今日は何の日:4月20日「女子大の日」に寄せて、逆境を越えた女性科学者たちの人生
4月20日は「女子大の日」です。これは1901年、日本で初めての女子大学である日本女子大学校が開校したことに由来しています。その設立のきっかけとなったのは、創立者・成瀬仁蔵の「女性にも高等教育が必要不可欠」という強い信念と、実業家・広岡浅子の熱心な支援でした。浅子は成瀬の著書『女子教育』に感銘を受け、多くの賛同者や資金を集めて設立を後押ししました。女性が高等教育を受けることがまだ珍しかった時代、この日は女性の学びの扉が大きく開かれた記念日でもあります。
本記事では女子大の日に寄せて、科学の世界で強くしなやかに生き抜いた女性たちのドラマを紐解きます。彼女たちがどのようにして時代や社会の壁を乗り越え、いかにしてその名を歴史に刻み込んだのか――その軌跡を、逸話とともにご紹介します。
ソフィー・ジェルマンは、数論の難問「フェルマーの最終定理」の証明に世界で初めて体系的なアプローチを示し、特に「ソフィー・ジェルマン素数」と呼ばれる新しい素数の概念を発見しました。また、彼女の理論はn=5やn=7など特定の場合の定理証明に大きく貢献し、現代数論の発展に道を開きました。
18世紀末のフランス。女性が学問の場に立つことすら許されなかった時代、ソフィー・ジェルマンは家族の反対を押し切り、夜な夜な冷たい部屋で毛布にくるまり、凍ったインク壺とともに独学で数学を学び続けました。両親は彼女の情熱を抑えようと、暖炉の火や明かり、時には衣服まで取り上げましたが、ソフィーは決して諦めませんでした。
エコール・ポリテクニークが開校した際、女性は入学を許されていませんでした。しかし彼女は実在の男子学生「ルブラン(M. LeBlanc)」の名を借りて課題を提出し、その卓越した論文は教授ラグランジュを驚かせました。正体を明かした後も、ラグランジュは彼女の才能を認め、他の学者たちにも紹介しています。
さらに彼女は「ルブラン」名義で、ドイツの天才数学者カール・フリードリヒ・ガウスと文通を始めます。ガウスの名著『算術研究』を独力で読み解き、難解な数論の証明に挑戦。ナポレオン戦争中、ガウスの身を案じてフランス軍の知人に保護を依頼したという逸話も残っています。身元を明かしたとき、ガウスは「女性がこのような困難を乗り越え、最も奥深い問題に達するとは、まさに高貴な勇気と非凡な才能、卓越した天才の証だ」と最大級の賛辞を贈りました。
しかし社会の偏見は根強く、パリ科学アカデミーへの論文は2度却下され、3度目でようやく弾性理論に関する賞を受賞します。亡くなった後も、公式な称号は「資産家」にとどまり、「数学者」とは記されませんでした。それでも彼女の業績は、現代数学・物理学に大きな影響を与え続けています。
20世紀初頭のドイツ。エミー・ネーターは数学者の父のもとに生まれましたが、女性であること、さらにユダヤ人であることから、大学への道も、教壇に立つことも厳しく制限されていました。正式な教授職は与えられず、長く無給・無権限で研究を続け、講義すら男性教授の名義でしか行えませんでした。
それでもネーターは、抽象代数学や物理学の根幹を揺るがす発見を次々と成し遂げます。「ネーターの定理」は物理学における対称性と保存則の関係を明快に示し、アインシュタインやヴァイルら世界的な科学者たちから「数学史上最も重要な女性」と絶賛されました。彼女の理論は、現代物理学の根幹を成し、ヒッグス粒子の発見など、21世紀の科学にも多大な影響を与えています。
しかし1933年、ナチス政権下でユダヤ人であることから大学を追われ、アメリカの女子大ブリンマー校に亡命。わずか2年後、病に倒れ短い生涯を終えました。それでも、生涯を通じて「差別されても、学問への情熱と仲間への惜しみない支援」を貫いた姿は、今も多くの数学者に語り継がれています。
1950年代のロンドン。ロザリンド・フランクリンは、X線結晶構造解析の第一人者として、炭素やウイルスの研究で既に名声を得ていました。彼女がキングス・カレッジで撮影した「フォト51」と呼ばれるDNAの鮮明なX線写真は、ワトソンとクリックが二重らせん構造モデルを構築する決定的なヒントとなります。しかし、フランクリンのデータは本人の同意なく共有され、1962年にワトソン、クリック、ウィルキンスがノーベル賞を受賞した際、彼女の名はそこにありませんでした。
彼女は同僚からも孤立し、男性優位の研究環境でしばしば過小評価されました。DNA研究から離れた後も、タバコモザイクウイルスの構造解明などで次々と成果を挙げ、同僚アーロン・クルーグが後にノーベル化学賞を受賞する礎を築きました。37歳という若さで亡くなった彼女の人生は、女性科学者が直面した「見えない壁」と、その壁を打ち破るための不屈の意志を象徴しています。
彼女たちが残した足跡は、科学への純粋な情熱と知的冒険の喜びを物語っています。社会の壁に阻まれながらも、真理の探究を諦めなかった彼女たちの姿は、「知りたい」という人間の根源的な欲求がいかに強く美しいかを私たちに教えてくれます。今日、様々な分野で活躍する女性研究者たちの背中には、こうした先駆者たちの灯火が静かに、しかし力強く輝いているのです。未来を切り拓くのは、肩書きでも環境でもなく、一人ひとりの心に宿る「知る喜び」なのかもしれません。
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