焦点:ロシア社会に迫る大量の帰還兵問題、政治不安定化リスクも

 ロシア人の妻の殺害犯アザマト・イスカリエフ受刑者(37)にとって、戦争は刑務所を脱出するための片道切符だった。写真は、元恋人殺害の罪で起訴され、判決を言い渡されるアザマト・イスカリエフ被告。7月9日、ロシア南西部サラトフの法廷で撮影。サラトフ裁判所提供(2025年 ロイター)

[ロンドン 9日 ロイター] - ロシア人の妻の殺害犯アザマト・イスカリエフ受刑者(37)にとって、戦争は刑務所を脱出するための片道切符だった。

この男は2021年夏、離婚を望んだ妻を自分が所有する車内で刺殺し、殺人罪で9年の刑を受けた。刑期のまだ3分の1も服役していなかったが、ウクライナで戦うという見返りに釈放されて恩赦を受けた。

6カ月の戦場経験でも、自分を拒絶した女性たちに対する暴力的復讐心は和らげられず、民間生活に戻った後の昨年10月、口説いたのを拒んだ元恋人の女性を勤務先の店内で60回以上ナイフで刺した。そして7月、この残虐な殺人の罪で19年以上の刑を言い渡された。

イスカリエフ受刑者の事件を、サラトフ市の裁判記録と公判を追った地元報道を突き合わせて考えると、ロシアが今後直面しうる深刻な社会問題が見えてくる。戦争が終われば、恩赦を受けた受刑者を含む数十万の兵士が帰還するからだ。

国際組織犯罪対策グローバル・イニシアチブ報告書でロシア政府の動員解除後の難題について書いた英国のロシア専門家マーク・ガレオッティ氏は「25年初めの時点で合計して、おそらく150万人以上のロシア人の男性と女性が戦争に参加していた」と述べた。

「ますます多くの動員解除が始まるにつれて、ロシアは戦争の心理的影響を抱えた帰還兵の波に直面するだろう」と述べた。

クレムリンの消息筋3人によれば、この懸念は最高指導部にも届いている。プーチン大統領は、軍の一斉復員を潜在的なリスクと見なし、社会と自らが築いた政治体制を不安定にしないよう、慎重な対応を探っている。

ある消息筋は、狙いはソ連のアフガニスタン侵攻終結後に起きた社会的混乱の再現を避けることだと明かす。当時、帰還兵は組織犯罪の拡大を助長し、1990年代のソ連を荒廃させた。

同じ消息筋は続ける。民間生活に戻った兵士の多くは、いま受け取っている高額の給与のようには稼げず、不満が高まるだろう。たとえば、モスクワ出身の新兵はウクライナ戦争に参加した最初の年に、少なくとも520万ルーブル(約960万円)を得られる。うち、契約一時金は190万ルーブルで、モスクワの平均年収にほぼ匹敵する額だ。

大統領府、国防省、司法省はいずれも、ウクライナから帰還する部隊がもたらすリスクについてコメントの要請に応じなかった。

イスカリエフ受刑者は2件の殺人を認めて現在は重警備刑務所で服役しており、ロイターは接触できなかった。

帰還兵の管理は、ロシアだけの課題ではない。米退役軍人省によれば、ベトナム戦争に出征した米国人約270万人のうち、「かなりの少数派」が心理的・社会適応の問題に苦しんだという。

ウクライナ戦争には、他の多くの紛争と決定的に異なる点がある。両陣営が受刑者を前線に送っていることだ。

ロシア矯正当局とウクライナ情報機関のデータによれば、ロシアは2022年の侵攻開始以降、12万ー18万人の受刑者を兵士として採用した。

これまでに帰還した兵士の中心は、受刑者、重傷者、そして戦うには年齢が高いと見なされた人々だ。一方で、プーチン大統領は約70万人がウクライナで戦闘中だと述べる。大多数はなお前線にいる。

国防省は23年の規則改定で、イスカリエフのような受刑者をもはやウクライナから6カ月で動員解除して社会に戻さないようにした。政府当局者は犯罪者が一般の志願兵よりも有利な条件を受けているのは不公平だと述べる。現在は受刑者出身の兵士も通常の契約兵と同様に、戦争終結まで従軍を続ける必要がある。

<帰還兵が殺害した民間人>

ロシアの独立系メディア「ベルストカ」によると、昨年10月時点で約500人の民間人がウクライナ戦争の帰還兵の被害者となった。

ベルストカは報道やロシアの裁判記録を基にした軍事犯罪に関する公開情報を活用した。その結果、少なくとも242人が殺害され、227人が重傷を負ったと計算した。ロイターはこれらの数字を独自に確認できなかった。

ロシア当局は23年12月、プラハに拠点を置く出版社のベルストカを外国のエージェントに指定。ベルストカがウクライナでの軍事作戦に反対し、ロシアの政策について信憑性のない情報を流布しているとの見解を示した。ベルストカはこうした主張に対し、報道内容については、事実を徹底的に確認しており、100%確証のない情報は掲載しないと述べた。

消息筋の別の1人によると、ロシア政府は大量の兵士の帰還が厳しく統制された政治体制に及ぼす影響を恐れているという。

プーチン氏は既に、自らがウクライナで解き放った軍事勢力が国内で引き起こすかもしれない混乱の危険を経験している。23年6月、ロシアの民間軍事会社「ワグネル」創設者の故プリゴジン氏が、陸軍首脳に対し反乱を起こした事件だ。

別の情報筋によると、クレムリンはプーチン大統領の指示のもと、潜在的な問題を抑え込むため、複数の政策やプログラム、人事を総動員してきた。具体的には、昨年の地域選挙で退役軍人の参加を後押しし、来年の連邦議会選挙では彼らを候補として擁立する方針を進めているという。

プーチン氏は、ウクライナで戦った「戦士」を「真のエリート」の一員と呼び、彼らに栄誉ある職を約束した。またプーチン氏は民間部門の指導者を育てるための「英雄の時代」と呼ばれる指導者養成プログラムに個人的な関心を示している。

プーチン氏は6月の会合で「祖国に奉仕しようと意識的に決断し、その結果として個人的成功を収めた人々は徐々に一定の地位を占めていくべきだ」と述べた。

<アフガン帰還兵との相違>

1990年代の「アフガン帰還兵(アフガンツィ)」と呼ばれる帰還兵たちとの比較については意見が分かれる。彼らの多くは心的外傷後ストレス障害(PTSD)を患い、一部は薬物やアルコールに対する依存に苦しみ、犯罪を増加させる一因となった。

息子をウクライナで失ったあるロシア人は、現在「ウクライナ帰還兵(ウクラインツィ)」と呼ばれる帰還兵たちは、国家の支援があるためアフガン帰還兵のような問題を避けられるだろうと語っている。

同様の見解を示す政府筋は、1989年のアフガン戦争終結が2年後のソ連崩壊につながり、権力と治安の空白が混乱を招いたと振り返る。ただ、今は事情が異なるという。政治体制も治安組織も強固になっているからだ。ただ、受刑者は特別なカテゴリーであり、リスクは当然ながら一段と高いとは認めた。

一方で、ウクライナ帰還兵はアフガン帰還兵よりも深刻化な問題をもたらす可能性があると主張する人たちもいる。

ソ連のアフガン侵攻を扱った著書「大いなる賭け」の著者、グレゴリー・ファイファー氏はロイターに対し、ウクライナ戦争は、ソ連の公式戦死者数が約1万5000人だったアフガニスタンより、はるかに多くの犠牲者を出した紛争になったと語った。

動員解除の難題を論じた報告書を執筆したガレオッティ氏も懸念を示す。帰還兵問題は「1990年代のような混乱の度合い」には達しないだろうとしつつ、「ウクライナ帰還兵は人口比でアフガン帰還兵よりもはるかに多い。深刻な問題が顕在化する恐れがある」と警告した。

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