両足失い、絶望の先に見た生きる意味 「最後の生存者」の21年

JR福知山線脱線事故について、自身の体験と今後について語る林浩輝さん=京都市上京区の同志社大学今出川キャンパスで2026年4月21日、北村隆夫撮影

 「22時間 耐えた『命』」

 乗客106人と運転士が死亡した2005年のJR福知山線脱線事故の翌日、新聞の夕刊に大きな見出しが載った。

 当時、同志社大学の学生だった林浩輝さん(40)。マンションに激突した先頭車両から九死に一生を得て救出された。事故で両足を失いながら、「最後の生存者」となった林さんの21年は苦難と再生の歩みだった。

途絶えた乗客の声

 凄惨(せいさん)な記憶は今も鮮明だ。

 05年4月25日。この日は通学のため、JR伊丹駅(兵庫県伊丹市)で運転席のすぐ後に乗り込んだ。

 前夜はアルバイトで帰宅が遅く、眠気を感じながら立っていると、車窓の景色が突然傾いた。

 「そこからは一瞬。アルミ缶に人を詰めてぐるぐると回され、グシャッと潰されたような感じだった」

 脱線して横倒しになった車両は、ごう音を立ててマンションに激突し、駐車場に潜り込んだ。

 気付くと体は運転席と客席を隔てるガラス窓を突き破っていた。下半身は潰れた車両と折り重なった乗客に挟まれ、身動きがとれない。

 胸にガラス、足には金属製の棒が刺さっていた。そばには血を流す人の姿があった。

 暗い車内にはガソリンと血のにおいが充満し、乗客の怒声やうめきが響いた。

 「おい、運転士。どういうことやねん!」「痛い、痛い、痛い……」。10人ほどいただろうか。乗客の声は次第に途絶えていった。

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