今場所前、正代が語っていた戦う意味…思い悩んだ“哲学者”「僕はこの世界に挑戦しにきている」

悩み、考え、強さを取り戻した。大関経験者で東前頭11枚目の正代(33=時津風)が、関取としては自己最速に並ぶ、9日目の勝ち越しを決めた。前頭翔猿を押し出して8勝1敗。大関昇進前に13勝を挙げて優勝次点となった、20年初場所以来、5年8カ月ぶりの早い勝ち越しとなった。取組後には、22年九州場所まで13場所務めた「大関」の看板は重かったと述懐。「大関時代は勝ったら、ただ安心というか、ホッとしていた。『何とか乗りきった』という感じ」などと、重圧に苦しめられていたと明かした。

そんな正代が、実は8月の夏巡業中、さらに奥深くにしまっていた胸の内を明かしていた。巡業では、各地で行われる子どもとの稽古などで、コミカルな一面を見せてきたが“土俵の哲学者”ともいえる、戦う意味などを語っていた。せきららに語っていた独特な考えの数々を、一問一答形式で紹介する。【取材・構成=高田文太】

-今の夢や目標などはありますか

正代 「これ」というのは決めていないです。できるだけ長く現役として、できたらいいですね。

-生きがいのようなものはありますか

正代 何か、生きがいとか、生きる意味を、他人に見いだすのは違うんじゃないかなと思っているんですよね。生きる意味を他人に背負わせちゃダメですよ。

-「家族のために」や「応援してくれる人のために」という思いなどは

正代 「誰かのために頑張る」と言った方が、聞こえがいいとは思います。ただ、別に応援してくれる人がいなくても、家族がいなくても頑張れよ、っていう話じゃないですか。

-どんな状況でも境遇でも頑張る

正代 思わなくちゃいけないと思うんですよね。別に成績が悪かったからといって、家族のせいになるわけじゃなくて、自分のせいですから。

-それは昔からですか

正代 なんか、すごい極論なんですけど、例えば「両親のために頑張る」と言っていたとして、いい成績を残したら両親は喜ぶじゃないですか。その前に、いい成績を残そうが、成績が悪かろうが、子どもが頑張っている姿を見て、喜ばない親はいないと思うんですよ。それに、頑張っている人が100%、成績を残せるわけじゃない。誰かのために頑張る、というのは、あまり思わないです。僕はそう思うだけですけどね。みんな頑張らなくちゃいけない世界なので。

-もう1度優勝したいといったことは思うのですか

正代 優勝したいと思うのは、みんな同じじゃないですか。別に僕に限った話じゃなくて。

-大関だった時は重圧はあったのですか

正代 まあ、根本的に楽しくはなかったですね。

-常に精神的に追われているような

正代 やっぱり、余裕がなかったんでしょうね。

-「大関らしい相撲を取らないと」とか感じていたのですか

正代 大関らしさとか、そういうのは全然。とりあえず勝たなくちゃな、という。

-小さい時から相撲をやってきて、大関時代が最も相撲を好きになれなかった時期ですか

正代 相撲を好きだった時代はないかもしれないですね。

-でも番付が上がっている時は楽しかったのでは

正代 勝っている時は無条件で楽しいですけど。

-大関に昇進する前は、いっぱい勝っていて、優勝もしていて楽しかったのでは

正代 うーん…。でも、ちょうどコロナで、活気はなかったですから。

-「勝たなきゃ」という重圧は、今は少なくなっているのでは

正代 大関時代に比べたら。今の方が充実しているかもしれないです。

-勝ち負けにとらわれなくなって。かど番だとか

正代 そういうのが、なくなったというのは大きいかもしれないですね。

-今は巡業の子ども稽古でも盛り上げていますが、大関という地位だと、やりにくさもあったのですか

正直、あまり大関時代と変わらないですね。

-周りが、そういう目で見ているだけで

正代 そうですね。

-中身はずっと変わっていない

正代 人間、そんなに簡単に変われないですよ。

-何歳ぐらいまで現役でやっていたい思いなどはありますか

正代 特に決めているわけではないです。

-自分の中でのルールといいますか“こうなったら辞める”というものはあるのですか

正代 特にまだ決めていないですけど、まあ、おいおい、年を取っていくにつれて、そういうのも考えていくんじゃないですか。

-現役を続けるのも、引退を決意するのも自分の責任で決める

正代 僕は、この世界に挑戦しにきているので。できるところまで頑張ります。

正代が現役を続ける意味は「挑戦」。いくつ年齢を重ねても、衰えない情熱が強い姿を取り戻させていた。(ニッカンスポーツ・コム/バトルコラム「大相撲裏話」)

9日目、翔猿を破った正代(撮影・鈴木正人)

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悩み、考え、強さを取り戻した。大関経験者で東前頭11枚目の正代(33=時津風)が、関取としては自己最速に並ぶ、9日目の勝ち越しを決めた。前頭翔猿を押し出して8勝1敗。大関昇進前に13勝を挙げて優勝次点となった、20年初場所以来、5年8カ月ぶりの早い勝ち越しとなった。取組後には、22年九州場所まで13場所務めた「大関」の看板は重かったと述懐。「大関時代は勝ったら、ただ安心というか、ホッとしていた。『何とか乗りきった』という感じ」などと、重圧に苦しめられていたと明かした。

そんな正代が、実は8月の夏巡業中、さらに奥深くにしまっていた胸の内を明かしていた。巡業では、各地で行われる子どもとの稽古などで、コミカルな一面を見せてきたが“土俵の哲学者”ともいえる、戦う意味などを語っていた。せきららに語っていた独特な考えの数々を、一問一答形式で紹介する。【取材・構成=高田文太】

-今の夢や目標などはありますか

正代 「これ」というのは決めていないです。できるだけ長く現役として、できたらいいですね。

-生きがいのようなものはありますか

正代 何か、生きがいとか、生きる意味を、他人に見いだすのは違うんじゃないかなと思っているんですよね。生きる意味を他人に背負わせちゃダメですよ。

-「家族のために」や「応援してくれる人のために」という思いなどは

正代 「誰かのために頑張る」と言った方が、聞こえがいいとは思います。ただ、別に応援してくれる人がいなくても、家族がいなくても頑張れよ、っていう話じゃないですか。

-どんな状況でも境遇でも頑張る

正代 思わなくちゃいけないと思うんですよね。別に成績が悪かったからといって、家族のせいになるわけじゃなくて、自分のせいですから。

-それは昔からですか

正代 なんか、すごい極論なんですけど、例えば「両親のために頑張る」と言っていたとして、いい成績を残したら両親は喜ぶじゃないですか。その前に、いい成績を残そうが、成績が悪かろうが、子どもが頑張っている姿を見て、喜ばない親はいないと思うんですよ。それに、頑張っている人が100%、成績を残せるわけじゃない。誰かのために頑張る、というのは、あまり思わないです。僕はそう思うだけですけどね。みんな頑張らなくちゃいけない世界なので。

-もう1度優勝したいといったことは思うのですか

正代 優勝したいと思うのは、みんな同じじゃないですか。別に僕に限った話じゃなくて。

-大関だった時は重圧はあったのですか

正代 まあ、根本的に楽しくはなかったですね。

-常に精神的に追われているような

正代 やっぱり、余裕がなかったんでしょうね。

-「大関らしい相撲を取らないと」とか感じていたのですか

正代 大関らしさとか、そういうのは全然。とりあえず勝たなくちゃな、という。

-小さい時から相撲をやってきて、大関時代が最も相撲を好きになれなかった時期ですか

正代 相撲を好きだった時代はないかもしれないですね。

-でも番付が上がっている時は楽しかったのでは

正代 勝っている時は無条件で楽しいですけど。

-大関に昇進する前は、いっぱい勝っていて、優勝もしていて楽しかったのでは

正代 うーん…。でも、ちょうどコロナで、活気はなかったですから。

-「勝たなきゃ」という重圧は、今は少なくなっているのでは

正代 大関時代に比べたら。今の方が充実しているかもしれないです。

-勝ち負けにとらわれなくなって。かど番だとか

正代 そういうのが、なくなったというのは大きいかもしれないですね。

-今は巡業の子ども稽古でも盛り上げていますが、大関という地位だと、やりにくさもあったのですか

正直、あまり大関時代と変わらないですね。

-周りが、そういう目で見ているだけで

正代 そうですね。

-中身はずっと変わっていない

正代 人間、そんなに簡単に変われないですよ。

-何歳ぐらいまで現役でやっていたい思いなどはありますか

正代 特に決めているわけではないです。

-自分の中でのルールといいますか“こうなったら辞める”というものはあるのですか

正代 特にまだ決めていないですけど、まあ、おいおい、年を取っていくにつれて、そういうのも考えていくんじゃないですか。

-現役を続けるのも、引退を決意するのも自分の責任で決める

正代 僕は、この世界に挑戦しにきているので。できるところまで頑張ります。

正代が現役を続ける意味は「挑戦」。いくつ年齢を重ねても、衰えない情熱が強い姿を取り戻させていた。(ニッカンスポーツ・コム/バトルコラム「大相撲裏話」)

9日目、翔猿を破った正代(撮影・鈴木正人)

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