ノンフィクション作家・堀川惠子さんの特別講演に関する記事を公開
2025年09月12日
ノンフィクション作家・堀川惠子さんの特別講演に関する記事を公開
患者家族として目の当たりにした医療の厳しい現実を変えていくために
ノンフィクション作家・堀川惠子さんが透析患者の終末期をめぐるさまざまな不条理を記録し、7年にわたる取材を加えて書き上げた『透析を止めた日』(講談社,2024 年11月刊)が、末期腎不全患者の終末期のあり方を問う書として注目を浴びている。
壮絶な最期を迎えた夫を2017年に看取って以来、堀川さんは「これではいけない」と、日本に存在する医療の厳しい現実に警鐘を鳴らし、自らの経験を基に、著書だけでなく各種メディアや医学会、議員連盟などでも積極的に発信を続けている。
今回、本サイトで公開した記事「『透析を止めた日』~患者本位の腎代替療法を考える~」で語られているのは、第68回日本腎臓学会学術総会で行われた特別講演(2025年6月21日開催)の内容。夫が透析治療を始めてから自らの意思でその治療を中止し、死亡後、堀川さんの著書をきっかけに動き始めた最近の政治動向までが語られている。
以下、冒頭部分を引用する。
<<私の夫、故・林新はnhkの報道番組ディレクターでした。32歳で多発性嚢胞腎の診断を受け、1995年には血液透析を開始。海外取材に飛び回っていた37歳のときに、週3回、1日4時間の透析生活を余儀なくされました。その後、腎移植を受けて9年間過ごした後、再透析を経て2017年、60歳で死亡しました。 夫の歩みは少しずついろいろなものを諦めていく苦難の道でした。その中で腎移植後の9年間は、今から思えば夢のような時間でした。腎臓を提供した当時80歳の義母も、95歳で亡くなるまで正常な腎機能を保つことができました。腎代替療法の中で患者自身のクオリティ・オブ・ライフ(生活の質、以下「QOL」)を保つという観点では、私は腎移植に勝るものはないと確信を持っています。一方で腎移植のドナー不足の問題は深刻で、身内から提供を受けられない方には平均14年9か月2)もの待機時間があると知り、心を痛めております。>> 私の夫、故・林新はnhkの報道番組ディレクターでした。32歳で多発性嚢胞腎の診断を受け、1995年には血液透析を開始。海外取材に飛び回っていた37歳のときに、週3回、1日4時間の透析生活を余儀なくされました。その後、腎移植を受けて9年間過ごした後、再透析を経て2017年、60歳で死亡しました。
「『透析を止めた日』~患者本位の腎代替療法を考える~」項目
- 夫が自ら透析中止を決意するまで
- 緩和ケア病棟に入れない
- 尊厳のある最期が問われる時代に
- 終末期こそ「腹膜透析」という選択もある
- 「今、苦しんでいる患者さんを救いましょう」
特集コーナー「腎臓の健康道」とは?
糖尿病は腎臓病と関連が深く、糖尿病3大慢性合併症のひとつに「糖尿病性腎症」という病気がある。そしてこの糖尿病性腎症は、1998年以降、透析導入原因の第一位となっている。糖尿病ネットワークでは、糖尿病の合併症から腎不全になり、透析や腎移植に至る道の予防につながるよう、腎臓病の特集コーナーとして「腎臓の健康道」を2024年に開設。腎臓の基礎から、病気のこと、患者を支える団体について、医師のインタビューなどを随時更新して掲載している。