コラム:日銀、このまま「年内は利上げなし」で当確か=上野泰也氏
[東京 3日] - 1カ月ほど前のことになるが、6月3日の参院財政金融委員会に出席した日銀の植田和男総裁は、「通貨及び金融の調節に関する報告書」の概要を説明後、質疑応答を行った。
「トランプ関税」による景気・物価の下振れリスクがあるにもかかわらず、日銀が追加利上げの可能性をにおわせる情報発信を行っているのは、将来の利下げ余地(いわゆる「のりしろ」)を確保するためなのではないのかという質問を投げかけられた植田氏は、「経済・物価情勢の改善が見込めない中で無理に利上げすることはない」「先に金利ありきではない」と返答した。
また、日銀が利上げに前向きな姿勢を示すことは景気テコ入れを図る政府の経済政策運営にとって懸念材料ではないかとの問いに対し、植田氏は「今後とも政府との間では十分意思疎通を図りたい」と、無難に返答した。
これらのやり取りには、筆者のような日銀ウォッチャーにとって味わい深いものがあった。
追加利上げの問題について植田氏ら日銀幹部が考えていそうなことを、筆者は以下の3点に整理して常々説明している。
1)日銀は動けるチャンスがあるうちに利上げを重ねて、「のりしろ」(将来の利下げ余地)をできるだけ大きくしておきたい。弊害・副作用が伴う非伝統的金融政策(マイナス金利や大規模な量的緩和など)へ逆戻りする可能性は、「のりしろ」拡大で低下する。
2)とはいえ、日銀が利上げする際には、「きちんと説明がつけられる」必要がある。
3)また現実問題として、利上げを行う際には「政治との間合い」が重要になる。
上記1は要するに、日銀の「利上げ願望」である。6月3日のやり取りで(当然のことながら)植田氏はそれを口にしなかったが、組織として意識せざるを得ないだろう。
現在の政策金利の水準は0.5%。通常の0.25%ポイント幅で将来いずれかの時点で利下げを行う場合、手持ちの「カード」は2枚しかない。景気悪化や物価下落への対応で日銀が2回利下げするとゼロ金利に戻ってしまい、その先の緩和手段としては非伝統的手法への回帰を真剣に検討せざるを得なくなる。
金利の世界では昔から、0%台を「超低金利」と呼びならわしている。これに対し、1%台は「低金利」である。「超」という文字を取り除けるところまでは金融政策の正常化を最低限継続したいと日銀幹部は考えているだろう。
とはいえ、そうしたいからといって、説得力ある根拠を伴って利上げに動くことに説明をつけないまま単に「利上げしました」と日銀が開き直るわけにはいかない。経済全体に影響を及ぼすことになる金融政策の変更には、説明責任が伴う。
また、日銀の金融政策は政府の財政政策とともに、マクロ経済政策の両輪だ。両者の組み合わせであるポリシーミックスが悪いと、経済政策全体の運営は非効率になり、無駄なコストが発生しかねない。したがって政府・与党が日銀の政策変更方針に理解を示し、これを容認する状況が望ましい。日本銀行法は第4条で「日本銀行は、その行う通貨及び金融の調節が経済政策の一環をなすものであることを踏まえ、それが政府の経済政策の基本方針と整合的なものとなるよう、常に政府と連絡を密にし、十分な意思疎通を図らなければならない」と、政府との関係を規定している。
これら3点が今後どのように展開していくかが、日銀の追加利上げのタイミングと回数を大きく左右する。
まず1について言うと、日銀の利上げ願望が消えてなくなることは想定しがたい。
景気が後退局面に陥るリスク増大を示すシグナルがいくつか出ているものの、日銀がナーバスになっている様子はない。潜在成長率が低い日本経済は、もともと「低空飛行」である。公式の定義で景気後退局面になるかどうかに、日銀は政策運営上の大きな意味合いを見出さない可能性が高い。それよりもはるかに日銀が重視するのは、賃金と物価の動向である。
また、岸田前首相から日銀総裁に指名された植田氏は、自らの最大の使命は「金融政策の正常化」だということを強く認識しているだろう。「超」の字がとれない金利水準のうちに正常化路線が頓挫してしまうことを、彼はよしとしないのではないか。
次に2の追加利上げに説明がつけられるかという点では、「トランプ関税リスク」という海外要因が最大のカギを握っている。
トランプ大統領は4月2日、高率の相互関税(一律10%+国・地域別の上乗せ税率)を発表した。しかし1週間後の9日には、相互関税のうち上乗せ部分について90日間停止する大統領令に署名した。この停止期間が終わるのは米東部時間7月9日午前0時1分である。
だが、分野別関税である自動車関税の税率25%をどうするかを含めて、日米の関税協議は妥協点をいっこうに見出せていない。今月1日にはトランプ大統領から、合意が成立するかを疑問視した上で、「日本は30%か35%の関税、もしくはわれわれが決定する関税を支払うことになる」という、非常に厳しい発言が飛び出した。
一方国内要因では、10月に連合(日本労働組合総連合会)が中央執行委員会で翌年の春闘の基本構想を決定し、賃上げ要求の具体的な数字を公表することが大きな節目になる。
24年の場合、基本構想の決定は10月18日だった。10月中旬以降は、25年春闘の実績ではなく、1つ先の26年春闘で賃上げ率がどうなるのかが大きな着眼点となる。
春闘全体への影響力が大きい業種である自動車で経営環境が悪化しており、25年度も大企業全体で増益が続くのかは怪しくなっている。人口動態に根差した雇用人員のひっ迫状況は相変わらずで、これは賃上げ率の上昇を後押しするものの、仮に26年の春闘で賃上げ率が目立って鈍りそうだという話になると、日銀が掲げる「賃金と物価の好循環」というコンセプトへの疑念が増し、利上げ路線継続に説明をつけにくくなる。
最後に3の「政治との間合い」は、今月の参院選を経て、現在の日銀にとって好都合なものから変わるのか、それとも変わらないのかが大きな注視対象になる。
あるメガバンクのトップが5月下旬のインタビューで、「日銀の利上げがいつになるかは非常に読みづらい。年内は難しいのではないかというのが私の感覚だ」とコメントしたことに、市場の一部で驚きの声があがった。
日銀の利上げは、貸し出し金利と預金金利のギャップ(利ザヤ)が拡大することを通じて、金融機関の収益上積みにつながる。そのためか、銀行の経営層はしばしば日銀の追加利上げに期待する方向で発言することがある。
だが、日銀が追加利上げのチャンスをつかめないうちに、年末にかけて時間がどんどん経過していく可能性は、間違いなくある。
7月末の次回金融政策決定会合での追加利上げは、日米関税協議が急転直下妥結するといった「トランプ関税」絡みの予想外のポジティブな急展開があり、「海外要因はクリアされた」と日銀が説明をつけられる場合を除いて、きわめて困難な情勢である。
その次の9月の決定会合でも利上げに動けないようだと、日銀は相当苦しくなる。市場では「年内は利上げなし」の見方が広がるだろう。年明け以降は消費者物価指数(CPI)の上昇率鈍化が、追加利上げを目指す日銀にとって、逆風になり得る。
なお、仮に今回の利上げ局面の終着点(ターミナルレート)が現在の政策金利水準である0.5%にとどまってしまう場合、1.3─1.4%台で推移している10年物国債利回りは、1%未満の水準へと徐々に低下する「ブルフラット化」の動きを見せる可能性が高い。
編集:宗えりか
*本コラムは、ロイター外国為替フォーラムに掲載されたものです。筆者の個人的見解に基づいて書かれています。
*上野泰也氏は、経済・金融市場に関する情報を発信する「マーケットコンシェルジュ」の代表。会計検査院を経て、1988年富士銀行に入行。為替ディーラーとして勤務した後、為替、資金、債券各セクションにてマーケットエコノミストを歴任。2000年から25年6月までみずほ証券のチーフマーケットエコノミスト。25年7月より現職。
*このドキュメントにおけるニュース、取引価格、データ及びその他の情報などのコンテンツはあくまでも利用者の個人使用のみのためにコラムニストによって提供されているものであって、商用目的のために提供されているものではありません。このドキュメントの当コンテンツは、投資活動を勧誘又は誘引するものではなく、また当コンテンツを取引又は売買を行う際の意思決定の目的で使用することは適切ではありません。当コンテンツは投資助言となる投資、税金、法律等のいかなる助言も提供せず、また、特定の金融の個別銘柄、金融投資あるいは金融商品に関するいかなる勧告もしません。このドキュメントの使用は、資格のある投資専門家の投資助言に取って代わるものではありません。ロイターはコンテンツの信頼性を確保するよう合理的な努力をしていますが、コラムニストによって提供されたいかなる見解又は意見は当該コラムニスト自身の見解や分析であって、ロイターの見解、分析ではありません。
私たちの行動規範:トムソン・ロイター「信頼の原則」, opens new tab
筆者は「Reuters Breakingviews」のコラムニストです。本コラムは筆者の個人的見解に基づいて書かれています。