ギフテッドの中学生、繊細さから“気遣いの鬼”に 大切にしたい2つのポイント
こんにちは。Lagoonスタッフのこゆきです。自身もギフテッド当事者で、東京大学大学院で臨床心理学を学んでいます。 今回の記事は、「ギフテッドの持つ繊細さとそのケア」についてです。 具体的には、Lagoonで実施している中学生向け心理探究クラスを題材に、スタッフとして学んだことをお伝えしていきます。 ◇中学生たちの「心に触れる」 Lagoonでは、ギフテッド特性を持つ子どもたちに向けた少人数制の「心理探究セッション」を実施しています。 「心理探究セッション」とは、自分の感情や感覚に気づき、自己や他者を理解することを目指すプログラムです。生活の中では自分を出すことをためらってしまう子どもたちに、少人数でじっくりと心に向き合える場を提供しています。 これまでの小学生クラスに加え、今年度からは、新たな取り組みとして中学生向けの心理探究クラスを創設しました。 中学生向けのクラスを運営していて気づくのが、彼らの「他者に配慮しなければ」という気持ちの強さです。 どちらかというと活発な低年齢の子どもたちと比べ、いろいろな経験を重ねてLagoonへやってくる彼らは「気遣いの鬼」。 元々持っている周りの気持ちや場の状況をくみ取る力の高さに加え、過去の体験から「自分は周りとは違う」「目立たないように素の自分を抑えなければ」と頑張りすぎる傾向があります。 話を聞いてみると、これまで学校では不満やモヤモヤを抑え、いわゆる「優等生」「真面目な子」として過ごしてきた、という参加者も少なくないようです。 スタッフとして見ていても、彼らが持つ繊細さは自分自身を知るための大切な手がかりであり、同時に、周囲からたくさんのものを受け取る力の表れだと感じます。 しかし、他者の様子を敏感にキャッチする感受性は、時として大きな負担につながるものです。 集団生活の中で周囲に合わせようと努力した結果、キャパシティーを超えてつらくなってしまう、ということも見受けられます。 それでも、クラスでの対話を通して、一人一人が奥底に育んでいる確かなエネルギーに触れることができます。そうしたエネルギーを感じつつ、自分自身や身近な人々、そして社会との関わり方を一緒に考えるのが「心理探究」の醍醐味(だいごみ)です。 ◇大人として何ができるか では、ギフテッド特性を持つ子どもたちの「繊細さ」に対して、どのようなことができるでしょうか。 この記事ではわたしがスタッフとして子どもたちに向き合う時に、考えていることを述べていきたいと思います。 まず、重要視していることは、「応答を続ける」ことです。 大人として子どもと関わる時には「教える」「導く」といったことが想定されやすいですが、心理探究セッションでは参加者をジャッジしたり、特定の方向に誘導したりすることを避けています。周囲の気持ちに敏感な子どもたちにとっては、「自分を出すこと」がまず大きなチャレンジであると考えているからです。 かといって、出てくる意見を全て肯定するわけでもありません。できることは、言葉や思いを受け取り、打ち返し続けることだと思っています。言い換えれば、「信頼に足る大人」を目指すことです。 「どんな意見にも耳を傾けてもらえる」 「対等な人格として尊重されている」 そういった感覚を持てなければ、子どもたちは言葉を自分の中に閉じ込めてしまうかもしれません。 こうした「信頼に足る大人」たろうとする姿勢は、私自身の体験に立脚しているような気がします。 幼少期、大人から受ける子ども扱いや誘導に敏感だったからこそ、信頼できる大人を見つけ、「この人は一人の人間として向き合ってくれている」と感じた時の喜びはかけがえのないものでした。かつての自分が何を求めていたかを思い出しつつ、発せられた(時としてヒリヒリする)問いと向き合い続けることを目指しています。 ◇「世界を閉ざさない」こと 心理探究クラスで、つらかったことを話してくれる参加者がいます。他のメンバーから、「自分もあの時こんなことが」と呼応して声が上がります。他者と関わり、響き合うことができるのは、大きな力であると感じます。 自分自身で深く考えることができたとしても、「他者に受け止められる」という経験からしか得られないものが存在するからです。自分なりの距離感で他者とつながる力は、生きていく上でとても重要なものです。 ところで、こうした力は「コミュニケーション能力」「社会性」のように、子ども個人に内在するものとして語られがちかと思います。 しかし、そもそも「他者とつながっても大丈夫」という気持ちを持てるかどうかには、どのような環境で、何を受け取って育ってきたか、ということも大きく関わると感じています。つまり、「他者とつながる力」は子ども自身だけで育むものではなく、周囲の大人や社会のあり方と関わり合って培われるものだということです。 「こうあってほしい」「これができてほしい」「こんなふうに育ってほしい」。良かれと思って、大人は子どもに期待しがちです。むしろ子どもたちにとって、私たち大人が、そして社会が、安心感や希望を抱けるような存在かどうか。そういったことを問い直す時間も、あってよいのではないでしょうか。 話さなくても、目に見える形で行動しなくても、子どもたちは多くを感じ、考え、培っています。そのエネルギーが外に向くまで社会への希望を持ち続けられるように、「世界を閉ざさない」こと。いつかはLagoonを巣立っていく彼らに向けて、居場所としてできる仕事は、これではないかと思っています。