F1鈴鹿で実証した「26万人が集まっても決済や配信が滞らない」5G新設計が変えた大規模イベントの通信現場(東洋経済オンライン)

■5Gなのに4Gに頼っていた  3月27〜29日に開催されたF1日本グランプリで、ソフトバンクはエリクソン・ジャパンと共同で通信環境の実証実験を行った。エリクソンは海外でもT-Mobileとラスベガスのグランプリで5Gスライシングの実証を手がけた実績があり、日本のF1での取り組みは今回が初めてだ。3日間で延べ26万6000人(2025年実績)が来場するこのイベントは、通信インフラにとっても過酷な試験場である。

 実験の柱は「5G SA」と呼ばれる技術だ。SAはスタンドアローンの略で、5Gの設備だけでネットワークが完結する方式を指す。これまでの5Gは「NSA(ノンスタンドアローン)」と呼ばれ、実は裏側で4G LTEの設備に頼って動いていた。世界中のほとんどの携帯会社がこの方式で5Gを始めている。ソフトバンクは今年度、この4G依存から脱却するSAへの移行を一気に進めた。  SAになると何が変わるのか。最大の利点は「ネットワークスライシング」が使えるようになることだ。なお、ソフトバンクの5G SAは5G契約とSA対応端末があれば追加の申し込みなしで利用できる。ワイモバイルやLINEMOにはまだ提供されていない。

■1本の道路を車線に分ける  スライシングとは、1つの通信回線を仮想的に複数の回線に分割する技術だ。藤野矩之インフラ技術戦略室長は高速道路に例えて説明した。「従来は1本の道路にすべての車が混在していた。スライシングを入れると、速く走りたい車は追い越し車線、安全にゆっくり走りたい車は走行車線と、分けて走れるようになる」。  鈴鹿では6つのスライスが同時に走っていた。ソフトバンクの5G SAユーザー向けの高品質通信、XRコンテンツ向けの低遅延通信、キャッシュレス決済向けの高信頼通信、ミリ波をバックホールにしたWi-Fi、フジテレビのカメラ向け映像伝送、そしてデモ用のプレミアム通信だ。同社によれば、これだけの数のスライスを大規模イベントで同時に商用提供するのは国内初だという。


Page 2

 取材した金曜の時点で、6つのスライスはすべて狙い通りに機能していた。筆者の端末で計測した一般向け高品質通信はダウンロード速度が1Gbps(自宅の光回線並み)を超え、決済は出店者からエラーゼロの報告があった。ソフトバンクの計測ではミリ波Wi-Fiに約200人が同時接続した状態で使え、フジテレビは朝の生中継を問題なく放送できた。用途がまったく異なる通信を1つのネットワーク上で同時にさばけたことが、この実証の成果だ。

 冒頭の決済エラーゼロは、このスライシングで実現した。物販エリアのGPスクエアに19台、ウエストスタンドに5台のモバイルルーターを置き、プライベート5Gで出店者の決済端末を接続した。F1日本グランプリでは弁当やキッチンカーを含め、来場者数の約2倍にあたる52万食分の飲食が提供される。決済端末はクレジットカード、電子マネー、QRコード決済のすべてに対応しており、そのトランザクションが昼に集中する。  決済に必要な通信速度は数Mbps、場合によっては1Mbps未満で足りる。動画やSNSとは桁違いに少ない。ただし途切れると決済が止まり、レジに行列ができる。速さより信頼性が求められる通信だ。

 従来はこの決済の通信と、来場者がSNSに写真を投稿する通信が同じ回線を使っていた。昼どきに数万人が決勝レース前に写真を撮りインスタグラムに投稿すれば回線が混雑し、決済端末の通信まで巻き添えになる。スライシングで決済用の回線を分離し、最低速度を保証する制御を無線側に入れたことで、混雑の影響を受けなくなった。 ■万博の基地局が鈴鹿で再出発  通信品質のベースを支えるのは基地局の増強だ。ソフトバンクは鈴鹿サーキット内のMassive MIMO(大規模アンテナ)を昨年の約10セルから27セルに倍増させた。エリクソン製の最新型は3つの周波数帯を1台に集約し、従来の2台分の仕事をこなす。体積と重量は40%減った。年明けから2カ月半の突貫工事で設置を間に合わせた。


Page 3

 ハードウェアの入れ替えだけではない。ネットワーク設計の担当者は「昨年は5Gだけでミリ波を完結できる設定になっていなかった。今年はアンテナも設定もすべて見直して、5Gだけで通信が完結する環境を整えた」と語った。この設計の全面的な作り直しが、6つのスライスを同時に走らせる土台になっている。  道路沿いの基地局には、大阪・関西万博で使われていたミリ波基地局が転用された。景観条例対応で茶色く塗装されたまま、剥がす時間もなく鈴鹿に持ち込まれた。この基地局がそのまま常設局になる。

 ミリ波は5Gの中でも最も高い周波数帯(28GHz帯)で、大容量だがiPhoneが非対応。対応スマホがほとんどないため、ほぼ使われていなかった。そこで今回はミリ波をWi-Fiに変換する装置を組み合わせ、来場者のスマホに間接的にミリ波の大容量を届けた。GPスクエアのほか、北側駐車場のバス乗り場にも設置した。帰りの待機列にトラフィックが集中する対策だ。光ファイバーの敷設が不要で、電波が届く場所ならどこにでも置ける。取材日にはソフトバンクの計測で約200人が同時に接続していた。

■テレビ中継の準備が「1日がかり」から「電源オン」へ  F1の放映権を持つフジテレビも、ミリ波の恩恵を受けた。通常、テレビの生中継ではカメラからスイッチャーまでケーブルで有線接続する。ケーブルの長さがカメラの移動範囲を制約し、設営に1日かかることもある。  今回はミリ波とプライベート5Gで映像を無線化した。カメラにソニー製エンコーダーとミリ波端末を載せ、サーキット内のパドックコンパウンドに置いたレコーダーに映像を飛ばす。エンコード後の出力は25Mbps(上り)で、帯域に余裕があれば2〜3台のカメラを同時に運用できる。朝のフジテレビの情報番組「サン! シャイン」では、当初予定していたグランドスタンドではなくGPスクエアから生中継を行い、問題なく放送が成立した。


Page 4

 フジテレビの技術担当者は「従来の衛星中継装置より画質が良く、遅延も少ない。持っていって電源を入れればすぐ映る」と評価した。 ■ダウンロード速度が光回線並み  取材日の金曜はグランドスタンドも見られた。この状態でスピードテストを走らせるとダウンロード速度が光回線並みの1Gbpsを超え、フルHD動画もスムーズに再生できた。  決勝日の日曜は14時にレースが始まり、スタンドが埋まる。席でスマホのレース映像を見ながら現地観戦するファンが何万人も同時にネットワークに負荷をかける。ソフトバンクはこの事態に備え、1分間隔でネットワークの状態を自動監視し、通信パラメータを自動で調整する仕組みを導入した。通常は15分〜1時間間隔で行う作業だ。

 27セルの大規模アンテナ、6つのスライス、1分間隔の自動制御。ソフトバンクはこの3つの対策を敷いたうえで、日曜の決勝を迎える。藤野氏は「ここで実現したものを他のイベントやテーマパークに広げていく。この体験を非日常から日常に変えたい」と語った。  決済エラーがなくなり、テレビ中継の準備が1日がかりから数分に縮まり、使われていなかった周波数が来場者のWi-Fiに化ける。速度が速くなることだけが5Gの価値ではない。用途ごとに通信の質を変えるという発想が、大規模イベントの裏側を確実に変え始めている。

石井 徹 :モバイル・ITライター

東洋経済オンライン
*******
****************************************************************************
*******
****************************************************************************

関連記事: