タイとカンボジアの軍事衝突、ことの始まりはタクシン氏とフン・セン氏の対立から

 【バンコク=水野哲也、ハノイ=竹内駿平】タイとカンボジアの軍事衝突は、前線での戦闘はほぼ収まっているものの、依然として緊張状態にある。軍事衝突の背景には、両国の実質的な指導者同士の関係悪化がある。4日からはマレーシアで国境問題を話し合う委員会が開催されるが、緊張の緩和は容易ではない。

二つの地図

 タイとカンボジアは、国境地帯のヒンズー教寺院遺跡「プレアビヒア」やその周辺地域などを巡り、長年にわたり領有を争ってきた。カンボジアの旧宗主国のフランスが20世紀初頭、遺跡をタイ側に含めるものと、カンボジア側に含める二つの異なる地図を作ったことが原因とされる。

 領有を巡り、国際司法裁判所(ICJ)は2度にわたり判断を示してきた。1962年の判断では、遺跡はカンボジアに帰属するとした一方、寺院周辺の約4・6平方キロ・メートルについては判断しなかった。2013年には、このうちの一部をカンボジア領と認めたが、国境未画定地帯も残った。カンボジアが寺院を単独で世界遺産に登録申請し、認められた08年など、何度か軍事衝突を起こしている。

国内の反発

 今回の対立の火種は、陸上ではなく、海上の国境を巡る動きにさかのぼる。

タクシン氏=ロイターフン・セン氏=ロイター

 両政府は01年、タイ湾の国境未画定海域で、天然ガスなどの共同開発を進める覚書に署名した。この時、両国の首相を務めていたのが、タイのタクシン・シナワット氏とカンボジアのフン・セン氏だった。タイ国内では「売国行為」だとして反発が強まり、06年にタクシン氏が失脚すると、共同開発計画も頓挫した。

 23年にタクシン派によるタイ貢献党を中心とした連立政権が発足すると、共同開発計画が再浮上した。しかし、昨年8月にタクシン氏の次女のペートンタン氏が首相に就任すると、タイ国内では保守派が共同開発計画を巡る議論を持ち出して政権への攻撃を強め、カンボジアとの領土問題に対する国民の危機感をエスカレートさせた。

タイ東部シーサケートで、砲撃により被害を受けた病院=水野哲也撮影

 国境地帯では小競り合いが頻発するようになり、5月末にはカンボジア兵1人が死亡する衝突が起きた。

 衝突後の6月、カンボジアは国境問題の解決を求める書簡をICJに提出した。一方のタイは、領土問題は2国間で解決するという立場だ。ICJについてタイは、訴えに応じなければならない「義務的管轄権」を受諾していない。

「裏切られた」

 フン・セン氏は09年、クーデターで失脚後に国外逃亡中だったタクシン氏を経済顧問に任命した。タクシン一族には力を貸してきたという思いが強い。

 しかし、ICJを通じた解決にも応じず、国境閉鎖などの応酬が続く中で、フン・セン氏は態度を硬化させた。6月には、ペートンタン氏がフン・セン氏と私的に通話した音声がカンボジア側から流出し、憲法裁判所によるペートンタン氏への職務停止命令につながった。フン・セン氏は6月下旬、「(タクシン氏に)裏切られた」と語った。

 タイの国際政治専門家スパラック・ガンジャナクンディー氏は「フン・セン氏は自分の手で国境問題を解決したいという思いが強く、これまで助けてきたタクシン氏に期待したが、共同開発や国境問題が前に進まないことで強く失望し、今回の対立に至った」と語る。

 両国は停戦では合意したものの、国境問題の解決方法を巡る立場の違いから、根本的な対立を解消するのは難しい。停戦合意に基づき国境問題を話し合う委員会は、4日から東南アジア諸国連合(ASEAN)議長国マレーシアで開催される。マレーシア政府によると、会合には米国と中国の代表も同席し、ASEANによる停戦監視チームも発足する予定だ。当面は各国の関与で停戦を維持できるかどうかが焦点となる。

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