀に活躍した建築家エーロ・サーリネンが設計した建物にレストランやショップ、屋上バーやプールまで備え、ジェット機が到来した時代の雰囲気をそのまま味わうことができる。

  欧州やアジアでは、さらに古い時代の高級感を体験できるラグジュアリーな鉄道旅行が、高額にもかかわらず完売している。

  パンナムは今回のツアーで、フォーシーズンズアバクロンビー&ケントなど、数少ない高級旅行オペレーターの仲間入りも果たした。こうした企業は、数十人規模のツアー参加者を対象に綿密に計画された特注の旅程を用意し、たとえ20万ドル近い料金でも十分需要があると見込んでいる。

  次のパンナムツアーもすでに計画されており、来年4月には太平洋横断ルートをたどる21日間の旅が実施される予定だ。

  訪問地は東京とカンボジアのシェムリアップ、シンガポール、オーストラリアのダーウィンとシドニー、ニュージーランドのオークランド、フィジーのナンディ。料金は2人1室で1人9万4495ドル、1人利用の場合は9500ドルが上乗せされる。

  カーター氏らは、この価格帯に手の届かない人たちにも門戸を閉ざすつもりはないという。ロサンゼルス近郊のショッピングセンターにパンナムをテーマにしたホテルの建設が予定されている。

  ロサンゼルスでは「パンナム・エクスペリエンス」も近く楽しめる予定だ。カーター氏によれば、これは地上に置かれた旅客機を舞台にした「ディナーシアター」で、70年代のパンナムの華やかさを再現する。

  ただ、パンナムの本当の夢は再び航空会社になることだとカーター氏は言う。

  すでに、定期便の再開とそのための資金調達に向け、時間と費用のかかる準備作業が始まっている。まだほんの初期段階だが、米連邦航空局(FAA)からはすでに、かつてパンナムのコールサイン(航空会社の呼び出し名)だった「クリッパー」の使用許可を得ている。

原題:Pan American Airways Relaunches as a Private Jet Tour Operator(抜粋)

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