【毎日書評】職場にいる絶対に「謝らない人」に、やってはいけない3つのタブー
心理学博士である『絶対「謝らない人」: 自らの非をけっして認めない人たちの心理』(榎本博明 著、詩想社新書)の著者は、ネット上においても実生活でも“自分の非を絶対に認めようとしない人たち”が増えていると述べています。
思い浮かぶのは、問題発言をした著名人や、不祥事を起こした企業の謝罪会見などでの発言。そういった場でよく使われる「誠に遺憾です」「申し訳なく思います」などの文言は、謝罪している雰囲気こそ醸し出しているものの、決して謝っているわけではないのです。
ネット上でも同じで、炎上騒ぎを起こすインフルエンサーや、不祥事を起こした政治家なども、自分の非を認める以前に自己を正当化しようと躍起になるもの。また職場や日常生活においても、同じような人に出くわすことは少なくありません。
仕事の場で、取引先から間違いを指摘されても、謝ることなく苦しい言い訳をして自分の非を認めずごまかそうとする。プライベートでも、約束を守れなかったなど迷惑をかけても、なんだかんだ言い訳をして素直に謝らない。
「すみません」と謝罪の言葉を口にすれば、物事もスムーズに進むし、人間関係もうまくいくのに、頑なに非を認めず、自分を正当化しようとする。そういう人が目立つようになったため、ネット上では「謝ったら死ぬ病」などといった言葉さえ生まれている。(「まえがき」より)
そもそも日本の社会では、「すみません」ということばが人間関係の潤滑油として機能してきました。謝罪のみならず、感謝の意を示す際にも「お手数をおかけして申し訳ありません」という謝罪のニュアンスも含まれています。
しかし、そこで「すみません」を口にせず自己正当化に執着したのでは、人間関係がギスギスしてきても無理はありません。そこで本書において著者は、そういった「絶対に謝らない人」の心理を解明しているのです。
きょうは第6章「『謝らない人』とどうつき合うか」のなかから、「絶対に謝らない人」と一緒にいたとしてもストレスをため込まずにすむ、いくつかのポイントを抜き出してみることにしましょう。
「謝らない人」に対しては、親切心から注意やアドバイスをすることは絶対に避けるべきだと著者は強調しています。
不適切な言動があった場合、「先方に謝ったほうが本人のためになる」との思いから謝罪すべきだとアドバイスしたくなるのは当然の話。ところが「謝らない人」には、そうした真意をわかってもらえないことが多いというのです。
それどころか、親切心からことばをかけたにもかかわらず、「いいがかりをつけられた」とか「マウントをとってきた」と曲解される可能性もあるようです。「なにも悪いことはしていないのに、謝れとはなにごとだ」などと逆ギレされたとしたら、関係性が悪化する可能性もあります。
謝罪するようにという注意やアドバイスに限らず、ごく一般的な注意やアドバイスも、喫緊の必要に迫られている場合以外は、極力控えるべきである。
目の前の客に失礼なことを言って怒らせてしまったときなどは、その不適切さを注意するしかないが、そうした緊急事態以外は注意やアドバイスは禁物だ。
虚勢を張って自分の非を絶対に認めない人物の場合、いくら説明したところで納得してもらえないことが多い。(182ページより)
そういう人は自分を振り返ることがないため、言動の不適切さを具体的に説明したとしても自覚が持てないわけです。そのため異論があったとしても、「謝らない人」に対しては謝罪を促すことはもちろん、ごく一般的なアドバイスもしないほうはいいということです。(181ページより)
「謝らない人」に対してはなんの期待も持たない
絶対に「謝らない人」と関わっていると、なにかとイライラさせられることがあるもの。もし、相手を傷つけるようなことをうっかり口にしてしまったと気づけば、たいていの人は謝ってくれることでしょう。それなのに謝ってくれないとしたら、誰だってイライラするものです。
たとえば、こちらに対する言動に不適切なところがあったとしたら、「謝ってほしい」と感じるかもしれません。しかしそんな場合も、期待は持つべきではないと著者はいうのです。なぜなら、謝るべき場面でも決して謝らないのが「謝らない人」たちの特徴だから。
謝ってくれないのに「謝ってくれるはずだ」と思っていると、その期待は裏切られ、イライラすることになるかも。しかしそれでは精神的によくありませんし、ましてや仕事上関係を持たなければならない相手だったなら、仕事のモチベーションにも悪影響を及ぼしかねません。
ここで考えなければならないのは、どうしたらイライラせずにすむかということである。端的に言えば、謝ってくれるはずといった期待を捨てることだ。
人がイライラするのは、ものごとが期待どおりに進まないときだ。絶対に「謝らない人」とかかわるとイライラするのも、ここは謝ってくれるはずだと期待しているため、謝ってくれないことでイライラするのである。(191ページより)
したがって、そういった人に対してはなんの期待も持つべきではないということ。この人は謝らない人なんだと思っていれば、イライラすることもないのですから。(190ページより)
「相手もわかってくれるはず」という甘えを自覚する
もう少し言えば、期待をするというのは、一種の甘えである。
こっちの立場や気持ちをわかってくれるはずという期待をするから、わかってくれないときにイライラするわけだが、そのような期待をしてしまうのが甘えなのである。
甘えというのは、相手との一体感を前提とする心理と言える。
欧米人などは、相手と自分は別々に切り離されていると思っているため、こっちの立場や気持ちをわかってくれるなどと期待することはない。だから、こっちの立場や気持ちを必死になってアピールする。強烈に自己主張するのも、相手はなかなか人のことなどわからないと思うからだ。(192ページより)
一方、日本では心理的一体感のようなものがあるため、「わざわざいわなくてもわかってくれる、こっちの立場や気持ちに配慮してくれる」といった甘えが通じるというのです。ただし、絶対に「謝らない人」は話が別。そういう人は甘えに基づく期待を裏切るため、イライラすることになってしまうわけです。
著者が、「自分の精神衛生を保つために大切なのは、自分のなかに無意識のうちに抱えている甘えを自覚し、その甘えを捨てることだ」と主張しているのは、そんな理由があるからです。(192ページより)
「謝らない人」が増えてきた理由、そういう人たちの心理、「謝罪」の本質的な意味などを広い視野で掘り下げた一冊。ギスギスしがちな人間関係について悩みを抱えているなら、状況を改善するために本書を参考にするべきかもしれません。
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Source: 詩想社新書