【闘病】突然、昏睡状態に… “夏バテ”と思った不調はレアケースの「糖尿病」だった

【体験者プロフィール】 宮田なぎさ さん 静岡県在住。2022年7月、呼吸困難、昏睡状態に陥り緊急搬送され、意識不明の重体から奇跡的に助かったが、大学病院のICUにて、「原因不明の劇症1型糖尿病」と告げられた。約1カ月間の入院生活を経て、退院後7カ月間は実家にて療養生活を送る。2023年3月に社会復帰したものの、血糖コントロールが困難な上、ほかの難病が判明するなど、さまざまな理由で就労困難に。その後転職活動をおこなうも、持病の多さと珍しさにより就労することができず、2024年10月より、障がい者のための就労移行支援事業所に通い始め、現在に至る。

編集部: 最初に、読者に強く伝えたいことを聞かせてください。 宮田さん: 1型糖尿病でさえそう多くはないのに、その中でも「劇症1型糖尿病」は極めて稀な1型糖尿病です。発症時は本当に絶望的で、まさか自分がこんな病気になるとは思ってもいませんでした。 定期検査でも異常はなく、家系にも糖尿病の人はいませんでしたが、突然の発症で命の危機に直面しました。この病気を知らなかったため、早期に病院を受診することができず苦しむ結果となったと感じています。 劇症1型糖尿病は手遅れになると死にいたる恐ろしい病気です。多くの方にこの病気のことを知ってもらい、認知を広げることで、同じような苦しみを少しでも減らせたらと願っています。 編集部: 病気が判明した経緯について教えてください。 宮田さん: 発症したのは2022年7月のことです。それまで精神障害の治療をしており、心療内科の医師から、7月から社会復帰の許可が出たタイミングでの発症でした。突然、呼吸困難になり、病気だと疑う間もなく昏睡状態になりました。 目が覚めたあと「未だ明確な原因が解明されていない劇症1型糖尿病」と告げられました。 緊急搬送されている途中から意識を失い、記憶がありません。翌朝、「ここはどこかわかりますか? 何月何日かわかりますか?」という看護師さんの声で目を覚まし、大学病院のICUにいることを知りました。その後の回診で、病名を告げられました。 編集部: 診断がついたときの心境を教えてください。 宮田さん: 頭が真っ白になりました。まず、自分がICUにいるということに驚き、鼻と口には人工呼吸器、両腕には沢山の点滴で繋がれている状態で、何がなんだかわからない状態のまま病名を告げられたので、信じることができませんでした。 「どうしてこんなことになってしまったのですか……?」としか言うことができず、「原因は未だ明確には解明されておりません。血液検査の結果、自己免疫の異常が示唆されます。 膵臓のインスリンを分泌する細胞の大部分が全破壊されインスリンの分泌能力がほとんどゼロになっています。これから生涯インスリン注射が必須になります」という話を聞いたときは、本当に絶望的でした。将来への不安で押し潰され、毎日布団に潜って泣いていました。 編集部: なにか自覚症状はあったのでしょうか? 宮田さん: 昏睡に陥る1カ月ほど前から、目がぼやけて文字が見えにくいという症状と、喉が異様に乾くという症状がありました。 次第に身体が異様に重くだるくなり、少し歩いただけで疲れる、息切れがするという症状も出るようになっていましたが、ちょうど急激に暑くなり始めた時期だったため、夏バテだと思っていました。 やがて喉の乾きとだるさが悪化していき、寝込むようになりました。その後、食欲不振となり、嘔吐を繰り返すようにもなりました。 嘔吐により全く飲食ができなくなってしまったため、「これは夏バテじゃないかもしれない。何かがおかしい」と思い、病院へ行こうと思ったときには呼吸困難となり、あっという間に意識を失いました。 編集部: 緊急搬送される前にも病院を受診したそうですね。 宮田さん: 緊急搬送になる当日に、胃腸科、消化器内科を受診しました。そこで、原因不明だったことから、翌日に内科を受診しようと思っていましたが、その日の夜に救急車を呼びました。 最初に搬送された総合病院で、「血糖値が600を超えていて緊急事態です。ここでは処置できません」と言われ、大学病院へ搬送されたようですが、途中から全く記憶がありません。翌朝目覚めると、大学病院のICUのベッドの上にいました。 編集部: どのように治療を進めていくと説明がありましたか? 宮田さん: 1日最低4回以上の血糖値自己測定(現在は、リアルタイムで数値を知ることができる医療機器を使っています)と、ペン型インスリン注射(速攻型と持続型の2種類)での治療を生涯続けていく必要があるとのことで、注射の打ち方の指導が始まりました。 注射にも種類があるようで、どの注射が合っているのか、効きのよさを見極めてから、今後使用していく注射と量を決めるという流れだったので、幾つかの注射を試しながら、治療方法を具体的に確定していくということでした。 インスリン注射治療を行う上での、食事指導(カーボカウント計算方法など)などもありました。退院後は、月に1回の血液検査と診察、処方が必要になるとのことでした。


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編集部: 発症後、生活にどのような変化がありましたか? 宮田さん: 生活が一変してしまいました。 入院中は、600以上にまで上がってしまった血糖値が300台に下がるまでに1週間以上かかり、そこから退院できる状態にまでなかなか下がらず、退院予定を約2週間延長しての治療になったのですが、その時点ではまだ、「低血糖」というものを知りませんでした。 退院後、初めて経験する低血糖症状に、心身共についていくことができませんでした。動悸、手の震えなど、これまで体験したことのない症状が日常的に出るようになり、その度にブドウ糖で対処し、自己測定で数値を何度も確認するということに、なかなか慣れませんでした。 「どうしてこんなことしないといけないの?」「どうしてこんな病気になってしまったの?」と、来る日も来る日もそればかりが頭から離れず、毎日落ち込んでいました。 編集部: そのような状況の中で、心の支えになっているものを教えてください。 宮田さん: 病気を含め、私を理解しようとしてくれ、病気発症前と変わらず接してくれる友達の存在は、私にとって本当に大きな支えです。2023年に社会復帰した際、友達が私のことをこんなにも気にかけ、心配してくれていたことを知りました。 そして、病気を含めて私を受け入れ、本当に大切に思ってくれる友達の尊さに気づくことができました。 誕生日を心から祝ってくれる友達や、つらい過去をすべて打ち明けられる友達がいてくれるおかげで、「あのとき助かってよかった、生きていてよかった」と、思えるようになりました。 これから先も、自分を理解しようとしてくれる人や、自分を大切にしてくれる人を、心から大事にして生きていこうと思うようになりました。 編集部: もし、昔の自分に声をかけられたらどのような助言をしますか? 宮田さん: 「先の見えないどん底に落とされた暗闇の中での生活も、いつかは必ず抜け出せる日が来るよ。そのときは辛くても、いつか必ず終わりがくるから大丈夫。心を楽に生きてほしい」と、伝えたいです。

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