インフルエンザが急変し救急搬送…脳死判定を受けた5歳・愛娘の臓器提供を決断した家族の願い(プレジデントオンライン)
家族が「脳死判定」を受けたらどうするか。長女(享年5歳)の臓器移植を決断した、三浦拓さんは「インフルエンザ脳症だった。『限りなく脳死に近い状態』と医師から告げられたときに浮かんだのは、娘が遺した一言だった」という。わが子の死に直面する悲嘆の中で、なぜ臓器提供を決断し、いま何を思うのか。ノンフィクションライターの川口穣さんが聞いた――。 【画像】くーちゃんの臓器は、心臓と肝臓、ふたつの腎臓、そして小腸と、5人に移植された。 ■小児の移植割合が高い国、日本 2025年8月、1997年の臓器移植法施行以降に国内で行われた心臓移植が1000件を超えた。 1999年に1例目が行われて以降、2009年までは多くても年間10例程度で推移したが、23年は115人、24年も111人が心臓移植を受けている。 背景には、社会的な理解が進んだことに加え、2010年に本人の意思が不明でも家族の同意で提供できるとする改正法が施行されたことなどがある。 心臓移植に至らなかったケースも含めると、2025年11月末までに脳死状態になって臓器を提供した脳死ドナーの総数は計1294人にのぼる。 特に、日本は子どもからの移植の割合が高い国だ。 2019年は国内の心臓移植総数84件に対し、小児(15歳未満)心臓移植が17件。20〜22年はコロナ禍の影響を受けたが再び増加基調にあり、今年は10月末までに8人の10歳未満の小児ドナーから臓器提供があった。 実態を語るのは、日本の心臓移植をリードしてきた第一人者・福嶌教偉医師(現・千里金蘭大学学長 ※教は旧字体)だ。福嶌医師は臓器移植法下1例目の心臓移植手術でドナーからの心臓摘出を担当したほか、6歳未満の小児をドナーとする国内初の移植手術(2012年)では、移植までの間のドナーの循環管理などを担当した。 「日本は全体の移植数はまだまだ多くありませんが、小児からの提供割合が世界的にも高い国です。これはPICU(小児集中治療室)が発達し、多くの重症小児に精一杯の治療ができるから。できる限りの治療をやり切ったからこそ、それでも助けられないときに救急医は移植の話をできるし、ご家族も提供を考えることができるんです」 一方でこれまで、ドナー家族の声が社会に広く知られる機会は多くなかった。 福嶌医師は、「日本はまだまだ、臓器提供を周囲に明かしにくい国」だという。 わが子の死に直面する悲嘆の中で、家族はなぜ臓器提供を決断し、今日までどんな思いを抱いてきたのか。当事者に話を聞いた。 ■5歳の娘の臓器提供を決めた家族のケース 岡山県津山市の三浦拓(ひらく)さんら家族は数年前、当時5歳だった長女・愛來ちゃん(くーちゃん)の臓器提供を決断した。 インフルエンザが急変して救急搬送され、意識を失って約1週間。インフルエンザ脳症で「限りなく脳死に近い状態」と告げられたときに浮かんだのは、「世界中の人のためになりたい」と話していたくーちゃんの言葉だった。 臓器提供について切り出した三浦さんに対し、いったんは祖父母も含めた家族全員が賛成した。しかし、心臓が動いているのに「死」を認めることが受け入れられず、両家の祖母は反対に転じたという。結論が出ないまま、時間が過ぎていく。 そんなある日、くーちゃんに新たな脳出血が見つかった。ただ、出血に広がりが見られなかった。 「広がる余地がないほど脳が腫れていたんです。これ以上、『頑張れ』というのは酷だなって、ふたりの祖母も移植に賛成しました」(三浦さん) 臓器提供を決断すると、6歳未満の小児は24時間以上、6歳以上は6時間以上の間隔を空けて2回の法的脳死判定が行われる。 2回目の判定の終了時刻を持って法的には「死亡」とみなされるが、ドナー側、レシピエント(臓器を移植される患者)側双方の準備が整って移植が実施されるのは、2回目の脳死判定終了から1〜2日後になることが多い。 この間が、大切な家族と過ごすことができる最後の時間だ。 けれども、その時間をどう支えるかの仕組みはまだ十分ではない。濃密な別れの時を過ごせるかは、病院の努力による部分が大きいという。