引退のロッテ・美馬学「人生で一番重い“ありがとう”をもらった」2013年楽天V…星野仙一の“鬼の形相”が崩れた「いま“闘将”に伝えたいこと」(Number Web)
勝負に徹し、戦いに燃え、誰よりも勝利を求める。ゆえに闘将と呼ばれた星野監督。美馬がプロ1年目の2011年から何度も教え込まれたのは「逃げるな」、「戦う姿勢を常に持て」というプロとしてのあり方だった。だからその闘将から、これほど優しい表情で温かい言葉をかけてもらうのはプロ入り後、初めてのことだった。 「ビックリしました。ナイスピッチングと言われたこともそれまで記憶になかった。それが星野さん流。9回1失点で完投勝利した時でも『今日は完封しないとダメな試合なんだ! 』と怒られたことがありました。 大量リードの完封ペースで最後、ソロホームランを打たれてすぐに替えられたこともありました。それだけにベンチに戻って監督の方から寄ってきていただいて『ありがとう』と言われた時は本当にザワザワッと震えました」
厳しく指導を受けた思い出は数知れない。主に中継ぎとして登板していた1年目のことだ。1イニング目は0に抑えたものの2イニング目につかまり、打ち込まれた。試合後、案の定厳しい言葉が飛んだ。 「もう(試合前の)集合にも入らなくていいから、ずっと走ってろ」 次の試合では、仲間たちが練習をしている姿を横目に、外野のポール間を2時間以上、黙々と走った。 「本当に練習の最初から最後まで。誰も声を掛けられるような雰囲気ではなかったと思う。だから誰からも話しかけられなかった。もういいぞとコーチに言われるまで。足の裏の皮がむけた(笑)」
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そんな星野監督だったが、時折見せる優しい側面が美馬の心を刺激した。先発投手として負けが続いている時、普段はブルペンに姿を見せない指揮官が登板2日前のピッチング練習にフラッと現れた。美馬の投じるボールを何球かじっと見つめると「なんでこんないい球をもっているのに打たれるのかなあ」と呟いて、困ったとばかりに頭をかくそぶりを見せながら、その場を去っていった。「そんなこと思ってくれているのかあと嬉しくなったのを覚えています」と懐かしむ。 その闘将を、あの日は仙台の夜空に向かって胴上げした。2011年の震災の傷が残る東北に勇気を届けた。美馬は日本シリーズ2勝の大活躍でシリーズMVPに輝いた。忘れられない一年だ。 「いい時って、すべてがうまくいく。間合いもピッタリと合う。ゆっくり投げたらこうなるなあとかそういう感覚も研ぎ澄まされていた。あの日本シリーズは、ボクの感覚とバッテリーを組んだ嶋さん(基宏、現スワローズヘッドコーチ)の感覚が研ぎ澄まされていた」
ただ、思い出深い2013年のレギュラーシーズンにおいては防御率4.12で6勝と、決して満足いく成績を残していない。右ひじが腫れ、レギュラーシーズン最終の登板は打ち込まれ早々に降板した。 自分自身でも「もう今年はこれで終わりだなあ。もう呼ばれることはないかもなあ」と思わざるをえない無残なピッチングだった。しかし、大事なポストシーズンで声がかかった。「投げられるなら、美馬を呼べ」。コーチ会議で指揮官自ら指名をしてくれたと聞いた。「シーズンの最終登板でこんな不甲斐ない投球をした選手を、こんな大事な試合で投げさせるかなあと」と美馬本人が誰よりも驚いた。 10月19日、クライマックスシリーズファイナルステージ第3戦。マリーンズ相手に初戦に勝利しながらも2戦目に敗れ、相手に勢いを渡して迎えたゲームだった。
ブルペンでは1球もストライクが入らなかった。あまりにも悲惨な状況に嶋からは「真ん中に全力で投げてこい」とこれ以上ないシンプルな指示で声を掛けられた。初球を真ん中に投げ込みストライクを奪うとスイッチが入った。9回を投げて被安打4、完封勝利。14時5分に開始した試合は17時5分、3時間ちょうどで終了した。完璧な投球だった。 「本当に激動の一年だった。シーズンは厳しくて、自分としてはうまくいっていなかった。ポストシーズンから自分の力ではないなにかを感じていました。なぜか急に打たれなくなった。シーズン中はあんなに打たれたのに。ミスしても打たれない。正直、調子が良くなったという感覚はなかった。ただ、感覚は研ぎ澄まされて、なにもかもがうまくいくようになった。 交流戦ではあんなに打たれたジャイアンツも、日本シリーズでは抑えられた。見えない力が後押ししているとしか思えなかった。東北の人たちの想いもあった。日本シリーズは本当に異様な空気だった。球場も外も。あんなに人が来るのかと。見たことがなかった。1球1球の盛り上がりが凄かった。あれを超える経験はなかなかできないと思う。本当に幸せな経験」
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今も胸には叩き込まれた闘将の熱い魂がある。絶対に負けるものかと先頭を切ってチームを鼓舞する姿が瞼に焼きついている。だから美馬もいつも前へ、前へと前のめり。打者に対してガンガン攻め続けた。それはまさに身をもって教えてもらった勝負への厳しさ、そして1球に懸ける心意気だった。 月日は流れた。勝負の厳しさを教えてくれた闘将は2018年1月4日に死去した。70歳だった。そして美馬は19年オフにFAでイーグルスからマリーンズに移籍。20年と22年には二桁勝利を挙げるなどローテーションの中心的存在として活躍。プロ通算80勝(マリーンズで29勝)の実績と共に2025年シーズン限りでユニホームを脱ぐ決意を固めた。 9月18日、古巣イーグルスとの試合前にZOZOマリンスタジアムで行われた引退会見で星野元監督について問われると「(プロとして)こんなに長くできました、と報告したい。星野さんも多分できると思っていなかったと思う。驚いてくれるのではないかなと思う」と感慨深げに語った。
会見を終えグラウンドが見渡せる控室に戻ると、もう夕陽が差し込んでいた。秋を感じさせる奇麗な空が広がり、トンボが飛んでいた。マリーンズとイーグルス、両軍の後輩選手たちが試合直前の練習をする姿を優しい表情で見つめながらつぶやいた。 「急に実感が湧いてきました。寂しさとか、もうマウンドで戦えないんだなあとか。引退試合までの残りの期間をしっかりと味わいながら過ごさせていただきます」 9月30日のイーグルス戦で美馬は引退試合に臨む。プロ通算267試合目のマウンドで生き様を表現する。
(「プロ野球PRESS」梶原紀章(千葉ロッテ広報) = 文)