【闘病】突然、昏睡状態に… “夏バテ”と思った不調はレアケースの「糖尿病」だった

 公開日:2025/09/19

静岡県在住の宮田さんは、2022年7月、未だ明確な原因が解明されていない「劇症1型糖尿病」を発症し、呼吸困難と昏睡状態で緊急搬送されました。奇跡的に一命を取り留めるも、その後の生活や働き方に大きな影響を受けます。彼女の病気との向き合い方や現在の生活、さらにはメッセージを通じて、劇症1型糖尿病への理解を深めていきたいと思います。

※本記事は、個人の感想・体験に基づいた内容となっています。2025年3月取材

体験者プロフィール: 宮田なぎさ(仮称)

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静岡県在住。2022年7月、呼吸困難、昏睡状態に陥り緊急搬送され、意識不明の重体から奇跡的に助かったが、大学病院のICUにて、「原因不明の劇症1型糖尿病」と告げられた。約1カ月間の入院生活を経て、退院後7カ月間は実家にて療養生活を送る。2023年3月に社会復帰したものの、血糖コントロールが困難な上、ほかの難病が判明するなど、さまざまな理由で就労困難に。その後転職活動をおこなうも、持病の多さと珍しさにより就労することができず、2024年10月より、障がい者のための就労移行支援事業所に通い始め、現在に至る。

編集部

最初に、読者に強く伝えたいことを聞かせてください。

宮田さん

1型糖尿病でさえそう多くはないのに、その中でも「劇症1型糖尿病」は極めて稀な1型糖尿病です。発症時は本当に絶望的で、まさか自分がこんな病気になるとは思ってもいませんでした。定期検査でも異常はなく、家系にも糖尿病の人はいませんでしたが、突然の発症で命の危機に直面しました。この病気を知らなかったため、早期に病院を受診することができず苦しむ結果となったと感じています。劇症1型糖尿病は手遅れになると死にいたる恐ろしい病気です。多くの方にこの病気のことを知ってもらい、認知を広げることで、同じような苦しみを少しでも減らせたらと願っています。

宮田さん

発症したのは2022年7月のことです。それまで精神障害の治療をしており、心療内科の医師から、7月から社会復帰の許可が出たタイミングでの発症でした。突然、呼吸困難になり、病気だと疑う間もなく昏睡状態になりました。目が覚めたあと「未だ明確な原因が解明されていない劇症1型糖尿病」と告げられました。緊急搬送されている途中から意識を失い、記憶がありません。翌朝、「ここはどこかわかりますか? 何月何日かわかりますか?」という看護師さんの声で目を覚まし、大学病院のICUにいることを知りました。その後の回診で、病名を告げられました。

宮田さん

頭が真っ白になりました。まず、自分がICUにいるということに驚き、鼻と口には人工呼吸器、両腕には沢山の点滴で繋がれている状態で、何がなんだかわからない状態のまま病名を告げられたので、信じることができませんでした。「どうしてこんなことになってしまったのですか……?」としか言うことができず、「原因は未だ明確には解明されておりません。血液検査の結果、自己免疫の異常が示唆されます。膵臓のインスリンを分泌する細胞の大部分が全破壊されインスリンの分泌能力がほとんどゼロになっています。これから生涯インスリン注射が必須になります」という話を聞いたときは、本当に絶望的でした。将来への不安で押し潰され、毎日布団に潜って泣いていました。

宮田さん

昏睡に陥る1カ月ほど前から、目がぼやけて文字が見えにくいという症状と、喉が異様に乾くという症状がありました。次第に身体が異様に重くだるくなり、少し歩いただけで疲れる、息切れがするという症状も出るようになっていましたが、ちょうど急激に暑くなり始めた時期だったため、夏バテだと思っていました。やがて喉の乾きとだるさが悪化していき、寝込むようになりました。その後、食欲不振となり、嘔吐を繰り返すようにもなりました。嘔吐により全く飲食ができなくなってしまったため、「これは夏バテじゃないかもしれない。何かがおかしい」と思い、病院へ行こうと思ったときには呼吸困難となり、あっという間に意識を失いました。

宮田さん

緊急搬送になる当日に、胃腸科、消化器内科を受診しました。そこで、原因不明だったことから、翌日に内科を受診しようと思っていましたが、その日の夜に救急車を呼びました。最初に搬送された総合病院で、「血糖値が600を超えていて緊急事態です。ここでは処置できません」と言われ、大学病院へ搬送されたようですが、途中から全く記憶がありません。翌朝目覚めると、大学病院のICUのベッドの上にいました。

宮田さん

1日最低4回以上の血糖値自己測定(現在は、リアルタイムで数値を知ることができる医療機器を使っています)と、ペン型インスリン注射(速攻型と持続型の2種類)での治療を生涯続けていく必要があるとのことで、注射の打ち方の指導が始まりました。注射にも種類があるようで、どの注射が合っているのか、効きのよさを見極めてから、今後使用していく注射と量を決めるという流れだったので、幾つかの注射を試しながら、治療方法を具体的に確定していくということでした。インスリン注射治療を行う上での、食事指導(カーボカウント計算方法など)などもありました。退院後は、月に1回の血液検査と診察、処方が必要になるとのことでした。

宮田さん

生活が一変してしまいました。入院中は、600以上にまで上がってしまった血糖値が300台に下がるまでに1週間以上かかり、そこから退院できる状態にまでなかなか下がらず、退院予定を約2週間延長しての治療になったのですが、その時点ではまだ、「低血糖」というものを知りませんでした。退院後、初めて経験する低血糖症状に、心身共についていくことができませんでした。動悸、手の震えなど、これまで体験したことのない症状が日常的に出るようになり、その度にブドウ糖で対処し、自己測定で数値を何度も確認するということに、なかなか慣れませんでした。「どうしてこんなことしないといけないの?」「どうしてこんな病気になってしまったの?」と、来る日も来る日もそればかりが頭から離れず、毎日落ち込んでいました。

編集部

そのような状況の中で、心の支えになっているものを教えてください。

宮田さん

病気を含め、私を理解しようとしてくれ、病気発症前と変わらず接してくれる友達の存在は、私にとって本当に大きな支えです。2023年に社会復帰した際、友達が私のことをこんなにも気にかけ、心配してくれていたことを知りました。そして、病気を含めて私を受け入れ、本当に大切に思ってくれる友達の尊さに気づくことができました。誕生日を心から祝ってくれる友達や、つらい過去をすべて打ち明けられる友達がいてくれるおかげで、「あのとき助かってよかった、生きていてよかった」と、思えるようになりました。これから先も、自分を理解しようとしてくれる人や、自分を大切にしてくれる人を、心から大事にして生きていこうと思うようになりました。

編集部

もし、昔の自分に声をかけられたらどのような助言をしますか?

宮田さん

先の見えないどん底に落とされた暗闇の中での生活も、いつかは必ず抜け出せる日が来るよ。そのときは辛くても、いつか必ず終わりがくるから大丈夫。心を楽に生きてほしい」と、伝えたいです。

編集部

現在の体調や生活などの様子について教えてください。

宮田さん

私の場合、インスリン分泌がほとんどゼロのため、食事や活動量などによって血糖値の変動が毎日異なり、特に変動幅が大きいときには身体に大きな負担がかかります。例えば、高血糖から低血糖へ、または、低血糖から高血糖へと急激に変動する際には、鎮痛剤が効かないほどの頭痛や疲労感が生じることがあります。そのため、可能な限りこまめに血糖値をチェックし、低血糖に関してはアラームが鳴ったらすぐに対処(糖分補給をし、インスリンポンプの基礎インスリン注入を停止にする) 、高血糖に関しては、少し様子を見つつ必要に応じてインスリンポンプで少量インスリンを追加注入し、対処後に今度は時間差で低血糖ということにならないように気をつけながらの調整をしています

編集部

具体的にどのような自己調整を行っているのでしょうか?

宮田さん

低血糖予防のための糖分補給は、糖の吸収スピードが速いカンロ飴、ラムネ、カルピス、ブドウ糖ゼリードリンクを使って対処しています。また、高血糖時には、インスリンポンプまたは注射でインスリンを追加注入することで対応しています。なるべく早めに対処することで、血糖変動の幅を少しでも小さくするよう心がけています。私の場合、インスリン分泌がゼロであるうえ、ストレスやホルモンバランス、さらにほかの難病の影響も受けるため、インスリン注射による治療では血糖コントロールが困難でした。そのため、2024年10月からインスリンポンプ療法を始めました。この療法により、注射よりも細かい調整が可能となり、食事内容や状況に応じた便利な機能が使えるため、とても助かっています。インスリン療法による影響で、この病気の発症前よりも約15kg体重が増加してしまったため、2025年1月からは余分な糖の排出を促す飲み薬を朝に1錠服薬する治療法を併用しています。

2024年秋_発症前よりも15kg体重増加

発症前

宮田さん

約1カ月間の入院生活を経て、退院後は7カ月間実家で療養していました。その後、2023年3月に社会復帰を果たし、富士宮市で一人暮らしを始めました。一般就労(製造業)でフルタイム勤務をしていましたが、血糖コントロールが難しく、働き続けることが困難でした。2024年5月には、ほかの難病が判明するなどさまざまな理由から、就労が困難となりました。就きたい職があり、転職活動を試みましたが、採用に至ることができませんでした。そのため、2024年10月より障がい者のための就労移行支援事業所に通い始め、現在も利用しています。

宮田さん

劇症1型糖尿病について、私や周りの人たちがどれだけ理解しているかによって、精神的な面も含め、生きやすさが大きく変わると感じています。この病気が希少であり、認知度が低いことで、周囲の理解を得にくかったり、「糖尿病」への偏見の目で見られていたりする人が多くいると思います。もっと1型糖尿病の理解や配慮が得られる社会になるよう、この病気について発信してもらうことが重要だと考えています。

宮田さん

「糖尿病」と聞くと、世間一般に知られる2型糖尿病や、幼少期に多く発症する1型糖尿病のイメージが強いと思います。ですが、私のような成人期に多い「劇症1型糖尿病」というものが存在することを知ってほしいと思います。私は昏睡状態から奇跡的に助かりましたが、あと少し遅かったら、間違いなく命を落としていたそうです。なので、この病気の存在を知っていれば助かる命もきっとあると思います。

編集部まとめ

宮田さんは、劇症1型糖尿病の突然の発症により、入院・療養生活を経て、血糖値管理やインスリン治療を日々行いながら生活しています。社会復帰を果たした後も、病気の影響で困難を抱えながら前向きに生きる姿勢は、多くの人に勇気を与えるものです。また、病気に対する理解や偏見をなくすための発信の重要性を感じています。宮田さんの経験とメッセージを通じて、劇症1型糖尿病への認識を深め、支援の輪を広げるきっかけにしてほしいと願っています。

記事監修医師久高 将太(琉球大学病院内分泌代謝内科)※先生は記事を監修した医師であり、闘病者の担当医ではありません。

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